韓国はなぜ繰り返し賠償を求めてくるのか(13)

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 日本と韓国が揺れています。いわゆる「徴用工」問題で、最高裁判決を盾に日本企業への賠償を迫り続ける韓国に、日本が議論のための仲裁委員会構成を提案しましたが、韓国政府は拒絶しました。さらに日本は、公式・非公式チャネルと接触しながら問題を解決しようとしましたが、韓国政府は一貫して無反応を貫きました。

 これに対して日本政府は、安全保障上の問題から、7月4日にフッ化ポリイミド、レジスト(感光材)、エッチングガス(フッ化水素)の3品目の輸出で、個別の審査や許可が必要となる輸出規制を行いました。さらに8月2日には、韓国を安全保障上の友好国である「ホワイト国」の指定から除外することを閣議決定しました。

 韓国はこれらの決定に激しく反発しました。韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は2日、日本政府による対韓輸出管理の厳格化を激しく非難し、国民に団結を呼びかけました。韓国民の間でも日本製品不買運動が始まり、ソウル市の中心部で市民による大規模なデモが予定されています。

 激化する日韓関係について、今回からのブログで再び検討を加えたいと思います。

 

サッカーユース大会で起こった事件

 紛糾する今回の日韓関係を語るためには、まず韓国と中国の問題から検討する必要があります。少し遠回りになりますが、この問題から始めましょう。

 今年の5月29日に次のような出来事がありました。

 中国の成都で開催されたサッカーユース国際大会「パンダ・カップ2019」の決勝戦で、U‐18韓国代表は中国代表と戦い、3-0で勝利して見事優勝を飾りました。

 表彰式が終わって、セレモニーが行われる最中に事件は起きました。韓国代表の選手が優勝トロフィーを踏みつけている写真が、中国メディアやSNSに大きく取り上げられました。

 

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 さらに、ある選手がトロフィーに向かって用を足す仕草をしていたことまで判明しました。

 この出来事はすぐに中国全土に拡散し、「早く韓国に帰れ」「サッカーより先にまず礼儀を学べ」という怒りの声とともに、選手や関係者に猛烈な批判が浴びせかけられました。

 

中国に謝罪する韓国

 これに対して、韓国の選手は映像で公式に謝罪し、キムジョンス監督も「すべての責任は私にある。こころの底から謝罪したい」と伝えました。さらに、大韓サッカー協会も、中国サッカー協会成都サッカー協会に公式謝罪文を送りました。

 それにもかかわらず、成都サッカー協会は韓国の優勝を剥奪しました。そして「この行為は非常に下品で、スポーツの倫理と精神に反している。今後このようなチームと選手の参加は歓迎されるものではない」と非難し、U‐18韓国代表に対する出場禁止の可能性さえ示唆しました。

 優勝の剥奪に対して、韓国メディアや韓国国民は中国の対応を非難することはなく、韓国選手の品格や指導者の責任を問題視したのでした。

 

韓国人の本心

 この出来事をみて、わたしには二つの点について強い印象が残りました。

 一つは、中国に対しては、韓国はこんなにも素直に謝罪するのかという点です。これはちょっとした驚きでした。この出来事が日本の大会で起こっていたら、彼らは最後まで謝らなかったのではないでしょうか。「応援席で旭日旗が振られていたためだ」などと抗弁して。

 二つ目は、トロフィーを踏みつけた韓国の選手は、実は韓国人の本心を現しているのではないかという点です。中国に勝って優勝したことに浮かれて、つい本心が顔をのぞかせてしまったのではないかということです。大人たちは選手の品性を責めましたが、本当は韓国人の無意識には、この青年と同じ思いが渦巻いているのではないでしょうか。

 これらの点を分析するために、まず韓国と中国の歴史を紐解いてみましょう。 

 

中華帝国の属国であり続けた朝鮮

 新羅が唐軍の支援を受けて、7世紀半ばに朝鮮半島を統一して以来、朝鮮は中華帝国歴代王朝の属国であり続けました。朝鮮は中華帝国の柵封体制に組み込まれ、中国の皇帝に朝貢(貢物を献上すること)し、君臣の関係を結び、中華の暦を使用して生活しました。

 朝鮮半島で最後の王朝になった李氏朝鮮は、明と清の朝貢国になりました。特に、清による支配はとりわけ厳しいものでした。

 黄文雄氏の『韓国は日本人がつくった 朝鮮総督府の隠された真実』1)によれば、李氏朝鮮は清に搾取され、奴婢(ぬひ)以下の扱いを受けていたといいます。

 

 「天朝(清帝国)が朝鮮に与えた、朝貢国としての規定は実に厳しかった。金銀牛馬の特産品から貢女や宦官(かんがん)などに至るまで、献上すべき物品が細かく決められていた。

 さらに、貢ぎ物は形のないものにまで及んだ。たとえば、半島内で起こったすべての出来事は、仔細までいちいち明細書に書き出し清国に提出しなければならなかった。とくに日本の情勢、いわゆる『倭情(わじょう)』や日本の使節派遣についても、清朝朝廷への報告と許可が義務付けられていた。(中略)

 こうして、朝鮮王国はすべての委細な国内情勢の上奏を義務づけられ、天朝朝廷の臣下として一地方の官僚と同じ扱いを受けていた」(『韓国は日本人がつくった 朝鮮総督府の隠された真実』37頁)

 

 このように朝鮮王国は、中華帝国の一地方の官僚と同じ厳しい扱いを受けていたのです。

   

皇帝の奴隷

 一地方の官僚と同じ扱いを受けていたことは、清皇帝の廷臣の下、つまり皇帝の奴隷ともいうべき立場だったことを意味します。

 黄文雄氏の『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』2)によれば、それは当時の作法や礼法から明らかだったといいます。

 

 「皇帝からの使節が訪れた際、国王は郊外の迎恩門(ヨンウンムン)まで赴いて出迎え、世子(太子)が慕華館(モファガン)で酒を供するというしきたりがありました。皇帝でなく使節相手にここまでへりくだらなくてはならないことからも、国王が『中華帝国の奴隷のそのまた奴隷』であったことがわかります」(『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』19‐20頁)

 

 中華帝国からの使節に対して、国王がわざわざ迎恩門まで赴いて出迎え、さらに皇太子が酒席を設けてもてなすことなど、屈辱の極みではないでしょうか。

 朝鮮が中華帝国の属国であったことを示すこの迎恩門は、日清戦争後に朝鮮が独立を果たした際に取り壊され、新たに独立門として建て直されています。

 

貢物として女性を献上していた

 朝鮮が中華帝国へ献上する主要貢物には、牛馬や金銀の他に、宦官や貢女も含まれていました。

 統一新羅の時代から李氏朝鮮に至るまで、宗主国であった元、明、清へ貢女を献上してきました。特に元の時代には貢女の催促が厳しかったといいます。

 

 「元時代、モンゴル人統監下での貢女献上は、高麗朝の貴族社会にとっては苦痛なほどであった。なにしろ『処女』を献上しなけれなならないのだ。これが慣例となってしまった朝鮮では、元が抱える南宋の降人部隊『蛮子(マンツ)軍』(南宋漢人部隊)に女を献上したことから、明や清へと朝鮮の貢女献上の悲喜劇が続いた」(『韓国は日本人がつくった 朝鮮総督府の隠された真実』40頁)

 

 貢女は元王朝に対してだけでなく、降伏した南宋の軍人にまであてがわれました。これが慣例になって、明や清へと貢女の献上は継承されました。

 

王族や両班の娘までが

 明や清へと続いた貢女の献上は、さらに厳しい条件が課せられていました。

 

 「明や清の時代も元時代にならい、献上される侍女や貢女は美女で処女であることを原則としていた。また、その身分は朝鮮国王の妹や王女、あるいは王室や大臣の娘が好ましいとされていた。

 美女で処女である侍女を供出する場合は、両班の娘、またはその妾が望ましく、それ以外の地位の者を『貢女』として選んではならなかった。(中略)

 貢女に娼妓(しょうぎ)をあてがいごまかそうとする気配のある者は、座首(監督官)や色史(女色統轄官)らの関係者によって厳しくチェックされた。そして、実際に不正を働いた役人は厳罰に処されたのである」(『韓国は日本人がつくった 朝鮮総督府の隠された真実』40‐41頁)

 

 両班(ヤンバン)は、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構を担った支配階級のことです。貢女が美女や処女だっただけでなく、王室や大臣、両班から選ばれていたことは、特筆すべきことであったと言えるでしょう。

 

屈辱感からの反発 

 朝鮮の人々は、以上のような屈辱的な扱いを、千年以上の長きにわたって中華帝国から受け続けてきたのです。この屈辱感は意識されることなく、韓国の人々の無意識の中に伝承され続けてきました。

 こうした事情を鑑みてみると、冒頭の写真に写っているサッカー青年の気持ちが多少なりとも理解できるのではないでしょうか。トロフィーを踏みつけて高らかに笑う青年の表情は、まさに中国を叩きのめし、屈辱感を晴らした高揚を率直に表現していると言えるでしょう。

 では、なぜ選手や監督は、本来は晴れ晴れしいはずのこの行為をすぐに謝罪し、また韓国のマスコミや国民は彼らの行為を非難したのでしょうか。次回のブログで検討してみたいと思います。(続く)

 

 

文献

1)黄文雄:韓国は日本人がつくった 朝鮮総督府の隠された真実.徳間書店,東京,2002.

2)黄文雄:韓国人に教えたい 日本と韓国の本当の歴史.徳間書店,東京,2013.