無差別殺傷事件はなぜ起こるのか(4)

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 秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大の両親は、加藤が母親の意向に添っているときを除いて、彼が存在する意義を認めないかのように振るまいました。つまり両親は、彼の存在そのものを否認し続けました。そして、彼自身もまた、このような扱いをする両親が存在する意義を否認し続けました。
 こうして彼は、「自分(の存在)が無い」と感じ、「家族(の存在)が無い」と認識せざるを得なかったのだと考えられます。

 

「いい子」という虚構

 ところが、「自分(の存在)が無い」ままでは、人は自我を形成することができず、自我がなければ社会の中で生きて行くことができません。加藤はこのような状況において、どのように対応したのでしょうか。『解』1)の記述をもとに検討してみましょう。

 「母親の価値観が絶対的に正しいものとされる中で育てられた」加藤は、一時的にでも母親の価値観を受け入れ、母親の意向に添って自らの存在を認めてもらう必要に迫られました。こうして母親から認められるように振る舞った自分が、彼の言う「いい子」でした。彼はこれを、「本心をブロックし、タテマエ100%に作り変えてしまうのを『いい子』と言っています」と表現しています。

 しかし、加藤は「いい子」をいつまでも続けることはできませんでした。彼が親に対して「いい子」として振る舞い、親の価値観に従っているのはあくまで「タテマエ」に過ぎず、「タテマエ」だけで生きていくことには限界があったからです。

 彼の本心は、親の意向とは別のところにありました。そのため彼は、タテマエを使うことに嫌気がさすようになり、「いい子」でいる自分に自己嫌悪を感じるようになって行きます。それが表現されたのが、彼の青年期における行動でした。

 

反抗しきれなかった

 加藤は中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで口論となり、一度だけ母親の頬を殴っています。これらの暴力は、母親から無理矢理押しつけられた価値観に対しての、初めての拒否だったでしょう。しかし、この反抗は彼の意識のうえでは言語化されておらず、怒りの感情も充分には表出されませんでした。母親を殴ったときの気持ちを、「悲しかったです。何でこうなっちゃったんだろうという気持ちでした。涙が流れました」と語っていることがそれを現しています。
 高校生になると加藤は、母親の期待を裏切るかのように勉強しなくなり、母親の希望する大学へ進学することをやめて専門学校へ進みます。この一連の行動も「車を買ってくれるという約束を破ったから」という理由で行われていることから、やはり充分に言語化されているとは言えないでしょう。

 つまり彼は、母親に反抗を試みるものの、怒りの感情が充分に表出されず、また自分の感情を言語化したり意識化したりすることもできなかったのです。

 

シュレーバー症例」との相違点
 ここで、先のブログで紹介した「シュレーバー症例」との相違点を検討してみましょう。

 シュレーバーの父親は、生後5ヶ月か6ヶ月の時期から子どもに徹底したしつけを施すことを推奨しました。彼は、「目標を達成するためのもっとも一般的に必要な条件は子どもの無条件の服従である」と述べ、「もっとも重要なことは、必要なら体罰を使ってでも、子どもがふたたび完全に屈服するまで不服従を押しつぶすことである」と主張しています。彼の徹底した教育への姿勢には、加藤の母親の育児と共通するものがあるでしょう。
 ただし、シュレーバーの父親の場合は、次の点が異なっています。それは、彼がドイツの医学および教育界に絶大な影響力を持って指導的役割を果たした高名な医師兼教育思想家だったこと、そして自身の教育が「魂の真の上品さ」を身につけた「美しい子ども」を育て上げるために必要であると信じて疑わなかったことです。彼は、「この戦いがなければ勝利はなく、勝利がなければ人生の真の幸福はない」とまで断言しています。

 

精神病を生む元凶

 シャッツマンは『魂の迫害者』2)の中で、このような教育こそ子どもへの迫害に他ならないと述べています。そして、「彼が親たちに教えた教育法は、明らかに、子どもたちに親に対して恨みや怒りを感じさせないように強いる-その感情に正当な根拠があったとしても -ことをめざして」いました。

 そこでシュレーバーは、迫害されていたという知覚の記憶を無意識の中にしまい込まねばなりませんでした。そして、その記憶が蘇ったときには、それを異なった知覚体験として作り直さなければなりませんでした。「シュレーバーは、父に迫害されたことを信じたくない願望を支えるために、知覚体験をつくりあげていたように思われる」と、シャッツマンは指摘しています。
 こうしてシャッツマンは、「彼(シュレーバーのこと-筆者注)は超自然的啓示と考え、医者たちは精神病の症状と見なした経験は、彼に対する父の扱い方の変形されたものと見ることができる」と述べ、シュレーバーの病的体験や妄想が、父親との関係に起因して生じたのだと主張しています。そして、あからさまな迫害ではなく、教育における「愛という名の迫害」こそ、子どもの「魂を殺害」し、精神病を生む元凶であると結論しています。

 

反抗の余地はあった

 他方、加藤の母親は、(結果的にかも知れませんが)息子に反抗される余地を残しています。息子から暴力を受けたり、母親が希望する進路を拒否されたりしているからです。彼女自身も「子どもたちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました」と主張する一方で、「ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」と反省する面もみられています。

 そのため加藤は、不充分ながらも反抗をし、自己主張をすることができました。そして彼は、シュレーバーのような精神病症状を呈することもありませんでした。それは彼が受けた経験の記憶が蘇ったとき、ひどい行為はひどい行為として認識することが可能だったからです(『解』の中では、母親の教育に対する非難が書かれているわけはないため、この点は明確には言い切れませんが)。シュレーバーのように、自らが受けた虐待を異なった知覚体験として作り直す、つまり妄想として認識する必要はなかったのだと思われます。

 この意味で、加藤に対する母親の対応は、最低であったかも知れませんが最悪ではなかったように思われます。

 

孤立への恐怖

 青年期を通して「いい子」という虚構から脱し、母親の呪縛から逃れた加藤でしたが、再び重大な問題が生じることになりました。それは、「いい子」を否定してしまった後に、「自分(の存在)が無い」ことと「家族(の存在)が無い」ことに改めて直面しなければならなくなったことです。自我と自我を支えるものが、彼には見当たりませんでした。
 地元から離れて働くようになり、ひとりの時間が増えると、加藤は孤立への恐怖に苛まれるようになります。彼は、「それは、世の中からたったひとり、取り残されたかのような感覚でした。マジックミラーごしに世界を見ているようなものです。私から見えている相手には私が見えていない状態、私の頭の中にいる人の頭の中には私がいない状態であり、孤立への恐怖の始まりでした」と語っています。

 では、「孤立する恐怖」とは、一体どのような恐怖なのでしょうか。加藤は、孤立は孤独とは違うと言っています。孤独とは、自分の周りに人がいないことです。したがって、人と接すれば孤独は解消されます。これに対して孤立とは、周りに人がいてもその人から自分が見えていない、またはその人の頭の中に自分がいない状態です。つまり孤立とは、周囲の人間が自分の存在を否認している状態なのです。そのため、誰かが自分の存在を認めてくれない限り、孤立が解消されることはありません。

 

 幼少期からの恐怖

 このように加藤の言う孤立は、他者から否認される状態を指すと考えられます。そうであれば、孤立によって生じる恐怖は、出生後の恐怖に端を発しているのではないでしょうか。

 子どもの存在を否認している母親は、泣いても叫んでも振り向いてくれません。母親からの庇護を得られず、身体的欲求が満たされない状況が続けば、無力な子どもは現実の死に直面します。こうした状況において子どもの精神内界では、自らが消滅する不安と死への恐怖が引き起こされます。この記憶が「世界からたったひとり取り残された感覚」として蘇り、孤立への恐怖となって彼を襲うのです。
 加藤は、「孤立の恐怖は耐えがたく、それよりも肉体的な死の方がまだ救いがある」と述べています。それは孤立の恐怖が、幼少時の記憶、すなわち自らが消滅する不安と死への恐怖を蘇らせるからでしょう。そして、それに加え、母親(またはその代替者)から自身の存在を認められなかったという絶望感までを呼び覚ますからではないでしょうか。(続く)

 

 

文献

1)加藤智大:解.批評社,東京,2012 .

2)モートン・シャッツマン(岸田 秀 訳):魂の殺害者 教育における愛という名の迫害.草思社,東京,1975.