人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(17)

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 わが子を虐待し、殺してしまう親たちは、子育ての仕方を親や祖父母から教えられていませんでした。それだけでなく、子育てにふさわしくない行動を、無意識のうちに親から受け継いでいました。さらに、わが子を殺してしまう原因として、自分の子どもを子どもとして捉えられないだけでなく、ペットやものとしてしか認識できていないことが窺われました。

 こうして引き継がれる子育ての負の連鎖を、断ち切ることはできないのでしょうか。

 今回のブログでは、令和元年5月27日にNHKで放送された、ミッドナイトドキュメンタリー『長屋家族』を題材にして検討してみたいと思います。

 

虐待を受けて育った母親

 大阪の古い長屋で子育てをする櫨畑敦子(はじはたあつこ)さんは、子ども支援のNPOで働く33歳のシングルマザーです。彼女は、4人家族の長女として育ちました。日常的に父親から暴力を受けて育った彼女は、男性と長い時間一緒にいるとつらい記憶が蘇り、息苦しくなる症状に苦しんできました。

 そのため櫨畑さんは、結婚をしないまま長女を出産し、娘と二人で生きることにしました。住まいも収入も別々になりましたが、娘と父親とのつながりは維持しました。1歳8ヶ月になる長女の光(ひかり)ちゃんは、インターネットを通じて、父親とのやりとりを続けています。

 このように櫨畑さんは、自分の父親との記憶に苦しみ、敢えてシングルマザーになる道を選びました。しかし、娘のために何ができるかを考えた末に、周囲の人たちの力を借りて子育てをする決意をしました。 

 

子育てを手伝う独身男性

 長屋の3軒隣に住む藤田健一さんは、介護施設で働く33歳の独身男性です。彼は櫨畑さんから子育てを手伝ってもらえないかと頼まれ、週に3回光ちゃんをあずかっています。食事を作って食べさせ、おむつを替え、お風呂に入れてくれる藤田さんに、光ちゃんは今ではすっかりなついています。その姿は、実の父娘のようです。

 櫨畑さんは、光ちゃんをあずけることについて、「母親しかよりどころがないという状態より、いろんなところに家族のような人がいて、いろんな人から大切にされて、たくさんよりどころがあるというのは、ああいいなあみたいな。自分が祝福されているな、自分が受け入れられていると思えたらいい」と話します。

 実は藤田さんには、忘れられない辛い出来事がありました。9年前に、唯一こころを許せた友人が自殺してしまったのです。藤田さんは、何を思って生きて行ったらいいのかわからなくなりました。でも、光ちゃんをあずかって一緒に過ごすうちに、気がつけば前を向けるようになっていたといいます。「こころの溝みたいな、穴みたいものが埋まった。自分も生きていようと思えるようになった」と藤田さんは話しています。

 

光ちゃんを抱っこできない女性

 長屋のママ友の集まりの輪に、入りきれないでいる女性がいました。3年前に長屋に引っ越してきた梅山真由美さん(39歳)です。

 彼女は4年前に不妊治療を行ってようやく妊娠しましたが、流産しました。その後 長屋で櫨畑さんに出会い、彼女の出産までの生活を支えました。ところが光ちゃんが生まれたとき、梅山さんは光ちゃんを抱くことができませんでした。「小さくて、壊れそうだったから」と梅山さんは語ります。

 梅山さんは週に1,2回櫨畑さんの家を訪ね、料理を作って来ては一緒に食べています。一緒の時間を過ごすことで、梅山さんなりに光ちゃんの成長を見守っ行こうとしたのです。

 

長屋に新しいメンバーが誕生する

 櫨畑さんは第二子を身ごもりました。長屋の人たちにこれ以上負担をかけたくないと思いましたが、長屋の人たちは「できる限りサポートするから、安心して産んでいいよ」と言ってくれました。櫨畑さんは、長屋の人たちは心の支えだと話します。

 出産が近づくと、光ちゃんに変化が現れました。櫨畑さんがほかの子どもをあやそうとしたとき、光ちゃんが泣き出します。出産が迫るなか、光ちゃんは不安がったり甘えたりすることが多くなったのです。

 そんなひかりちゃんに、藤田さんはクツを買ってあげることにしました。光ちゃんのクツが小さくなっていることに気づいたからです。

 櫨畑さんは、近所の助産院で出産しました。3130グラムの元気な男の子です。名前は「みち」君です。道なきところに道を作ってほしいという、長屋のみんなの願いが込められています。

 梅山さんは、今度こそ赤ちゃんを抱きたいと願っていました。その願い通り、生まれたばかりのみち君を、梅山さんは抱っこすることができました。そして、梅山さんは光ちゃんの送り迎えをするようになって、二人の距離は少し近くなりました。

 光ちゃんは藤田さんの買ってくれたクツをはき、お姉ちゃんとしての一歩を踏み出しました。

 

 足りないものがあっても補い合って暮らしていく、生きるために繋がる人たちです、と番組は結ばれています。

 

長屋という家族

 この番組では、長屋全体が一つの家族のように機能するさまが描かれています。各家族には血の繋がりはありませんが、助け合い、繋がりあう姿は、なまじの親族よりも結びつきがあるようです。

 古い長屋に住む人たちは、決して裕福ではありません。生きるために不利な条件を抱えている人もいるでしょう。だからこそ彼らは、お互いに補い合って暮らしているのであり、生きて行くための必要性から繋がり合っているのです。

 そのことは、必ずしも生活の貧しさを意味しません。生活を飾る高価なものはありませんが、気持ちを豊かにする人と人との密な関係が存在しています。こうした人同士の密な関係は、子育てにおいては非常に有用に働きます。

 

みんなに支えられて子どもは育つ

 赤ちゃんにとって、母親が重要であることは論を俟ちません。赤ちゃんはお母さんに抱っこされ、お乳を与えられて初めて、安心して育って行くことができます。

 しかし、同時に、赤ちゃんは母親だけが育てるものではありません。これまでのブログで検討してきたように、人間の子育てでは、親子が離れ、子が仰向けで安定していられることが、他の類人猿にはみられない特徴でした。そして、親子が離れて子育てを行うことが、子を早く離乳をさせ、手のかかる子どもを同時に複数育てるという人間特有の子育てに繋がりました。
 また、伝統的な社会では、子どもは親だけでなく、血縁者、近隣者などの多くの人の手を借りて育てました。さらに未開社会の部族では、母親が他人の赤ちゃんにも母乳を与え合って、部族全体で子育てを行う習慣が認められています。

 つまり、赤ちゃんに多くの者が関わるという子育てこそ、人間の社会が長い間培ってきた方法でした。核家族になって、子育てを両親のみで行う、さらには母親だけが赤ちゃんの世話をする子育ては、近年になって始まった、むしろ極めて特異な現象なのです。

 

長屋の子育ては伝統的な子育て

 番組で紹介された長屋での子育ては、伝統的な子育てに近いと言えるでしょう。大家族制による血縁者の育児こそありませんが、長屋の多くの人たちが参加する子育ては、伝統的な社会で認められる子育てと共通しています。

 櫨畑さんは、「母親しかよりどころがないという状態より、いろんなところに家族のような人がいて、いろんな人から大切にされて、たくさんよりどころがあるというのは、ああいいなあみたいな。自分が祝福されているな、自分が受け入れられていると思えたらいい」と語っています。いろんな人から大切にされて、たくさんよりどころがあれば、子どもの安全感や安心感は高まるでしょう。自分が祝福されているな、自分が受け入れられているなと感じることができれば、子どもは自己肯定感を育むことができるでしょう。

 また、沢山の人が参加する子育ては、母親の負担を軽減することにも繋がります。母親の負担が減れば、母親は余裕をもって子育てに臨めますし、余裕のある母親の態度は、子どもにいっそうの安心感を与えることになるでしょう。これは、余裕を失った親が虐待に走る現象と、正反対の親の態度であると考えられます。

 

 次回のブログでは、長屋での子育てについて、個々の人の心理に踏み込んで検討したいと思います。(続く)