幼児期の心の成長に必要なもの(2)

 前回のブログでは、人間の赤ちゃんは身体的には非常に未熟な状態で生まれてくる一方で、脳は胎児の段階から加速度的に発達を遂げているというアンバランスが生じていることを指摘しました。その結果人間の赤ちゃんは、他覚的には無能の状態であるにも拘わらず、自覚的には万能感を抱いている状態であることを検討しました。

 他覚的には無能であるのに、自覚的には万能であるという驚くべき矛盾。人間の赤ちゃんはこの絶対的な矛盾からスタートします。この矛盾が人間が文化を生む源泉である一方で、将来的に人の精神を蝕む要因にもなっているのです。

 今回からのブログでは、人間の赤ちゃんがこの矛盾を克服して行く過程を検討してみたいと思います。

 

錯覚から始まる人の生涯

 人間の赤ちゃんは、自分では何もできないような未熟な状態で生まれてきます。お母さんの世話を全面的に受けなければ、生きることさえままなりません。お母さんの育児が不可欠の生後半年間のこの時期を、児童精神科医ウィニコットは「絶対的依存期」と呼びました。

 この時期に赤ちゃんは、お母さんからお乳を与えられ、おむつを替えてもらい、抱っこをして守ってもらわなければ生きていけません。しかし、赤ちゃんはこの状況を、乳房や哺乳瓶を提供し、オムツを新しくしてくれる対象を自らが創り出したと認識しているといいます。

 ウィニコットはこれを、絶対的依存期の「錯覚」と呼びました。

 

錯覚が起きるのは

 このような錯覚が起きる要因の一つは、人間の赤ちゃんが未熟な状態で生まれるからです。出生直後には自他の区別はまだ混沌としており、その後もしばらくは、他者は体の一部分(例えば「良い乳房」や「悪い乳房」、「笑った顔」や「怒った顔」など)として認識されます。赤ちゃんの感覚が充分に発達して、他者を一人の人間として見分けられるようになるのは、生後6カ月ほど経ってからだと言われています。

 もう一つの要因は、人間にイマジネーションを膨らませる能力が備わっていることにあります。それは人間の赤ちゃんが、脳を発達させた状態で生まれることに拠っています。この能力によって赤ちゃんは、自分の精神世界の中に、自分なりの空想物を創りあげることができます。

 現実の世界では、赤ちゃんが泣いたりぐずったり、または笑ったりするとお母さんからお乳がもらえ、オムツを替えてもらい、あやしてもらえます。すると赤ちゃんの精神世界の中では、願ったものを提供してくれる部分的な対象を、自分自身で創り出したという錯覚が生じるのです。

 

絶対的依存期に得られるもの

 絶対的依存期の赤ちゃんは、ただ単に錯覚に浸っているだけではありません。ウィニコットは特に指摘してませんが、この時期に赤ちゃんは、自分にとってなくてはならないものを獲得しているとわたしは考えています。それは、赤ちゃんにとっての安全感と安心感です。

 絶対的依存期には、文字通り赤ちゃんは全面的に母親に依存しています。この時期に母親からの充分な庇護を受けることができれば、赤ちゃんは飢えることも、凍えることも、安眠を妨げられることも、外敵から危害を加えられることもありません。つまり、母親(やその代替者)に守られて生活している限りは、赤ちゃんは危険に晒されることもなく、限りない安全感とそれに伴った安心感を得ることができるのです。

 この安全感と安心感は、自他の区別が曖昧な時期には、赤ちゃんは自分が作りだしたと錯覚しているのかも知れません。それでもこの時期の安全感と安心感が、子どもが成長し、実は世界の中で孤立していると悟ったときに、自己の存在を根底から支えてくれる基盤になります。

 一方、この時期に母親(やその代替者)から満足な庇護を得られない場合には、安全感と安心感は得られません。そればかりか、危機感や不安感ばかりが心の中に積み重ねられてしまうことになりかねません。その問題点については、後に触れることにしましょう。 

 

移行期と移行対象

 ウィニコットは、絶対的依存期から後述する相対的依存期の間の、過渡的な時期である6ヶ月~1歳頃を「移行期」と呼びました。

 移行期になると赤ちゃんは、お母さんを一人の人間として理解し始めるようになります。同時に赤ちゃんはお座りをするようになり、その後はハイハイをして少しずつお母さんから離れるようになります。

 お母さんも、子どもが離れることを成長と捉えます。近代化以降の子育てでは、子どもがお母さんから離れていられることを目指しているからです。子どもがお母さんから離れ、子どもが子ども個人として存在するようになることは、将来の子どもの自立を目的としています。

 移行期で赤ちゃんは、お母さんは自分とは別の存在であり、お母さんがいつも一緒にいてくれるわけではないことを理解し始めます。この時期に赤ちゃんは、お母さんから離れる不安を解消するために、お母さんの代わりになるものを必要とします。一方でお母さんも、一人いられるように赤ちゃんが安心するものを与えます。赤ちゃんは与えられたものの中から、お母さんの代わりになるものを見つけ出します。

 こうして赤ちゃんは、与えられたものを使って、自分の精神世界の中にお母さんの代わりになる対象を創り上げるのです。

 ウィニコットはそれを、「移行対象」と呼びました。

 最初に移行対象になるものは、タオルや毛布といった、お母さんに抱っこされている状態を連想させるものです。赤ちゃんはお母さんがいない間、このタオルや毛布を抱きしめて、お母さんに抱きしめられている感覚を再現しているのです。

 ウィニコットは、移行期に現れるタオルや毛布を、「一次移行対象」と呼びました。

 

母親は自分とは別の存在であると気づく

 赤ちゃんは1歳を過ぎると、自分と母親は別の存在であると理解するようになります。次第に母親は、赤ちゃんの要求通りには行動してくれないことも増えてきます。そのことは、母親は自分自身の欲望を持つ、赤ちゃんとは別個の人間であることを意味しています。

 母親は自分とは別の存在であることに気づくこと。それは、錯覚から覚めることです。絶対的依存期の赤ちゃんは、おっぱいを与えてくれる乳房も、おむつを替えてくれたり服を着替えさせてくれたりする対象も、自分自身で創りだしたと錯覚していました。しかし、今やそれは、お母さんやお父さんがしてくれることであると分かるようになります。ウィニコットはこれを錯覚から脱すること、すなわち「脱錯覚」と呼びました。そして、赤ちゃんが親から世話を受けていることを理解しながら成長する1歳から3歳までのこの時期を、ウィニコットは「相対的依存期」と呼びました。

 

 赤ちゃんが錯覚から目覚めて現実を理解し、お母さんが自分とは別の意志を持つ存在であることに気づくこの時期は、赤ちゃんにとっては最初で、そしてもしかしたら人生最大の危機かもしれません。

 なにせそれは、万能であると思っていた自分が、実は無能であったことに気づいたことを意味するのですから。

 赤ちゃんはこの絶体絶命の危機に、どのように対処するのでしょうか。(続く)