民主主義はなぜ根付きにくいのか(2)

f:id:akihiko-shibata:20180307010654j:plain

 

 フロイトは、トーテミズムの中にエディプス・コンプレックスを発見しました。では、なぜ未開社会において、エディプス・コンプレックスを孕んだトーテミズムという社会制度が形成されたのでしょうか。

 フロイトはここで、大胆な仮説を提唱しています。それが原父殺害の仮説です。

 この仮説には、Ch.ダーウィンアトキンソン、そしてW.ロバートソン・スミスの幾つかの理論的思索が用いられていますが、それらは考古学的な証拠によって立証されたものではありません。この仮説は、あくまでフロイトによって創作された、いわば原父殺害の物語です。

 

 

父親を殺害してその肉を食べる!

 それでは、この物語を見て行くことにしましょう。
 太古の時代、原人たちは小さな群れを作って生活していましたが、いずれの群れも力の強い一人の男性原人の支配下にありました。この男は、彼の息子を含めた群れの男たちを力ずくで追放し、群れのすべての女を独占していました。フロイトは、これが人類の最初期の「社会的組織」だと考えました。
 この組織を変革する次の決定的な歩みは、追放されて集まって生活していた兄弟たちが、皆で結託して父親を打ち殺し、当時の習慣に従って父親を生のままで喰い尽くしてしまったことです。

 

 「ある日のこと、追放された兄弟たちが力をあわせ、父親を殺してその肉を食べてしまい、こうして父群にピリオドをうつにいたった。(中略)暴力的な父は、兄弟のだれにとっても羨望と恐怖をともなう模範であった。そこで彼らは食ってしまうという行為によって、父との一体化をなしとげたのである。父の強さの一部をそれぞれが物にしたわけである」(『トーテムとタブー』1)265頁)

 

 兄弟たちが力を合わせて殺してしまった暴力的な父親は、兄弟の誰にとっても羨望と恐怖を伴う模範でした。だからこそ彼らは、父親と同一化しようとして、父親を食べてしまったというのです。

 

トーテム饗宴

 兄弟が結託して父親を殺し、その肉を食べてしまったという現代からはおよそ考えられない立論の根拠を、フロイトは未開社会に存続するトーテム饗宴に求めています。トーテム饗宴では、普段は禁止されているトーテム動物の殺害が容認され、生贄として殺した動物を皆で食べてしまいます。この行為こそ、かつて行われた父親の殺害を再現しているのだとフロイトは指摘しています。

 

 「おそらく人類最初の祭事であるトーテム饗宴は、この記憶すべき犯罪行為の反復であり、記念祭なのであろう」(『トーテムとタブー』265頁)

 

 生贄にされるトーテム動物が父親の代わりであったことは、既に述べてきた通りです。だからこそ、トーテム饗宴においても、その動物を殺しておきながら悲しんだりするという矛盾がみられるのです。それは、彼らがかつて父親に抱いていた感情と同じものであり、エディプス・コンプレックスと同様のアンビヴァレントな感情が示されたものでした。

 

タブーの成立

 父親殺害を成し遂げてしまった後には、敵意と憎悪の感情は解消され、愛情と尊敬の念のみが残ることになりました。すると、それはやがて悔恨の感情が生まれることへと繋がって行きます。この悔恨に基づく罪の意識が、トーテム動物を殺さないというタブーが作られるための源泉になりました。
 取り返しのつかない行為を遂げてしまったという罪悪感に苦しんだ彼らは、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓いました。その思いは父の代替であるトーテムに移され、トーテムを殺してはならないというタブーとなって行きました。こうして、最初のタブーである、トーテム動物を殺害しないというタブーが生まれました。
 ところで、兄弟たちが結託して父親を殺そうとしたのは、父親が支配していた女たちに欲望を向けたからでした。つまり、女たちへの欲望を叶えるために、兄弟たちは父親を殺してしまったのです。したがって、父親殺害のタブーを強固にするためには、父親が支配していた女たちに、二度と欲望を向けてはならないと考えられました。

 こうして、もう一つのタブーである、同一トーテムに属する女との性交を禁止するタブーが生まれました。

 

自ら課した禁止

 この近親性交のタブーは、さらに実際的な根拠も備えていたとフロイトは指摘しています。父親を倒すために兄弟たちは団結しましたが、父親がいなくなった後は、女については互いに敵同士の関係になりました。各自が父親と同じように女を独占しようと争っていては、新しい組織は滅びてしまいます。そこで、兄弟たちが共同生活をしようとすれば、近親性交を禁止する掟を作るより仕方がありませんでした。
 この禁止によって、彼らはみな同じく、自分たちが熱望していた女たちを断念することになりました。ここから、兄弟同盟のすべての成員に平等の権利を認め、彼らの間での暴力的な競争への傾向を阻止する新たな掟が生まれたフロイトは言います。この掟は、父親を殺害した後に成立した新たな秩序を、長期間にわたって維持するという必要性から作られたものでした。

 しかし、考えてみれば、女たちへの欲望の断念は、元来は父親が妨げていたものでした。父親によって強制的に押さえつけられていた欲望を、父親の存在がなくなってから、息子たちは自ら禁止することになりました。父親の掟は、父親が殺害されたことによって初めて、息子たちの中に生き続けることになりました。つまり、トーテミズムを支えるタブーは、父親の殺害なくしては存在し得なかったのです。

 

社会組織の原点

 さらにフロイトは、この犯罪行為から、社会組織、道徳的制約、宗教などが始まったと指摘しています。

 

 「まず父性群にかわって、血縁によって保証されている兄弟族が生じた。今や社会は、共同で行った犯罪にたいする共犯に、宗教は犯罪についての罪意識と悔恨に、道徳は、一部はこの社会の必然に、また一部は罪意識の要求する懺悔に、それぞれ基礎をおくことになるのである」(『トーテムとタブー』269頁)

 

 トーテミズムの根底には、原父殺害という犯罪行為が存在していました。この結論から導かれた、人類社会の起源とは何かという問いに対する答えは驚嘆すべきものです。社会は、父親殺害の共犯者たちの集団として出発している。つまり、殺人の共犯者たちの集団、それが社会の原点であるとフロイトは言うのです。
 この身も蓋もない回答は、われわれを落胆させ、あるいは自尊心を傷つけることになるかも知れません。意味のない暴論であると片づけることも可能でしょう。しかし、現実に目を移すとどうでしょうか。小さな原始社会は集合離散を繰り返しながら巨大化し、国家という集団となって、やはり集団殺戮という「トーテム饗宴」を繰り返しているのではないでしょうか。
 それはさておき、本題に戻りましょう。重要なのはこの後です。父親殺害の共犯者の集団であるからこそ、その罪の意識と悔恨から、そして、さらなる殺害を繰り返して社会を解体させないために宗教や道徳が生み出されました。

 宗教や道徳は、こうした切羽詰まった状況で成立しました。それは、あった方がいいがなくても困らないというような代物ではありません。また、人間の探求心や良心が創り上げたものでもありません。それらがなければ、人間の社会は消滅してしまったかも知れません。つまり、宗教や道徳は、社会が成立するためには必要不可分であって、社会構造と表裏一体をなすものなのだとフロイトは指摘しているのです。

 

トーテムから神へ

 さて、この物語の続きを簡単に触れておきましょう。
 フロイトは、トーテミズムに続く次の進歩は、崇拝される存在の人間化であると述べています。トーテム動物が、やがて人間の姿をした神に変貌して行きます。そもそもトーテム動物は殺害された父親の代替として生まれたのですから、それが再び父親としての姿を取り戻したわけです。この経緯をフロイトは、凶行にまで駆り立てた父への憤怒が時の経過とともに静まって、代わりに父への憧憬が増大してきたからだと説明しています。
 こうして生まれた神は、高められた父親に他なりません。したがって神は、圧倒的な力を持ち、愛情と尊敬と畏怖の念を一身に集めていたかつての父親の姿を継承しています。
 しばらくの間は、各トーテムから生まれた神々が並存する多神教の時代が続きました。その後、種族や民族間の戦いの中で離合集散が繰り返され、社会集団はより大きな単位としてまとめられます。その過程で、神々も次第にひとりの神へと統合されて行きます。そして、いかなる他の神々も並び立つことを許されぬという断固たる決定が下され、ついには唯一神に全能を委ねる一神教が誕生することになった、とフロイトは指摘しています。

 され、これまでにフロイトがトーテミズムから紡ぎだした社会原点の物語、すわわち原父殺害の物語について述べてきました。この物語は、遠い過去にあったかもしれない、単なる空想の物語ではありません。近代のヨーロッパにおいてこの物語は現実のものとして再現されたのです。

 次回のブログでは、再現された原父殺害の物語について検討したいと思います。(続く)

 

 

文献

1)フロイト,S.(西田越郎 訳):トーテムとタブー.フロイト著作集3,人文書院,京都,1969.