わたしたちはなぜ、マスクを外すことができないのか(5)

 6月に入って暑さが本格化するなか、3日に兵庫県内の中学校で、体育大会の練習中に生徒22人が、熱中症とみられる体調不良を訴えて病院に搬送されました。屋外にもかかわらず、ほぼ全員がマスクをしていたと言います。10日には大阪市の小学校で、体育の授業後に6年生の児童17人が頭痛などの体調不良を訴え、男児1人が救急搬送されました。男児はマスクをつけたままリレーをしていました。

 熱中症による救急搬送が後を絶たないことを受け、文科省は10日に、体育と運動部活動、登下校時についてはマスクを外す指導をするよう全国の教育委員会などに通知しました。一方、厚労省は、「マスク着用により熱中症のリスクが高まります」と警鐘を鳴らす一方で、「屋外で2m以上離れている場合はマスクを外しましょう」と推奨しているように、屋外でも人が多くて密であればマスクをする必要性を未だに訴えています。

 熱中症が増加するであろう夏に向けて、わたしたちはマスクを外すことができるのでしょうか。

 

そもそもなぜマスクをしているのか

 わたしたちが未だにマスクを手放せない理由を、日本文化に源泉をもつ「同調圧力」と、「マスクは顔のパンツ」という恥の感覚から検討してきました。

 では、そもそもわたしたちがマスクをするようになったのは、どうしてなのでしょう。医学的な見地に基づき、新型コロナ感染症を予防するためだったのでしょうか。それとも、他者に感染させないための配慮だったのでしょうか。

 わたしは、日本人がマスクをするようになった理由は、そうした科学的な根拠とは別の所にあったと思います。それは、新型コロナ感染症への不安感や恐怖感からでした。

 

不安、恐怖感を煽ったマスコミ

 今回の新型コロナ感染症に対するマスコミの報道は、事実を客観的に伝える姿勢を欠き、事態を仰々しく誇張して伝え、いたずらに人びとの不安感や恐怖感を煽る内容に終始していたように思います。

 2019年の12月に、中国の湖北省武漢で、新型コロナウイルスの集団感染が発覚しました。このときに報道された映像は、人びとに衝撃を与えました。武漢は封鎖され、病院では患者が待合室に溢れ、路上で倒れる人の姿が映し出されたからです。WHOと中国当局専門家による発表では、2020年2月末の時点での致死率は5.8%でしたが、致死率が40~50%だったMERSや、9.6~11%だったSARS以上に危険な感染症だというイメージを、日本の人びとに与えました。

 その後の欧米諸国の感染爆発も、マスコミによってセンセーショナルに報道されました。そして、コメンテーターが「2週間後には東京も同様の状況になります」などと警告し、人びとの不安・恐怖感を煽りました。

 不安・恐怖感を煽った番組は高い視聴率を獲得したため、各局はいかに不安・恐怖感を煽ることができるかに腐心したかのようでした。そのトップランナーになったのが、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」であり、番組で不安・恐怖感を煽り続けたのが玉川徹氏と白鷗大学の岡田晴恵教授でした。

 

重症者だけを報道

 不安を煽ったのはテレビ朝日だけではありません。各局とも人びとが注目を集めやすいニュース、すなわちセンセーショナルな出来事を競って報道しました。

 大学病院や総合病院の集中治療室にカメラが入り、新型コロナ感染症で重症に陥り、人工呼吸器や ECMO(体外式膜型人工肺 extracorporeal membrane oxygenation)を装着した患者さんが画面に映し出されました。そして、亡くなった人や、回復しても重篤な後遺症が残った人ばかりが報道されました。新型コロナは感染しても8割が無症状で、発症しても重症になる人はごく一部だったのにもかかわらずです。デルタ株の時点で致死率は0.3~0.5%にまで低下していましたが、依然としてこうした恐怖感を煽るような報道が続けられました。

 お昼のワイドショーの役割も重要でした。パンデミックに陥った海外の映像と、国内の重症者の映像を流した後で、専門家と称する医師が登場し(なぜこの時間に専門家が出演できるのか謎ですが)、新型コロナの危険性と感染予防の重要性(これにはマスク着用も含まれます)を「専門的」に説明し、最後にワクチン接種の必要性を訴えかけました。そして、芸能人達が一般視聴者の代弁者として参加し、不安と恐怖を煽る発言を付け加えました。

 ワイドショーが、中高年の主婦層や高齢者たちに、新型コロナへの恐怖感を繰り返し植え付けた罪は大きいと思います。

 

科学者という名の扇動者

 テレビに登場した医師や科学者たちは、客観的な意見述べる立場にありながら、なぜか不安・恐怖感を煽る発言を繰り返しました。

 先の白鷗大学の岡田晴恵教授は、欧米諸国のパンデミック報道を受け、「今のニューヨークは2週間後の東京です」「東京は2週間後にはミラノになります」「2週間後医療崩壊が起きます」「2週間後には地獄になります」と予言しましたが、これらの予言は全て外れました。

 WHOのテドロス事務局長の上級顧問を務める渋谷健司氏は、2020年のHUFFPOST日本語版の中で、「東京は感染爆発の初期に当たると見ています。(中略)東京は、このままいけば急激に感染者が増えるでしょう。本当なら先週4月1日が緊急事態宣言を出す最後のチャンスだったが、それを逃してしまった。できれば都市封鎖くらいのことをやらないと、東京に関してはもう手遅れかもしれません」と警鐘を鳴らしましたが、この後に東京で感染爆発は起きませんでした。

 

85万人が重篤なり42万人が死亡する

 こうした扇動者の中で、もっとも強烈な印象を残したのが、北海道大学教授(当時)の西浦博氏でしょう。

 彼は、感染者数の予測を数理モデルによって以下のように解析しました。

 

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                      日本経済新聞電子版より

 

 西浦教授の試算によれば、人と人との接触を8割減らすことができれば感染爆発を抑制できるものの、何も対策をしなければ感染者数は爆発的に増加し、その結果国内では約85万人が重篤になり、うち約42万人が死亡する恐れがあると発表しました。

 国立大学の教授の試算は、信憑性を持って人びとに訴えかけられました。この試算によって、新型コロナ感染症がいかに恐ろしい病気であるか、というイメージが日本人に定着しました。

 しかし、西浦氏の試算は、その後の経緯より、現実とは全く乖離したものでした。この数理モデルはいったい何だったのかと驚かされますが、さらに驚くべきは、経済活動を停滞させるなどして日本に多大な損失をもたらした西浦氏は、この後に京都大学の教授に栄転していることです。

 以上のように、日本人に不安・恐怖感を与え続けた人たちは、その後に反省や謝罪を表明することはなく、それにもかかわらず新型コロナ感染症対策の「功労者」として、社会の表舞台で活躍し続けています。

 

植え付けられた恐怖はなかなか消えない

 人びとに不安・恐怖感を与える番組、そして不安・恐怖感を与え続けた人たちが未だに糾弾されていないのには、それなりの意味があったからです。その意味とは、不安・恐怖感を感じさせることによって、人びとの行動を制限することです。

 憲法に緊急事態条項のない日本は、欧米社会のように法律によって、強制的に人びとの行動を制限することはできません。そのため日本では、新型コロナ感染症への不安・恐怖感によって、人びとの行動を制限させる対策が採られました。先の扇動者たちは、不安・恐怖感をことさら煽ることによって人びとの行動制限を促し、感染拡大を防いだ「功労者」になったというわけです。

 しかし、日本が採ったこの方策には、重大な副作用がありました。繰り返し刺激し続けられた不安・恐怖感は、なかなか消えません。今も心のなかに不安・恐怖感が残っているために、わたしたちは行動制限を続けているのであり、未だにマスクを外すことができないのです。

 

オミクロン株で恐怖感は減ったが 

 新型コロナ感染症は全世界に広がり、ウィルス自体も次々と変異を繰り返し、感染力の増強と致死率の低下を示すようになりました。デルタ株の時点で0.3~0.5%に低下した致死率は、オミクロン株に至って0.13~0.14%まで低下しています。

 それに伴って、人びとの新型コロナ感染症に対する不安・恐怖感は、徐々に減ってきました。感染する人が増え、新型コロナ感染症がより身近になる一方で、症状が軽症化していることが実感されるようになったからです。

 それでも、人びとにいったん植え付けられた不安・恐怖感は、簡単には消失しません。人びとは自主的に行動制限を続け、マスクを外せないまま生活を送っています。このままではわたしたちの日常生活は元には戻らずに、経済活動も正常化しないでしょう。

 

正常化の鍵は5類に下げること

 日本でのワクチンのブースター接種率は、6月17日時点で61.2%にまで達しました。3月28日のブログ、『なぜブースター接種は、今すぐ打ち止めにすべきなのか(1)』で指摘したように、ブースター接種率が40%を超えてからは感染者の再拡大が始まり、現在までいわゆる高止まりの状態が続いています。

 それでも新規感染者は減少傾向にありますから、このまま減少が続けば、新型コロナ感染症に対する人びとの不安・恐怖感は、少しずつ緩和されてゆくでしょう。

 正常化への最後の鍵は、新型コロナ感染症感染症法上の5類に引き下げることでしょうか。すなわち、新型コロナ感染症結核SARS並みに危険度が高い2類相当から、季節性インフルエンザと同じ5類に引き下げることです。そのことによって、新型コロナ感染症は、危険な病気からありふれた病気になったという印象が、人びとの間に広がるからです。

 熱中症を防ぐためにも、岸田政権は一刻も早く、新型コロナ感染症を5類に下げる政策を実行に移すべきだと思われます。

 

 しかし、それでもわたしたちは、マスクと完全に離れることはできないでしょう。なぜなら、これまでに検討してきたように、マスクは和の文化に基づいた「同調圧力」によって維持され、恥の文化に端を発する「マスクは顔のパンツ」という感覚によって支えられているからです。わたしたちは、しばらくはマスクと共存する生活を送ることになりそうです。(了)