人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(12)

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 前回までのブログで、近代以降の子育てにおいて生じる、子どもへの影響について検討してきました。

 今回のブログからは、親の側の問題、すなわち子育てにおいて親がなぜわが子を虐待し、さらには殺害にまで至ってしまうのかを探りたいと思います。

  

育児は文化によって規定される

 人間の親はなぜ子どもを虐待するのでしょうか。それは子育てが、動物のように本能に従って行われているのではなく、文化によって規定されているからです。

 文化とはそもそも、自然の摂理から離反した適応方法・行動様式だと考えられます(「文化が自然の摂理から離反した適応方法、行動様式である」ことの詳しい検討は、2018年1月のブログ『人ななぜ戦争をするのか』をご参照ください)。

 動物は、自らの子孫を次世代に残すことに全霊を傾けます。これは動物全般に認められる、いわば自然の摂理です。しかし、人間は文化に従って生きているため、「自らの子孫を次世代に残す」という自然の摂理を、必ずしも体現しない可能性を持っています。そのため人間の子育てでは、自らの子孫を次世代に残すことを第一に考えない行為、つまり子どもを虐待したり、殺害したりすることが起こり得るのです。

 

子育ての伝承

 では、本能に従っていないとすれば、人はどのように子育てを行うのでしょうか。

 人の子育ては、親の世代から子の世代へと代々伝承されてきました。これは遺伝子や本能によって決められているのではなく、文化によって決められています。伝統的な社会には伝統的な社会に特有の、近代西洋社会には近代西洋社会に特有の子育ての方法が、それぞれ伝承されてきました。

 伝統的な社会では、子育ての方法は社会全体で共有され、社会全体で伝承されてきました。社会では、男女の役割も、親の役割も、社会での役割も代々伝承されるわけですから、社会の伝統を継続させる子育てを、そのまま次世代に伝えることが最も重視されました。

 これに対して、近代以降の子育ては大きく変化しました。社会の価値観が「伝統」よりも「進歩」を重視するようになったため、男女の役割も、親の役割も、社会での役割も、社会の「進歩」に伴ってさまざまに変化しました。親の世代の子育ては、子どもの世代では通用しなくなる可能性が生まれました。

 加えて、近代化によって個人主義が確立されると、家庭は大家族から小家族になり、さらに核家族化されました。すると子育ては主に母親が担うようになり、母親が子育てに果たす役割が格段に増しました。

 このような条件の下で、母親や父親に子育ての仕方が充分に伝承されなかった場合には、育児に危機的な問題が起こる可能性が出てきたのです。

 

子どもが理解できない

 前回のブログで、赤ちゃんがお母さんと離れる時間が多くなると、赤ちゃんの精神世界の中では、お母さんとの間に時間的にも空間的にも何も存在しない空虚な間隙が出現することを指摘しました。そして、この精神世界の空虚な間隙を埋めることができないと、「心の中にぽっかり穴が空いている」状態が生じることを検討しました。

 この状態のまま成人し、母親や父親になった場合には、どのようなことが起こるのでしょうか。

 再び、ウィニコットのシェーマを用いて考えてみましょう。

 

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           図1             図2

 

  図1は、子どものこころの中に、空虚な間隙が残ったままの状態を現わしています。この状態では慢性的な不安感、空虚感が持続するだけでなく、母親を中心とした対象世界と、相互のコミュニケーションを充分に取ることができません。そこでこの間隙を埋めるために、趣味や遊び、理想の他者、宗教や哲学や芸術、さらには依存や強迫や妄想に没入するといったさまざまな手段がとられます。それでもこの空虚な間隙は埋められるとは限らず、こころの中にぽっかりと空いた穴は、常に見え隠れしています。

 図2は、こうした精神世界を持ったまま成長し、自らが親の立場になった場合を示しています。こころの中に空虚な間隙が存在したままの親は、子どもと相互のコミュニケーションを充分に取ることができません。その結果として、自分の子どもを子どもとして理解できなくなることが起こります。

 

鬼畜のような親

 「自分の子どもを子どもとして理解できない」ことは、本当に起こりえるのでしょうか。そして、「自分の子どもを子どもとして理解できない」ことが、虐待と関係しているのでしょうか。

 ここで、虐待が実際に事件になった事例を取り上げてみましょう。

 石井光太氏の『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』1)には、わが子を虐待し、死に至らしめた3つの事件が詳細に記されています。

 その3つの事件の概要は、以下のようです。

 

厚木市幼児餓死白骨化事件」 未熟な夫婦が5歳の子をアパートに放置し、死に至らしめたうえ7年間も放置していた事件。

下田市嬰児連続殺害事件」 奔放な男性遍歴の果てに妊娠を何度も繰り返し、周囲に隠して二度にわたって出産したうえ、嬰児の遺体を天井裏や押し入れに隠した事件。

「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」 夫婦が3歳の次男をウサギ用ケージに監禁したうえ、騒ぐ子どもにタオルを咥えさせて窒息死させた事件。ペットの犬を捨てた荒川に次男も捨てたが、遺体は未発見のままである。2歳の次女は犬の首輪で拘束されていた。

 

 以上の事件の概要を聞くと、わが子を死に至らしめた3組の親たちは、人間のこころを持たない鬼畜のような存在さえに思えるでしょう。

 

親たちは鬼畜ではなかった

 しかし、彼らは人のこころを持たない鬼畜でも、血の通わぬ悪魔でもありませんでした。石井氏は同書のプロローグで、次のように指摘しています。

 

 「妻が、夫に宛てて送った手紙が手元にある。

 

 パパへ

 久しぶり(2週間弱)の面会だったね。久しぶりだったけど顔見れて元気そうで良かった!! 手紙出してくれたっていうから、楽しみに待っていたんだよ。私からの手紙も、パパは楽しみにしてくれてるカナ?

 4月にオウチに帰ってこれるカナ?って思って半分期待していたけどやっぱり無理だったね。(中略)厳しいカナ? 厳しいカモだけど、それを目標にしないと、ガンバレないからさ!! 5月は大事な記念日もあるし、小学校はじめての運動会もあるしっ!

 パパがいない家は、やっぱり寂しいよ。(中略)泣きたいけど子供の前では泣かない様にしているから夜中はね。私の今の支えは、面会に行って15分パパの顔を見て話する事位カナ?こんなんぢゃ、ダメなのはわかっているんだけどね・・・(中略)

 子供たちにも何となく聞いたけど・・・皆『パパが大好きだからママとパパを待つ』って言っているよ!! 私より子どもたちの方が大人だよね。(中略)早く皆で幸せになりたいな。。。パパがよく言っているけど・・・今の私や子供達はパパが作った家族ぢゃん! なのにパパ本人がいなかったら、誰も幸せなんかなれないんだからね!!(以下略)

 

(中略)

 夫婦はこの手紙を出してから約二年後に警察に逮捕されることになる。容疑は、実子への虐待、殺人、死体遺棄などだ。

 夫婦は手紙のやり取りの直後に、三歳になる次男をウサギ用ケージに三か月にわたって閉じ込めて殺し、亡骸を遺棄した。さらに、次女には犬用のリードをつけて自由を奪ったうえで殴る蹴るの暴行を加え、全治二週間の怪我を負わせた。しかも犠牲となった二人の子供にはほとんど食事を摂らせず、部屋に監禁して外に出すこともなかった。

 マスコミは一斉にこの夫婦を『鬼畜』と呼び、その所業を全国に広めた。だが、報道とは裏腹に、その暮らしは手紙にもあるように、夫婦の間でも、親子の間でも、お互いをいつくしむ言葉が交わされたいたのである」(『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』1-3頁)

 

愛していたけど殺してしまった

 石井氏は続けて、次のように述べています。

 

 「直に加害者である親に話を聞くと、彼らはそろって子供へのゆるぎない愛情を口にする。子供は自分にとって宝だ、親心を持って手塩にかけて育ててきた、家族はみんな幸せだった、と言うのだ。

 冒頭に紹介した手紙を、もう一度読んでみてほしい。それを加害者の虚言だと、果たして言い切れるだろうか。彼らのなかにも子供を思う気持ちはあったのだ。

 それは、これまでインタビューをした多くの児童虐待の親たちに当てはまることでもある。少なくとも私は、子供が憎くてたまらず殺したという親には会ったことがない。

(中略)

 取り上げた三つの事件の親たち。彼らが、法廷や私の前で異口同音に語った言葉がある。

ー愛していたけど、殺してしまいました(『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』4頁)

 

 子供を虐待し、殺してしまった親たちが、自分の子どもたちを「愛していたけど殺してしまった」のはなぜなのでしょうか。

 次回以降のブログで、検討して行きたいと思います。(続く)

 

 

文献

1)石井光太:「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち.新潮社,東京,2016.