人はなぜ依存症になるのか 依存症をつくらない社会とは(4)

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 バブルが崩壊した後に、日本は新自由主義的な経済に舵を切りました。しかし、新自由主義は、日本の文化には合わない性質のものでした。新自由主義では、市場が経済を支配し、市場から導かれた判断が正義だと考えられました。社会にいかに貢献したかではなく、結果としてどれだけ稼いだかが問われる弱肉強食の世界です。和の文化を根本に据える日本社会では、結果の不平等をもたらす新自由主義の原理は受け入れられなかったと言えるでしょう。

 それだけではありません。企業は利益を上げるために、手段を選ばなくなりました。少しでも多くのものを売り上げるためには、多くのリピーターを作り上げる必要があります。その結果として、依存症者が多発する社会が生まれたのです。

 では、依存症をつくらない社会を目指すためには、日本社会には何が必要なのでしょうか。

 

日本式の資本主義を見直す

 戦後の日本には、日本式の資本主義が華開きました。日本式の資本主義とは、日本文化に基づいた資本主義です。

 そのため日本の会社は、労働者が労働力を提供し、その対価として給与を得るためだけの場所ではなくなり、社員の人生そのものをまるごと支える共同体になりました。共同体では何よりも和を重視しながら、全社員が協力して一生を懸命に会社のために尽くしました。こうしたエートスは日本文化に基づいているため、人々が安心して働くことができ、しかも日本人の利点を存分に発揮することが出来ました。戦後の日本経済が飛躍的に発展した要因は、ここにあったと考えられます。

 しかし、日本式の資本主義は、過去に一度行き詰まっています。高度成長の後に、日本人は、敗戦と占領への屈辱感を晴らすという目標を大方達成しました。社会全体が一つの目標を共有できなくなると、それぞれの共同体の目標がばらばらになり、個々の共同体が自分の共同体のことしか考えなくなりました。各共同体はお互いに足を引っ張り合うことになり、日本社会は停滞して行きました。

 この停滞を脱する鍵は、どこにあるのでしょうか。

 

公益性のある共同体を

 ここでもう一度、渋沢栄一に登場してもらいましょう。

 渋沢は、自らが理想としていた経済システムを合本主義と呼んでいました。渋沢栄一に関する多くの著作・翻訳を手がけている作家の守屋淳氏は、合本主義について次のように説明しています。

 

 「合本主義には『公益を追求する』という使命や目的が根本に置かれています。もう少し具体的に言えば、事業を行う場合に『自分がもっと儲けたい』という思いは、事業の推進力として絶対に必要です。しかし同時に、その結果として『国や社会が豊になる』『人々が幸せになる』という目的が達成されなければならない、と考えたのです。

 そのためには、一部の人に富が集中する仕組みではなく、『みんなでヒト、モノ、カネ、知恵を持ち寄って事業を行い、その成果をみなで分かち合い、みなで豊かになる』という道筋を考えた ーこれが渋沢が唱える合本主義なのです」(『100分de名著 渋沢栄一 論語と算盤』1)74頁)

 

 渋沢は資本主義を社会に導入するためには、「一部の人に富が集中する仕組みではなく、みんなでヒト、モノ、カネ、知恵を持ち寄って事業を行い、その成果をみなで分かち合い、みなで豊かになる」という公益の精神が不可欠であると主張しました。

 今の日本社会に必要なのは、渋沢栄一の主張に、今一度立ち返ることではないでしょうか。

 

昭和の経営者にもあった公益心

 渋沢が主張する公益の必要性は、その後の経営者にも引き継がれていきます。

 松下電器産業の創業者として知られる松下幸之助は、自らの人生哲学を現した『道をひらく』2)の中で次のように述べています。

 

 「まことに宗教は尊い。だがしかし考えてみれば、商売というものも、この宗教に一脈相通ずるものがあるのではなかろうか。

 商売というものは、暮らしを高め、日々をゆたかに便利にするために、世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスをこめて提供してゆくのである。だからこそ、それが不当な値段でないかぎり、人びとに喜んで受け入れられ、それにふさわしい報酬も得られるはずである。(中略)

 おたがいに、宗教の尊さとともに商売の尊さというものについても、今一度の反省を加えてみたいものである」(『道をひらく』169頁)

 

 松下幸之助は、商売とは儲けを得るためだけではなく、人びとの「暮らしを高め、日々をゆたかに便利にするために」行うものだと語ります。そして、「世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスをこめて提供してゆく」ことを第一に考えています。その結果として、人びとに喜ばれ、それにふさわしい報酬が得られると言うのです。

 商売は、金儲けが第一の目的ではありません。人びとの暮らしを高め、日々を豊かに便利にするための行いだと松下幸之助は主張しています。だからこそ商売は、宗教と同じように尊い行いとなるのです。

 

日本的経営の再評価を

 今回の自民党総裁選に立候補した高市早苗氏は、かつて松下政経塾で学び、松下幸之助から直接薫陶を受けた経験をもっています。彼女は、総裁選に合わせて出版した『美しく、強く、成長する国へ。私の「日本経済強靱化計画」』3)の中で、日本的経営を再評価しています。

 高市氏は、日本的経営の中で特にメリットが大きいのが「終身雇用制」だと言います。日本の人材や最先端技術が海外に流出している現状において、終身雇用制は技術や営業秘密の流出を防止するだけでなく、長期的な研究開発や継続的な社員研修を可能にすると指摘します。

 さらに、京都大学大学院の藤井聡教授の言葉を借りて、今後に望まれる企業の経営戦略について次のように述べています。

 

 藤井聡教授は、企業の短期的・近視眼的な振る舞いを助長する『株式資本主義』から、企業の長期的・公共的な活動を促す『公益資本主義』への移行の必要性を主張しておられる。『株主』だけでなく、『従業員』『顧客』『取引先』『社会』に配慮すること、『四半期主義』ではなく『長期的な研究開発・人材投資』を促進するべきだということだ」(『美しく、強く、成長する国へ。私の「日本経済強靱化計画」』123ー124頁)

 

 長期的・公益的な活動や長期的な研究開発・人材投資を重要視し、顧客や取引先だけなく、自社の社員やさらには社会に対する配慮を忘れない企業理念とは、「世のため、人のため」を目指した、かつての日本的経営であると言えるでしょう。

 

公益と日本文化

 さて、これまでに渋沢栄一松下幸之助高市早苗各氏の、経済に対する思想を述べてきました。彼らに共通するのは、公益性です。公益性を追求する経済思想は、「世のため、人のため」を目指す日本文化に伝統的な考え方です。それは「和を以て貴(たっと)しと為し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)と為(せ)よ」で始まる、聖徳太子の十七条憲法以来の和の文化に基づいています。

 つまり、現在の日本経済に求められるものこそ、和の文化に基づいて「世のため、人のため」を目指す、「公益資本主義」であると考えられます。

 

国家の危機が迫っている

 日本は今、内外の危機に晒されています。

 凄まじい勢いで軍事力を増強させながら、覇権主義を公言してはばからない中国の脅威に対して、日本は未だに軍事的な自立すら果たせていない状況です。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われてから久しく経済は停滞を続け、日本経済は「失われた30年」に甘んじることになりました。

 問題は政治経済の分野にとどまりません。企業はもとより、公務員が働く官庁や医療・教育現場に入り込んでいた伝統的な共同体は弱体化し、さらに核家族化した家庭は崩壊の危機に瀕しています。

 こうした危機的な状況において、わたしたちは渋沢栄一が抱いたような問題意識に目覚め、渋沢栄一松下幸之助が指し示した経済再生への道標に、もう一度注目する必要があるのではないでしょうか。

 それは古来より連綿と続く日本文化を再発見し、日本文化に基づいた社会を再構築してゆくことに他なりません。そして、日本文化が復活した社会こそ、過度なリピーターや依存症者をつくらない社会でもあると考えられるのです。(了)

 

 

文献

1)守屋 淳:100分de名著 渋沢栄一 論語と算盤.NHK出版,東京,2021.

2)松下幸之助:道をひらく.株式会社PHP研究所,東京,1968.

3)高市早苗:美しく、強く、成長する国へ。私の「日本経済強靱化計画」.ワック株式会社,東京,2021.