民主主義はなぜ根付きにくいのか(3)

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 前回までのブログで、フロイトがトーテミズムから紡ぎだした、原父殺害の物語について述べてきました。この物語は、近代のヨーロッパにおいて現実のものとして再現されます。

 そして、この物語が再現される過程で、民主主義は誕生するのです。

 

中世ヨーロッパの変質

 ヨーロッパの封建社会が変質し始めたのは、11世紀末に始まった十字軍の遠征からです。遠征は聖地エルサレムの奪還を名目に始められましたが、本来の目的は、イスラム教社会から劣勢に立たされていたキリスト教社会が、教皇の名のもとに執拗に戦いを仕掛け、自らの優位性を勝ち取ることにありました。

 約200年の間に7回にわたって繰り返された十字軍の遠征は、聖地を奪回することなく終わりました。遠征は当初、主唱者だった教皇の世俗的権威を大いに高めましたが、その後の相次ぐ遠征の失敗は、逆に教皇の威信を急速に低下させることに繋がりました。さらに、優秀なイスラム文化との接触はヨーロッパ文化に影響を与え、文化の革新が押し進められました。

 十字軍遠征の結果、キリスト教社会に対するイスラム教社会の優位は動かしがたいものであることが明確になりました。文化においても軍事においても、イスラム教社会はヨーロッパを凌駕していたのです。この事実が明白になったことは、キリスト教社会に計り知れない衝撃と自尊心の低下をもたらしました。
 その結果、ヨーロッパ世界には二つの大きな変革の波が起こりました。それが、ルネサンス宗教改革です。これらの変革を宗教的側面からみれば、前者はキリスト教的世界観からの一時的な離脱であり、後者はキリスト教的世界観の革新でした。

 

イスラム文化から生まれたルネサンス

 まず、14世紀にイタリアを中心に起こり、その後他のヨーロッパ諸国にも拡がっていったルネサンスを見てみましょう。

 「ルネサンス」という言葉がもともと再生・復興を意味しているように、ルネサンスでは、ギリシア・ローマ文化の-それは芸術、科学だけでなく、政治、社会、宗教にまで至る-再生と復興が目指されました。その背景には、都市の発展や封建制度の解体などの社会的な要因がありますが、ルネサンスにおいてギリシア・ローマ文化の復興が目指されたのには、次のような心理的な要因も存在していたと考えられます。
 イスラム教社会の先進性に圧倒されたヨーロッパの人々は、イスラム教社会に対抗するために、新たな文化を創造しようと躍起になっていました。その際に、イスラム文化の中に受け継がれていたギリシア・ローマ文化を発見しました。そこで、これらの文化をヨーロッパ文化の源流であると捉え直すことによって、かつてのヨーロッパ文化の先進性を再確認し、失われた自尊心を回復しようとしました。
 この試みは、当時の文化を否定することによって始められました。中世を支配したキリスト教的世界観、すなわち神を中心とした世界観から離脱することによって、初めて現状をあるがままに直視し、伝統の束縛から解放されることが可能になりました。同時に、ギリシア・ローマ文化を研究することによって、古典の復興と模倣が試みられました。

 やがて、ルネサンスは単なる模倣にとどまらずに、ギリシア・ローマ文化を媒介とした新しい世界観と人間観の確立へと進みました。そこでは、人間を人間として理解し、人間独自の価値を承認する人間中心の考え方が生まれました。

 こうした過程を経てルネサンスでは、中世の伝統からの自由と独立が達成されたのです。

 

キリスト教的世界観からの一時的な離脱

 しかし、ルネサンスにおける自由と独立の精神は、宗教改革後に発達した自由と独立の精神とは根本的に内容を異にしていました。
 ルネサンスでは、キリスト教的世界観からの離脱が目指されましたが、キリスト教の否定にまで至ることはありませんでした。また、ルネサンスにおける自由と独立は、神を中心とした世界観から永遠に離脱することを意味しませんでした。それはあくまで、伝統的なキリスト教的世界観からの一時的な離脱によってもたらされる自由と独立でした。
 エラスムスが『愚神礼賛』を著して、教会、僧侶、狂信者、スコラ学などを攻撃することはありましたが、一方ではルネサンス様式の教会が建造されたり、宗教的なテーマをモチーフとした絵画や彫刻作品が数多く創作されたことからも分かるように、ルネサンスにはキリスト教的世界観が色濃く残されていました。ルネサンスの原理は、いわば教会倫理との折衷によって支えられたのであり、まったく新しい社会秩序の建設を目指したのではありませんでした。
 そのため、中世の伝統やキリスト教的世界観からの離脱によって始められたルネサンスは、やがて再建されたカトリック教会と抱き合い、総じて反宗教改革の文化として受け継がれて行きました(フランスやドイツの人文主義のように、一部は宗教改革と結びつき、啓蒙思想へと発展した部分もありますが)。そこには、後述する神からの自由と独立という精神は存在しませんでした。

 

上層階級の文化

 また、ルネサンスは、フィレンツェメディチ家に代表される富裕な新興市民や、貴族、都市の支配者などの上層階級の文化でした。彼らは、自らの富と力によって、自由の感情と独立の自覚を持つことができました。

 しかし、一般の大衆は、自由と独立を支える経済的基盤を持てなかったばかりでなく、中世の社会制度がもたらしていた安定感と帰属感をも失うことになりました。このように、ルネサンスにおける自由と独立は、一部の上層階級者が占有したにすぎず、一般庶民にまで浸透したわけではなかったのです。

 

宗教改革

 これに対して宗教改革は、キリスト教の教義を根本的に捉え直し、そのことによって新しい社会秩序を導く成果をもたらしました。しかも、宗教改革を支持したのが都市の中産および下層階級と農民であったため、その社会的影響はいっそう大きなものとなりました。
 宗教改革は、原始キリスト教時代の精神に立ち帰ることによって、腐敗、堕落した教会の改革を目指す運動でしたが、その隠された目的は、キリスト教を厳格な一神教として蘇らせることにありました。イスラム教社会に対する劣等感を克服するためには、イスラムの神を超える全能の神を戴くことが、ヨーロッパの人々にとって必要だったのです。

 ルターが、聖書を唯一の典拠とするべきだと主張し、人間を義とするのはすべて神の恵みであるという神学的解釈を打ち立てたことは、教皇や教会の権威を失墜させる一方で、神の全能性をいっそう際立たせることに繋がりました。さらに、カルヴァンが予定説を唱え、その教義が徹底されることによって、神の全能性は究極の領域にまで達することになりました。

 

予定説

 予定説によれば、人々が救われるか否かは、神がその自由な意思によってすべて決定しているとされます。ここでいう神の自由な意思による決定とは、次のような意味における決定です。
 たとえば、人々が心をこめて信仰を貫いても、善き行いをしても救われるとは限りませんし、逆に、何をしなくても、たとえ悪事を働いたとしても救われるかも知れません。信仰に対する善悪の判断などは、しょせん人間が作ったものであり、人間の是非善悪の基準で神の意思を推し量ることなどできることではありません。

 したがって、予定説では誰が救済されるかは、あらかじめ神によってすべて決められているのであり、人間がどのように振る舞おうとも、その決定が変えられることはあり得ないことです。
 さらに予定説では、人間の救済だけでなくキリストの贖罪の死でさえ、永遠の昔から神が予定していたのだと説いています。つまり、予定説によれば、神はこの世界を創造しただけでなく、この世界がどのように進行して行くか、世界の終末において誰を救済し誰を救済しないかを、人々の思惑とはまったく関係なくあらかじめすべて決定していることになります。予定説で現される神とは、これほどまでに決定的な力を持つ全能の存在になったのです。

 

全能の神に支配される人々

 では、予定説の教義によって、自由と独立の精神はどのような影響を受けることになったのでしょうか。予定説は、次のように説いています。
 救済を約束されている人々は、柔軟な心をもって神の意思に従い、神が定めた善きことを行うようになり、救済されない人々は、頑なな心で信仰を拒み、自らの欲望とサタンの誘惑に従って罪を犯すようになります。
 これは、信仰を重んじて善行をなした者が救済され、信仰を軽んじて悪行を重ねた者が救われないことを意味するのではありません。両者は一見同じことを言っているようにみえますが、原因と結果がまったく逆になっています。

 つまり、予定説では、神があらかじめ救済を予定した人であるために、本人の意思とは無関係にキリスト教を信仰して善行を行うように予定されているのであり、頑なに信仰を拒絶する人は、神の救済が予定されていないために、いくら努力しても自らの意思では善行を行えないのです。ここでも神は、人間の意思や行動さえも、あらかじめすべて決定しています。
 このような考えに立つと、絶対の神の前において、従属する人間には自由と独立の精神が入り込む余地がまったく存在しないことが分かります。人間の運命も、さらには意思や行動さえも、すべて全能の神によってあらかじめ決定されているからです。

 予定説によって、神は何者にも影響を受けることのない自由な意思ですべてを決定できる存在になり、それに対して人間は、自由な意思や行動を持つことすら許されず、自らの運命を一方的に決められる存在になりました。

 さて、全能の神を戴くことになった人々は、フロイトが描いたような原父殺害の物語を現実の社会において反復することになります。

 ではこの続きは、次回のブログに譲ることにしましょう。(続く)