皇室の伝統はなぜ変えてはいけないのか(6)

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 前回のブログでは、日本社会の平等性について、江戸時代と戦後の復興時代を例に上げて検討しました。

 今回以降のブログでは、日本社会の平等性と皇室にはどのような関係があるのかについて検討してみたいと思います。

 

教えのない神道

 社会の平等性と皇室の関係を検討するために、まず天皇と関係の深い神道について考えてみましょう。

 神道は、日本に最も古くから伝わる宗教です。神道は山や川、滝や高木などの自然や自然現象の中に八百万の神々を見い出す多神教ですが、他の宗教にはみられない次のような特徴があります。
 まず、神道には開祖がいません。そして、明確な教義や教典がありません。そのため、神道に従っても、どのように生きたらいいのかは分かりません。また、救済の方法が明示されていないため、神道を信じても死後に救われるかどうかもはっきりしません。

 ほとんどの日本人は、初詣などで神社に出かけて祈りますが、礼拝によって特別の救いが得られるわけではありません。それにもかかわらず、日本人はそのことに特段の不満を訴えることもありません。

 このように神道は、他の宗教にはあるはずの、いろいろなものがない不思議な宗教なのです。

 

 神道の中に位置づけられる皇室

 神道には、ユダヤ教キリスト教にある聖書や、イスラム教にあるコーランのような公式に定められた聖典は存在しません。しかし、神道には「神典」といって信仰の根拠とされる文献が存在し、これには『古事記』や『日本書紀』が含まれています。

 『古事記』や『日本書紀』には、神々が日本列島をいかにして創られたか、神々の系譜がどうのように皇室に連なっているかという神話が書かれています。そして、天皇が日本という国をまとめ、代々統治してきた歴史が記されています。

 このようにして天皇は、神道のなかに位置づけられてきました。天皇の祖先である天照大神アマテラスオオミカミ)を奉斎する伊勢の神宮が、全国の神社の本宗(ほんそう)であることからも、天皇神道の関係が理解されます。

 しかし、天皇神道を利用して国を治めたり、天皇が教主になって神道を広めたりすることはありませんでした。

 神道天皇の関係は、このように明確でないにもかかわらず、千八百年以上も連綿と続いてきています。

 

神道天皇はなぜ続いてきたか

 宗教とは人が存在する根拠や、人が生きてゆくための指針を与えるものです。ところが、根拠や指針を与えない神道が、その後に入ってきた仏教やキリスト教に駆逐されることはありませんでした。

 日本は仏教国に数えられていますが、戒律や修業が必要なくなるなど、教義の内容が換骨奪胎されて別の宗教のようになりました。また、戦国時代に伝来したキリスト教は、地道な布教活動が続けられ、さらに敗戦後はアメリカの統治下におかれたにもかかわらず、現在の日本人口に占めるキリスト教徒の割合は1%にもなりません。これはどうしてなのでしょうか。

 一方、これまでのブログで検討してきたように、天皇平安時代にはすでに政治権力を失い、武家政権時代には完全に権威のみを有する存在になりました。その天皇が、どうして日本社会で確固とした地位を保ち続けることができたのでしょうか。

 考えてみれば、これらは本当に不思議なことです。実は両者には、表に現れていない、非常に重要な役割があると考えられるのです。

 

日本の神話に見られる中空構造

 心理学者の河合隼雄氏は、日本の神話、特に『古事記』を読み解く中で、神話の中に次のような構造があることに気づきました。

 

 「日本神話の構造の特徴は、中心に無為の神が存在し、その他の神々は部分的な対立や葛藤を互いに感じ合いつつも、調和的な全体性を形成しているということである。それは、中心にある力や原理に従って統合されているのではなく、全体の均衡がうまくとれているのである。そこにあるのは論理的整合性ではなく、美的な調和感覚なのである。これを、日本神話(特に『古事記』)の『中空均衡構造』と筆者は呼んでいる」(『神話と日本人の心』1)309頁)

 

 中心の無為の神とは、『古事記』の冒頭に現わされている天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、天照大神アマテラスオオミカミ)や須佐之男命(スサノオノミコト)と共に生まれた月読命ツクヨミノミコト)、火照命(ホデリノミコトー海幸彦)と火遠理命(ホオリノミコトー山幸彦)の三兄弟神の一柱として生まれた火須勢理命(ホスセリノミコト)です。

 これらの天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、月読命ツクヨミノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)は、他の二神が重要な役割を演じるのに比べ、中心の神として現れるものの、名前があるだけで、その行為がまったく語られません。

 河合氏はこれを「中空構造」と呼び、日本神話の最も重要な特性と考えました。

 

中空によって均衡が保たれる

 では、この「中空構造」はどのような働きをしているのでしょうか。

 河合氏は続けます。

 

 「(中空構造とは)中心に強力な存在があって、その力や原理によって全体を統一してゆこうとするのではなく、中心が空であっても、全体としてのバランスがうまくできている、という構造であった。しかし、これは全体を構成する個々の神々の間に微妙なバランスが保たれ、一時的にしろ中心に立とうとする神があるとしても、それは長続きすることなく、適当な相互作用によって、中心を出て全体のバランスが回復される、ということでなければならない。(中略)したがって、いずれかの神が絶対的な善、正義を代表するとか、絶対的な権力をもつということはない」(『神話と日本人の心』283頁)

 

 名ばかりの無為の神は、存在意味がないのではありません。神々の間の微妙なバランスを保ち、一時的にバランスが崩れても揺り戻しによって均衡を回復させるために必要な、何もない空間として役割を果たすのです。それは、絶対的な善や正義、絶対的な権力を有する存在を中心に置こうとしない、日本独特の構造であるとも言えるでしょう。

 

日本社会に存在する中空構造

 河合氏は、神話にみられるこうした中空均衡構造が、日本社会にも存在していると指摘します。

 河合氏は、ユダヤキリスト教のような一神教文化は、強力な中心が原理と力をもち、それによって全体が統合される構造であるとし、これを「中心統合構造」と呼びました。中心統合構造では、中心に別の新しい存在が出現してきたときには、以前にあった存在と、どちらが中心になるかという対立や争いが生じます。その結果、新しいものが排除されるか、または新しい中心が勝利を収め、革命のように新しい秩序・構造が創られます。

 これに対して、中空均衡構造では次のような特徴があります。

 

 「中空均衡構造の場合は、新しいものに対して、まず『受け入れる』ことから始める。これは中心統合構造の場合、まず『対立』から始まるのとは著しい差を示している。まず受け入れたものは、それまでの内容とは異質であるので、当初はギクシャクするのだが、時間の経過と共に、全体調和のなかに組みこまれる。

 外から来る新しいものの優位性が極めて高いときは、中空の中心にそれが侵入してくる感じがある。そのときは、その新しい中心によって全体が統合されるのではないか、というほどの様相を呈するが、時と共に、その中心は周囲の中に調和的に吸収されてゆき、中心は空にかえるのである」(『神話と日本人の心』311頁)

 

 河合氏はこの例として、仏教を挙げています。仏教が伝来したとき、朝廷もそれに帰依して国分寺を建立するなど、まさに仏教が日本の中心になったかのようにみえました。しかし、仏教は時間をかけて日本化され、日本社会に調和的に吸収されていきました。そして、日本の中心は再び空に戻っています。

 

天皇は中空の象徴

 河合氏は、中空均衡構造が、天皇にも当てはまると指摘します。

 神話の時代、つまりアマテラス・スサノオ、ホオリ・ホデリの対立のときは中空性が優位でしたが、人間界になって神武天皇以降になると、天皇はいったん日本の中心に位置します。しかし、時間の経過と共に、天皇も権力を失い、権威の象徴として調和的に社会に吸収されてゆきます。

 河合氏は、次のように述べています。

 

 「非常に興味深いのは、他の国の絶対的な君主体制とは異なり、日本では天皇の中心は変わらないものの、その権力の『空化』が徐々に生じてくる。既に明らかにしたような二重構造が顕著になってきて、むしろ、天皇は中空の象徴としての権威を保ちつつ、権力は他に譲る形になるのである」(『神話と日本人の心』313頁)

 

 天皇は日本の中心から、次第に空化されてゆきます。ここで注目すべきは、天皇は仏教のように、ただ調和的に日本社会に吸収されたわけではないことです。河合氏は、これを「天皇は中空の象徴」と記しています。

 この指摘は、非常に重要な意味を持ちます。つまり、日本社会の中空均衡構造は、今では「天皇に象徴される空」によって保たれていることになります。

 わたしは、この空には神道も含まれていると考えています。神道に象徴される空が存在するからこそ、日本では他の宗教が中心を占めることがなく、社会に吸収されてゆくのです。

 以上のように、日本では「天皇および神道に象徴される空」が中心に存在し、この空によって社会の調和と均衡が保たれる構造が形づくられていると考えることができます。

 

 次回のブログでは、この中空構造が社会の平等性にどのような影響を与えるのかを検討したいと思います。(続く)

 

 

文献

1)河合隼雄:神話と日本人の心.岩波書店,東京,2003.