ユダヤ人はなぜ虐殺されたのか(2)

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 前回のブログにおいて、ルターがキリスト教宗教改革を断行する一方で、反ユダヤ主義の主張も行っていることを検討しました。そして、一見関連性のないこの二つの行為が、実は根底において命脈を通じていることも指摘しました。

 では、この二つを繋ぐものとは何でしょうか。それを解明するために、再びフロイト精神分析理論を紐解いてみましょう。

 

ユダヤ人が迫害を受ける宗教的理由 

 フロイトは、『モーセ一神教1)の中で、ユダヤ民族が迫害を受ける理由を様々な角度から検討しています。
 フロイトはまず、その宗教的な理由を次のように述べます。

 

 「身についてしまった頑固さでもって父親殺害を否認し続けた哀れなユダヤ民族は、そのことで時代を通じて苛酷に罰せられるはめになった。彼らに向けられた非難はいつもこうであった。お前たちはわれわれの神を殺したのだ、と」(『モーセ一神教』135-136頁)

 

 ユダヤ人は、神と一体の存在であるイエス・キリストを殺害した。これは、キリスト教徒がユダヤ人を非難するために用いる常套句です。ただし、実際にはイエス政治犯として処刑したのはローマ人であり(十字架での処刑は、ローマの政治犯に対する処刑方法でした)、その背景にユダヤ人の強い後押しがあったのかどうかは意見の分かれるところです。
 しかし、フロイトは、「お前たちはわれわれの神を殺したのだ」という非難には、次のような意味が含まれていると言います。

 

 「この非難は、お前たちは神(神の原像、原父、そしてのちの世の神の生まれ変わり)を殺したのを認めようとしない、という意味なのだ。この非難に補足される言葉があれば、それはこうなるだろう。もちろんわれわれも同じことをした、しかしわれわれはそれを認めたし、われわれは以来その罪を贖ってきているのだ、と。反ユダヤ主義ユダヤの民の子孫を迫害するにあたって、これほど正当な理由はありえまい」(『モーセ一神教』136頁)

 

 フロイトは以前の著作である『トーテムとタブー』2)において、一神教における神の起源を、かつて集団を支配して殺害された「原父」に求めています。殺害された原父がやがてトーテム動物としてよみがえり、さらにトーテム動物が神となって行く経緯をフロイトはこの論文の中で解明しています。

 フロイトによれば、キリスト教においてもユダヤ教においても、この原父を殺害した罪は同じように存在していることになります。つまり、ここでは殺害した神とは、原父のことを指しています。
 両者の違いは、キリスト教では原父を殺害した罪を認め、ユダヤ教ではその罪を否認していることにあります。キリスト教ではその罪を認めているからこそ原罪という概念が存在するのであり、その罪を償うために果たしたキリストの贖罪の死が最も重要な意味を持つのです。そして、キリスト教キリスト教たる由縁は、この原罪を認め、その罪を贖ったことにあるのだとフロイトは指摘しています(原罪とは通常はアダムとイブが禁断の知恵の実を食べたことを指しますが、フロイトは原罪は本来は原父を殺害したことだと主張しています。原罪が殺人だからこそ、キリストの死によってその罪が贖罪されるというのです)。
 したがって、ユダヤ教から派生したキリスト教がその存在意義を主張するためには、必然的にユダヤ教における神(または原父)殺害の否認を、繰り返し非難する必要があったというのです。驚くべきことに、ユダヤ人であるフロイトは、この理由自体は正当であると認めています。

 

ユダヤ人が迫害を受ける民族的理由
 続いてフロイトは、ユダヤ人が憎悪される理由として、ユダヤ人が異なる諸民族のなかで少数派として生活している事情を挙げています。集団の共同体感情は、より完全なものになるために、局外に立つ少数者に対する敵愾心を必要とするのであり、除外された者の数のうえでの弱さが、今度は弾圧されることを促進してしまうとフロイトは言います(『モーセ一神教』136-137頁)。

 この指摘は、弱体化しかけたドイツの共同体感情をより強固にするために、ユダヤ人が迫害された事情をよく説明しています。
 さらに、フロイトは別の理由として、ユダヤ人の二つの特徴を挙げています。第一の特徴は、ユダヤ人がほとんど定義できないようなかたちで、ヨーロッパの諸民族、特に北方諸民族とは異なっているとされている点にあります。集団が示す不寛容というものは、根本的な差異に対してよりも、むしろ小さな相異に対してより一層強く現れるのだとフロイトは指摘しています(同上137頁)。これは、学級の中でのいじめと同じ心理的な機序でしょう。いじめを受ける子どもの多くは、特別変わった子などではありません。彼らはほんの少しの差異をことさら強調されて、いじめ集団の和を守るためにいじめという排除を受けているのです。
 第二の特徴は、ユダヤ人がありとあらゆる圧制に抗し続け、極端に残酷な迫害ですらもユダヤ人を根絶やしにできず、そればかりか、ユダヤ人は却って実業生活で成功を収める能力を発揮し、事情が許すならば、すべての文化的な営為において価値の高い寄与をなす能力をも発揮するという事実にあります(同上137頁)。

 実際、ユダヤ人は度重なる迫害にも拘わらずユダヤ民族として存在し続け、どのような状況に置かれようとも、決してそのアイデンティティーを失うことはありませんでした。そして、ユダヤ人の各界での活躍には、確かに瞠目すべきものがあります。苦境に陥っている他の民族からみれは、実に苦々しい事実でしょう。この指摘には、ユダヤ人であるフロイトの自尊心を垣間見ることができるでしょう。

 

ユダヤ人迫害の核心
 以上のように述べた後で、フロイトはいよいよ問題の核心に踏み込んでいきます。
 ユダヤ人憎悪のより深い動機は、遠い昔の過ぎ去った時代に根を降ろしており、これは諸民族の無意識から発して、現在の現実に作用を及ぼしているとフロイトは指摘します。
 まず、フロイトは次のように述べます。

 

 「おのれを父なる神の長子にして優先的に寵愛を受ける子であると自称する民族に対する嫉妬がこんにちなお他の民族のあいだでは克服されていない。それゆえ、まるで他の民族はユダヤ人の自負の正しさを信じてしまっているかのようなのだ」(『モーセ一神教』137-138頁)

 

 世界で最初に一神教を完成させたユダヤ民族は、唯一の神の長子としての立場にあります。そして、優先的に寵愛を受けると自称すること、つまり選民思想を持つことに対するキリスト教徒の嫉妬には、計り知れないものがあります。なにしろ、唯一、絶対の神は、キリスト教徒に対して、永遠の生命か永遠の死かという二者択一の選択を断行する神なのです(宗教改革者カツヴァンの思想によって、この教義はより鮮明になりました)。次子の立場にあるキリスト教徒が、自らの立場に底知れぬ不安を抱き、優先的に救済を受けると信じる少数民族に嫉妬し、徹底的な敵愾心を抱くのはやむを得ないことなのかも知れません。しかし、それは同時に、ユダヤ人の自負そのものを認めてしまっていることに他ならないのです。
 さらに、フロイトは、ユダヤ人憎悪のより重要な動機について言及します。

 

 「これら一連の深い動機のなかの最新のものとして、こんにち極めて露骨にユダヤ人憎悪を示しているすべての民族が歴史時代もかなり経過してからはじめてキリスト教徒になった事実、しかも多くの場合、流血の惨をみる強制によってキリスト教徒にさせられた事実が忘れられてはなるまい」(『モーセ一神教』138頁)

 

 キリスト教は、ローマ帝国の時代にユダヤ教から分かれて誕生しました。当初キリスト教は、ローマ帝国から迫害されましたが、やがてコンスタンティヌス帝の時代に公認され、さらにテオドシウス帝の時代には国教になりました。テオドシウス帝の死後、帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国ゲルマン民族の侵入を受けて滅亡しました。その後に、盛衰を繰り返したゲルマン民族の諸国家の王に権威を与えたのはローマ・カトリック教会でした。ヨーロッパは、キリスト教を媒介として一つの世界にまとめられていったのです。
 キリスト教が広まる先には常に、ゲルマン人ケルト人などの異教徒が存在していました。ゲルマン民族の諸国家が権威を保持するためにはキリスト教が必要でしたが、王が改宗したからといって、民衆がすぐにキリスト教を信仰したわけではありませんでした。社会を一つにまとめ上げるためには、キリスト教という一神教を利用することは有用でしたが、民衆のレベルにおいては土着の多神教の方が馴染みが深く、はるかに日常生活に密着していたからです。

 そのためキリスト教への改宗は、民衆の中から自然に湧き上がったものではなく、多くは流血の惨劇を伴う強制によって達成されたのでした。
 そして、フロイトは次のように続けます。

 

 「これらの民族はみな『粗末に改宗させられた』のであり、キリスト教という薄いうわべの飾りの下で、彼らは野蛮な多神教に忠誠を誓っていた彼らの先祖と何ら変わらないままであった、と言ってよかろう」(『モーセ一神教』138頁)

 

 当時の人々にとって、宗教とは民族の歴史そのものであり、民族のアイデンティティーを根底で支えるものでした。新たな国家を成立させるためにキリスト教に改宗したとしても、それは生きて行くためにやむなく行ったに過ぎず、民衆の無意識のレベルでは、彼らの宗教的な感覚は相変わらず土着の多神教を奉じていた時のままだったのです。キリスト教の聖職者たちも、そのことが分かっていたからこそ、伝導のためにキリスト教多神教的な要素(たとえば、聖母マリアを信仰の対象にしたり、キリスト像偶像崇拝を認めることなど)を取り入れざるを得なかったのだと考えられます。
 さて、以上のように述べた後でフロイトは、諸民族のユダヤ人に対する憎悪の源泉を次のように指摘します。

 

 「彼らはこの新しい、彼らに押しつけられた宗教に対する恨みの念を克服できずに、この恨みの念を、キリスト教の源泉へと置き換えたのである」(『モーセ一神教』138頁)

 

 無理矢理に押しつけられ、粗末に改宗させられたキリスト教に対する恨みは、克服されることなく、民族の無意識の中に伝承され続けたとフロイトは言います。そして、キリスト教に対するこの恨みの念が、キリスト教を生んだユダヤ人憎悪に置き換えられたのだとフロイトは結論づけるのです。

 

 「四つの福音書が、ユダヤ人のあいだの、そして元来はユダヤ人だけを描いている歴史を物語っている事実もこのような置き換えが起こるのを容易にした。彼らのユダヤ人憎悪は根本においてキリスト教憎悪なのであり、二つの一神教的宗教のこの緊密な関係が、ドイツにおけるナチズムの革命のなかで、双方に対する敵愾心に満ちた取り扱いというかたちで大変明瞭に現れている実情は驚くにあたらない」(『モーセ一神教』138頁)

 

 このように、ヨーロッパにおけるユダヤ人憎悪の源泉は、キリスト教に対する憎悪であるとフロイトは結論します。ヨーロッパ社会の歴史にキリスト教が果たしてきた役割を考えるとき、この指摘は実に驚嘆に値するものでしょう。しかし、この指摘こそが、さまざまな歴史的事実を理解する手掛かりになるのであり、反ユダヤ思想を解明するキーワードになるのです。

 次回は、このフロイトの指摘をもとに、ユダヤ人が大虐殺された謎に迫ろうと思います。(続く)

 

 

文献

1)フロイト,S.(渡辺哲夫 訳):新訳モーセ一神教日本エディタースクール出版部,東京,1998.

2)フロイト,S.(西田越郎 訳):トーテムとタブー.フロイト著作集3,人文書院,京都,1969.