資本主義はなぜ世界を席巻しているのか(4)

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 プロテスタンティズムの倫理から生まれた資本主義の精神は、西欧諸国の資本主義を発展させる原動力となりました。しかし、キリスト教の神はやがて、社会の表舞台から退場して行きます。では、神のいなくなった資本主義の社会は、どうなっていったのでしょうか。

 引き続き、アメリカ社会の変遷をみていくことにしましょう。

 

黄金の20年代

 神が退場したアメリカ社会には大衆文化が浸透し、経済は繁栄を続けました。1920年代のアメリカ社会には、黒人文化から興ったジャズ音楽が普及し、ハリウッド発の映画産業が発達し、ラジオやレコードや大衆紙が文化の大衆化に大きな役割を果たしました。商業主義を通して文化は娯楽と化し、都市生活は性の解放の風潮と共に享楽的になりました。それまで上層階級が占有していた文化は、文化の通俗化によって広範な大衆層が担うようになりました。
 こうした経済的繁栄は、アメリカ社会に「黄金の20年代」を創り出しました。人々は楽観的なムードのなかで、アメリカの繁栄を謳歌しました。経済の好況は永遠に続くかのように思われました。

 1929年3月に大統領に就任したフーヴァーは、就任演説で「未来は希望に輝いている」と結びました。しかし、そのわずか半年後に、アメリカ経済は未曾有の事態に巻き込まれることになったのです。

 

世界恐慌

 1929年10月24日、ニューヨーク株式市場は、突如として株価の大暴落に見舞われました。株価の暴落は世界に飛び火し、世界経済を深刻な状況に陥れました。いわゆる世界恐慌の始まりです。
 アメリカの株価はその後も下がり続け、1932年にはピーク時の6分の1以下になりました。アメリカの銀行の3分の1以上が、閉鎖もしくは吸収されました。工場や会社が次々と倒産し、あらゆる経済活動が停滞しました。

 労働者は職を失い、職と食を求めてさまようホームレスが現れました。アメリカの失業者は33年には1283万人にのぼり、この数は全労働者の実に4人に1人に相当しました。国民総生産は毎年1割ずつ減少し、33年には実質でピーク時の7割、時価ではほとんど半減しました。毎年の年末には全国で飢餓行進が行われ、救済機関の前にはパンや衣服を求める人々の長い列ができました。社会秩序は混乱し、人々の不安は頂点に達しました。

 

大恐慌の要因

 世界恐慌が起こった原因については、種々の説明がなされています。直接のきっかけは株価の大暴落であり、これは不健全な投機活動の所産でした。20年代のアメリカでは、株価が上昇を続けるなかで株に手を出す者も増加し、不健全な投機熱が生ずるまでになっていました。
 しかし、問題は金融だけでなく、経済全般に渡っていました。当時のアメリカ経済の根底には、生産力と消費力との間に構造的不均衡が存在していました。所得分配の不均等性が増大し、一般消費者の所得の増加は、生産規模の拡張よりも大幅に遅れをとっていました。

 また、一部の斜陽産業の存在や農業部門の慢性的不況も、購買力の足を引っ張っていました。さらに、機械化の進展による技術的失業者の存在、国際経済の不均衡なども世界恐慌の原因であると考えられています。
 世界恐慌の原因はそれだけではありません。世界恐慌の発生後、アメリカの銀行は3分の1が消え、マネーサプライは35%減少しました。このとき連邦準備制度が有効に機能し、マネーサプライを増加させる様々な政策を採っていたら、景気はあれほど悪化しなかったのではないかと言われています。
 また、第一次世界大戦後に復活した金本位制が各国の経済政策を縛っていたことも、景気の回復を遅らせた要因であると考えられます。世界各国は金本位制によって結びついていたので、どの国も自国の経済状態だけに合わせた政策を採ることができませんでした。

 事実、金本位制から早く離脱した国ほど、景気は早く回復しました。イギリスは1931年9月に金本位制を離脱し、すぐに景気回復が始まりました。アメリカは1933年3月に離脱し、景気回復が始まりました。フランス、オランダ、ポーランドは1936年まで金本位制固執したため、経済の停滞が続きました。スペインに至っては第一次大戦後に金本位制に復帰しなかったので、大恐慌の被害に遭うこともなかったのです。

 

大恐慌心理的要因

 以上のような経済的、政治的な要因に加えて、世界恐慌の発生には心理的な要因も重要な影響を与えました。宗教・文化的な観点から、それを検討してみましょう。
 1920年代のアメリカ社会に大衆文化が花開き、都市生活が様々な欲望を解放して人々が享楽的になったのは、社会の中心に神が存在せず、人々が神の掟に縛られなくなったことの現れでした。現世での禁欲を説く教えに耳を傾ける人はわずかになり、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と説いたイエスの教えを顧みる人は少なくなりました。人々は競って富を得ることに熱中し、得た富によって享楽的な生活を謳歌するようになりました。
 アメリカは、富さえあれば、あらゆる欲望をかなえることが可能な社会になりました。富の多さは力の強さであり、社会的なステータスでした。多くの富を所有することは、現世における「神の国」に入るための約束手形となりました。

 そして、神と神の掟から自由になった人々は、「未来は希望に輝いている」と錯覚し、経済的繁栄は永遠に続くものと考えました。人々は万能感に浸り、現実が見えなくなっていました。いわば、社会全体が浮かれ、「躁状態」になっていたのです。

 

現実への直面

 神の掟からの開放感によって現実から解き放たれ、躁状態になっていたアメリカ社会は、やがて現実に直面することになります。勤勉と節約の徳を忘れ、享楽的な生活を送る人々が増加すれば、生産活動が停滞して行くのは当然の帰結でした。
 一方で、享楽的な生活を送った人々の消費活動は、すぐに頭打ちになりました。旺盛な購買力を維持するためには、何よりもまず、労働による所得が増加しなければならないからです。

 富が一部の層に集中していったことも、購買力の低下に拍車をかけました。このような状態が続けば生産も消費も縮小し、経済成長はやがて滞る運命にありました。それにも拘わらず、経済成長を自明のものとみなし、投機のみによって富を得ようとする者(彼らは実質的な労働をせずに、享楽的な生活を送ろうとした者であると言えるでしょう)が増加しました。株価は実体経済を反映しなくなり、やがて暴落するのは明らかでした。
 実際にこの現実に直面したとき、人々の受けたショックは計り知れませんでした。経済的繁栄は終焉を告げました。アメリカ社会は「地上の楽園」ではありませんでした。希望に輝いていると信じられた未来は、悲観的に彩られました。そして、こんな時にこそ人々を救い導いてくれる神は、すでに社会の表舞台から失われていたのです。

 

不況とうつ状態

 こうしてアメリカ社会には、冷水を浴びせかけられたように楽観に満ちた空気が失われ、代わりに一気に無力感が噴出しました。人々は自信と意欲を喪失し、生きて行く希望を失いました。かといって、現実がどんなに苦難に満ちていようとも、やがて訪れる神の国で救済を得られるという教えにすがることはできなくなっていました。残されたものは、悲観と絶望だけでした。アメリカ社会は「躁状態」から一転し、「うつ状態」に陥りました。
 アメリカの大恐慌がこれほどまでに深刻化し、長期間続いた重要な原因の一つは、アメリカ社会が重症のうつ状態に陥っていたからです(ちなみに、経済不況とうつ病は、英語では共にdepressionと表記されます)。社会にうつ状態が蔓延していたからこそ、人々は経済の将来に悲観的にならざるを得ませんでした。

 人々が景気はより悪くなると悲観することによって、消費はさらに冷え込みました。企業が景気の予測を悲観的に捉えれば、投資は控えられざるを得ませんでした。銀行は、企業や個人の破産を恐れるあまり資金を貸し渋るようになりました。これらはいずれも、景気後退をいっそう悪化させる要因となりました。

 

経済的な罰

 さらに、フーヴァー政権は、大恐慌1920年代の過剰な投機に対する経済的な罰であると考えていました。そして、多数の倒産が生じたとしても、それは仕方のないことであると捉えていました。

 そのためフーヴァー大統領は、正当な財政原理に忠実に従ってさえいれば景気回復は間違いなく訪れると国民に訴えるだけで、未来に向けた有効な景気回復策を打ち出すことができませんでした。フーヴァーだけでなく、当時の少なからぬ知識人たちは、恐慌は過去の罪に対する報いであると信じていました。
 この思考様式は、うつ病において典型的にみられる思考様式と同じです。うつ病者は、現在の不幸の原因が過去に犯した罪にあると考え、未来に絶望して過去への悔恨ばかりに囚われます。当時の人々の多くは、同様の思考様式に囚われて過去に執着し、未来に向けて有効な第一歩を踏み出せずにいました。

 

本当の罪とは

 ただし、「過去の罪」の本来の内容とは、「1920年代の過剰な投機」などではありません。本当の過去の罪とは、人々が神を顧みなくなったことでした。神を顧みなくなったからこそ彼らは勤勉と節約の徳を忘れ、禁欲的生活を放棄し、その結末の一つとして過剰で不健全な投機を行ったのです。

 さらに、経済的苦境に立たされたとき、彼らを救ってくれるはずの神はもう社会の中心にはいなくなり、将来幸せに満ちた神の国に導かれる望みも絶たれていました。つまり、現在の苦しみの原因は、神の教えに背を向けたからに他なりませんでした。

 ところが彼らは、「神に対する罪の意識」を無意識の中へと抑圧していました。そのため「神に対する罪の意識」を、それ自体として認識することができなませんでした。そこで、この罪の意識が「1920年代の過剰な投機」として変装させられ、人々の意識の中に現れました。本当の罪の内容を意識化することなど、その罪の重さからして、当時においてはとてもできることではなかったのです。

 以上のように、神が失われた社会からは資本主義の精神が失われ、それは世界恐慌の重要な要因になりました。果たして、そこから抜け出す途はあったのでしょうか。(続く)