これまでのブログで、近年の日本でなぜ虐待が問題になり、子殺しまでが起こるのかを検討してきました。そして、NHKの番組『長屋家族』で示された子育てが、虐待や子殺しから脱却するためのヒントになることを検討しました。そこで行われている子育ては、実は近代化以前の日本では、当たり前に行われていたことでした。
今回のブログでは、江戸時代の子育ての様子を述べて、今回のテーマについてのまとめとしたいと思います。
子どもの天国
「三つ子の魂百まで」ということわざが示すように、日本では古来から幼少時の教育の重要性が認識されていました。江戸時代の子育てにもそれは現れており、そこからは子どもを幼少時より慈しみ、大切に育てる様子が見て取れます。
渡辺京二氏の『逝きし世の面影』1)によれば、江戸時代の末期から明治時代初期に日本を訪れた多くの西洋人たちが残した記録には、当時の日本社会の子育てと子どもの様子が次のように記されています。
「日本ほど子供が、下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子供たちが結構家族全体の暴君になっている」(『逝きし世の面影』390頁)
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供は朝から晩まで幸福であるらしい」(同390頁)
西洋人たちの目から見た江戸・明治時代の子どもに対する扱いは、よほど親切で注意深いものに映ったのでしょう。「子供の天国」という表現が、それを端的に現しています。さらに同書には、「日本人の子供への愛はほとんど『子ども崇拝』の域に達しているように見えた」(同391頁)という表現さえみられます。
叱らない子育て
子どもへの躾に対しても、際立った特徴が認められます。
「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである」(『逝きし世の面影』392-3頁)
「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責(けんせき)するだけである」(同393頁)
「この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」(同393頁)
西洋では子どもは不完全な存在であり、社会で生活できる立派な大人になるためには、ときには「むち」を使ってでも躾をしなければならないと考えます。
これに対して日本では、むち打つことはもちろんのこと、「打つ、叩く、殴る」ことがほとんどないばかりか、「子供を罰したり、教育したりしない」のです。西洋人の目からは、「子どもがどんなにヤンチャでも、叱ったり懲らしたりしている有様を見たことがない。それはほとんど『溺愛』に達して」(同392頁)いるように見えるのでした。
こうした対応は、赤ん坊のときから認められます。
「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない」(『逝きし世の面影』394頁)
「私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどかしかたは知られていないようだ」(同394頁)
母親が赤ん坊に対してかんしゃくを起こすことがなく、赤ん坊も泣き叫ぶことが滅多にないといいます。これが本当だとすれば、現代のわたしたちからしても驚くべきことでしょう。もしこのような母親-赤ん坊関係が成立するとしたら、その要因はどこにあるのでしょうか。
上掲書では、日本の子どもが泣かないのは「刑罰もなく、咎(とが)められることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐず言われることもない」からであり、その一方で、「子どもの方が親に対して従順で、叱られるようなことをせず、従って泣く必要もなかった」と述べられています(以上、同395頁)。
良いところを伸ばす子育て
西洋では親が子どもを服従させ、親にとって好ましいような礼儀作法を教え込むのが教育であり、子どもはこれに反抗しながら自我を形成して行きます。これに対して(当時の)日本では、親は子どもを服従させることも、自分の意に添った教育を押しつけることもありませんでした。
「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、過ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」(『逝きし世の面影』396頁)
日本の子どもの教育は、ただただ温かさと平和で包み込みながら、性格の悪いところは抑え、あらゆる良いところを伸ばすことを目標にします。そこには、親の意向は介在せず、子どもの長所を伸ばすことを第一に考えた、子ども本位の教育が行われていたことが窺われます。
西洋の教育と日本の教育の根本的な違いが、まさにこの点に現れているでしょう。西洋の教育では親が、または社会が必要とする成人像に向けて子どもを育て上げるのであり、これに対して日本の教育は、本人の性質を尊重し、その特長を伸ばすことに重点が置かれているのです。
世界で一番可愛い子ども
以上のような子育てが行われるからでしょうか。日本を訪れた西洋の人々は、日本人の子どもに対して次のような印象を抱いています。
「日本の子供ほど行儀が良くて親切な子供はいない。また、日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供につくす母親はいない」(『逝きし世の面影』410頁)
「どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており、魅せられるほど愛らしく、仔犬と同様、日本人の成長をこの段階で止められないのが惜しまれる」(同410-411頁)
「子供は大勢いるが、明るく朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束をふりまいたようだ。・・・彼らと親しくなると、とても魅力的で、長所ばかりで欠点がほとんどないのに気づく」(同411頁)
「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」(同411頁)
「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである」(同411頁)
(日本の子どもは)「世界で一等可愛いい子ども」(同411頁)
まるで手放しで、日本の子どもたちの愛らしさが褒め称えられているかのようです。もちろん、以上のような表現が、一部の西洋人の偏った意見だという反論もあるでしょう。またすべての子育てが、ここで挙げられているように行われていたわけでもありません。上掲書の中でも、「徳川期に様ざまな児童虐待の例がみられるというのは、われわれが承知しておいてよいことである」(同421頁)との指摘もなされています。
それにしても、江戸から明治初期かけての日本の子育ては、西洋の子育てだけでなく、西洋文化の洗礼を受けた現代日本の子育てとも大きく異なった特徴が認められるのも事実でしょう。
おんぶによる教育
では、子供の自主性を尊重する教育の中で、子供たちはどのように社会で生きる術を身につけるのでしょうか。
日本の子どもたちは躾を受けず、礼儀作法を知らないまま成長するわけではありません。上掲書によれば、「子どもは小さいときから礼儀作法を仕込まれていたし、(中略)親の最大の関心は子どもの教育だった」(同396頁)と指摘されています。ただし、その躾の方法が独特なのです。
「カンガルーがその仔をそのふくろに入れて何処へでも連れてゆくように、日本では母親が子供を、この場合は背中についている袋に入れて一切の家事をしたり、外での娯楽に出かけたりする。子供は母親の着物と肌のあいだに栞(しおり)のように挟まれ、満足しきってこの被覆の中から覗いている。その切れ長な眼で、この眼の小さな主が、身体の熱で温められた隠れ家の中で、どんなに機嫌をよくしているかを見ることができる」(『逝きし世の面影』398頁)
(日本の赤ん坊はおんぶされながら)「あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで起るあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混りあった格別の重々しさと世間智を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ」(同406頁)
赤ん坊は母親(または年長の姉や兄に)背負われて、肌のぬくもりを常に感じながら家族と行動を共にします。それは、農作業、凧あげ、買い物、料理、洗濯、井戸場会議などあらゆることに及びます。これは赤ん坊が、機嫌良く満足した心理状態で、しかも背負われながら母親と同じ視線でこれらの出来事を体験することを意味しています。だからこそ子どもたちは、四つか五つに成長するや否や、日常の生活を過不足なく送れるようになるのであり、さまざまな世間智を体得することが可能になるのです。
遊びによって学ぶ
さらに子どもたちは、遊びの中でも生活のための行動様式を学びます。
「子供の室内遊戯の多くは、大人の生活の重大な出来事を真似したものにすぎない。芝居に行って来た男の子が家に帰ると、有名な役者の真似や、即席で芝居の物真似をする。小さな子の遊びに病気のふりをし、『医者みたいに振舞う』のがある。おかしくなるほど几帳面に丸薬と粉薬の本物の医者のように、まじめくさって大層らしく振舞い、病人は苦しんで見せる。食事、茶会、結婚式、葬式までも日本の子供は真似をして遊ぶ」(『逝きし世の面影』408頁)
こうして日本の子どもたちは、親から強制されるのではなく、主体性を持って社会で生活して行くための術を学び取って行きました。
幸福を追求する子育て
このような教育を行う目的はどこにあるのでしょうか。温かさと平和に包まれ、多くの愛情を注がれて育った子どもはどのような大人になるのでしょうか。感情的に叱られることがなく、打たれる、叩かれる、殴られるといった扱いを受けたことがない子どもは、他人に対してどのように振る舞うようになるでしょうか。親に服従させられることなく、あらゆる良いところを伸ばすように育てられた子どもは、どのような生き方を身につけるのでしょうか。
このような教育を受けた子どもたちは、総じて他者に対して温和になり、人と敵対したり争ったりすることが少なくなります。そして、社会に対して不満を募らせたり、社会に攻撃性を向けようなどと考えなくなるでしょう。
子どもたちが成長して親になったときには、自分たちが育てられたように子どもに接することでしょう。それは、虐待や子殺しとは正反対の育児であると言えるかもしれません。
このように江戸時代の子育ては、いかに穏やかに、楽しく生きられるようになるかに重きを置いて行われていました。そしてそれは、人が幸福に生きるためにはどうしたらいいのかを追求しているのだとも言えるでしょう。
わたしたちの社会は、近代化を経て大きく変貌してきました。生活はとてつもなく便利になり、日常には物があふれています。しかし、一方で、失ったものも数多くありました。
その一つが、親密で豊かな人間関係です。親密で豊かな人間関係が失われたことが、日本人の子育てを殺伐としたものに変貌させました。今では当たり前のようにみられる子どもへの虐待や、珍しくなくなってしまった子殺しは、その影響を受けて出現してきたのです。
わたしたちは、いま一度立ち止まって、日本文化に受け継がれてきた優れた遺産を見つめ直す時期に来ているのではないでしょうか。(了)
文献
1)渡辺京二:逝きし世の面影.平凡社,東京,2005.