眞子さまは複雑性PTSDなのか(2)

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 前回のブログでは、宮内庁が行った秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚発表の中で、眞子さま複雑性PTSD心的外傷後ストレス障害)と診断されていたことを取り上げました。その会見で、精神科医の秋山剛・NTT東日本関東病院品質保証室長が述べた症状について検討し、眞子さまが一般的な複雑性PTSDとはかなり異なる病状であることを指摘しました。

 今回のブログでは、複雑性PTSDという疾患について述べてみたいと思います。

 

複雑性PTSDの典型例

 複雑性PTSDとは、どのような病態を指すのでしょうか。それを理解してもらうために、典型的な複雑性PTSDの症例を取り上げてみることにしましょう(以下は実在の症例ではなく、いくつかの症例を組み合わせて構成した架空の症例です)。

 

症例A 17歳 女性

【家族歴】3人同胞の第一子。母親は専業主婦。父親は会社員。Aが幼少時より夫婦仲は悪く、5年ほど前からは両親は家庭内別居の状態になっている。

【現病歴】Aは小学校高学年ころから、時々学校を休むようになった。中学2年頃から死にたいと思うようになり、親に隠れてリストカットを繰り返すようになった。感情の表出に乏しく、友人は少なかった。高校に入学すると早退や欠席が目立つようになり、次第に登校できなくなった。話そうとしても声が出なかったり、いつの間にか他県のデパートまで行き、トイレでリストカットをしているところを保護されることがあった。担任の勧めでB病院の精神科を受診し、治療が開始されることになった。

【治療歴】初診時に解離性障害と診断され、外来治療が開始された。治療場面では、幼少時に母親からいつも叱られ、否定されてきたことが語られた。母親の言うことを聞かないと、殴られることもあったという。一方、父親は育児には無関心で、Aが母親から体罰を受けていても見て見ぬ振りをしていた。今でも時々、母親からなじられている場面がフラッシュバックのように蘇ってきたり、誰かに追いかけられている夢を繰り返し見ることがあるという。

 通院後は休みがちながら登校できるようになり、リストカットも減少していた。しかし、学校で友人との些細なトラブルを契機に死にたい気持ちが強くなり、投与されていた薬を多量に服用した。意識のない状態でC病院の救急外来に搬送され、入院して急性薬物中毒の治療を受けた。

 退院後は再びB病院の外来に通院したが、自分は生きている価値がない、消えてしまいたいと感じ、慢性的な抑うつ感に悩まされた。時には、自分は本当に存在しているのか実感できなくなることもあるという。両親には、ダメな自分を見せたり、苦しさを打ち明けることができない。他人を信じられないため、新しい友人をつくることもできないでいる。

 

 いかがでしょう。宮内庁が発表した眞子さまの病状とは、随分違う印象を受けられたのではないでしょうか。

 

PTSD心的外傷後ストレス障害)とは

 複雑性PTSDについて語る前に、まず、PTSDについて説明するところから始めましょう。

 PTSD心的外傷後ストレス障害)という概念は、ベトナム戦争後にアメリカで、一部の帰還兵が深刻な心の病になったことから取り上げられました。彼らは戦場での悲惨な体験がトラウマになり、その記憶が何年にもわたって悪夢や突然のフラッシュバックとして蘇って、平常心で日常生活を送ることができなくなりました。

 そこから、戦争と同様に生命が脅かされたり、人としての尊厳が損なわれるような体験、例えば大地震や洪水などの自然災害、レイプや繰り返されるDV(ドメスティックバイオレンス)、さらには幼児期の虐待などが外傷体験として捉えられるようになりました。

 これらの心的外傷が整理されずに無意識に抑圧されると、ふとしたきっかけで断片化された記憶が突然意識の中に蘇り、フラッシュバックや悪夢を生じさせます。そして、強い不安や恐怖感によって、パニックになったり現実感が失われることが起こります。緊張が続いて常にいらいらしたり、記憶を呼び覚ます状況を避けようとして行動が制限され、通常の日常生活が送れなくなるのです。

 上述の症例では、度重なる母親からの虐待や父親からのネグレクトが外傷体験となり、Aは対人関係が苦手になり、友人を作れずに学校にも登校できなくなって行きました。また、虐待の場面の一部がフラッシュバックとして蘇ってきたり、虐待を連想させる悪夢を繰り返し見たりするようになっています。

 

複雑性PTSD心的外傷後ストレス障害)に見られる自己否定感

 では、次に複雑性PTSDについて説明しましょう。

 複雑性PTSDは、2018年に出されたICD-11(疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11版)において、初めてPTSDと区別された診断基準として記載されました。その違いとは、否定的自己認知、感情の制御困難及び対人関係上の困難といった症状が、脅威感、再体験及び回避といったPTSDの諸症状に加えて認められることとされています。

 これをもう少しくだいて言うと次のようになります。

 否定的自己認知とは、自分を否定すること、例えば自分は価値のない人間だとか生きている意味がない人間だと認識することです。この自分の存在自体を否定する自己認識を、一般的に自己否定感といいます。自己否定感が強いと、ダメな自分を罰したいと思って自傷行為を繰り返したり、自分の存在自体を消そうとして自殺を試みたりするようになります。

 上述の症例で言えば、自分は生きている価値がない、消えてしまいたいと感じ、慢性的な抑うつ感に悩まされていること、また、そうした自己否定感が昂じてリストカットを繰り返したり、多量服薬によって自殺を企てたことが該当します。

 

さまざまな解離症状

 感情の制御困難とは、幼少時の虐待によって受けた強い不安感や恐怖感が蘇ることによって、感情や行動を制御できなくなることです。制御できなくなった感情は、一見、本人の意志とは異なる行動となって現れます。

 上述の症例では、話そうとしても声が出ないー失声症状、知らぬ間に他県のデパートで発見されるー遁走(とんそう)といった解離症状として出現しています。これらの症状は、「人とは話したくない」とか「生活の場から逃げ出したい」という、Aの本当の気持ちを現わしています。

 また、自分は本当に存在しているのか実感できなくなるというAの訴えは、強度の不安・恐怖感から逃れるために現実感覚を喪失させる、心の防衛機制によって起こる症状です。これは離人感といって、やはり解離症状の一つとして挙げられます。

 

安定した対人関係が築けない

 幼少時の親からの繰り返される虐待は、人に対する恐怖感、そして人に対する不信感を子どもに植え付けます。そのため、複雑性PTSDの患者さんは、安定した対人関係を築くことが困難になります。

 上述の症例Aが、友人と些細なことでトラブルになって自殺を企てたり、感情を出せずに友達を作れないのは、折に触れて対人恐怖感、対人不信感が蘇ってくるからです。この対人恐怖感や対人不信感は、親や友人だけでなく治療者にも向けられます。そのため、なかなか安定した治療関係を結べずに、精神状態が悪化してしまうことが度々起こります。

 また、解離症状が起こるのも、対人関係が不安定なことと関係しています。他者が怖かったり信じられなかったりするために、素直に自分の気持ちを表現できなくなり、それが歪んだ行為となって現れてくるのです。そして、歪んだ行為として現れた解離症状は、他者にはなかなか理解されず、それが他者との関係を悪化させるといった悪循環を生むことにもなります。

 

眞子さまは本当に複雑性PTSDなのか

 宮内庁の発表において、同席した精神科医の秋山剛・NTT東日本関東病院品質保証室長は、眞子さまは「皇族のお立場として、公的なご活動には精一杯の力を尽くしておられ、私的なご勤務なども継続されていましたが、日常的に、非常な苦痛を感じられることが多いと伺っております」と述べ、さらに「眞子内親王殿下におかれましては、公的な活動などもなさっていらっしゃるように、判断力には影響が生じておりません。結婚の準備を進めることにも支障はありません」とも説明しています。

 上述の症例で検討したように、複雑性PTSDの症状は、「日常的に非常な苦痛を感じられることが多い」といった程度の症状ではありません。さらに、複雑性PTSDになっていたなら、通常は公的な活動や私的な勤務をこなすことは難しく、判断力に重大な影響が出るため、結婚の準備を進めることには多くの支障がでることが予想されます。

 

 眞子さまは、本当に複雑性PTSDなのでしょうか。それとも、宮内庁が何らかの意図を持って、現実を歪めて発表を行ったのでしょうか。(続く)