日本人が誇りを取り戻す日は来るのか(5)

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 東日本大震災で人々が示した言動は、和の文化に基づいたものでした。多くの人命を奪い、東北のインフラを破壊し、原発の水素爆発と放射能被害をもたらした大震災は、日本社会に甚大な傷痕を残しました。しかしその一方で、人々の振る舞いは世界の人々を感動させ、巡り巡って日本人の意識に影響を与えることになりました。そしてその影響は、日本人が誇りを取り戻す端緒となったのです。

 

東京の人々の行動

 これまでに述べてきたような被災者の行動は、日本の伝統が多く残されている東北の人々だけにみられたのではありません。それは、もっとも近代化された都市である東京の人々にも認められました。

 

 「東京の街は歩いて帰宅する人で埋め尽くされた。数百万人が街を歩いている感じだ。だが、彼らはみな列をなして黙々と歩いており、秩序正しかった。騒ぎはなく、路上は車が渋滞していたもののクラクションの音も鳴らず、目の前の光景は巨大な無声映画の一幕のようだった。(中略)
 数百人が集まった広場は避難者になり、必要物資が配られた。スタッフが走り回って毛布、お湯、ビスケットを調達した。その間、誰ひとり煙草を吸う者はなかった。女性のために物を調達し、コードを引っ張ってラジオを流すなど、あらゆる男性がビル間を走り回っていた。3時間後にスタッフは退散したが、あたりにはゴミひとつ落ちていなかった。(中略)
 12日は週末で、東京は晴れていた。(中略)東京の池袋駅の西口はバスの停留所が集中するエリアであり、何台ものバスが列をなして行き交う。乗り場には大勢が群がるが、いずれも列をなしていて、みなが順番にバスに乗っていく。S字型の長蛇の列が数百メートルに及び、列の最後がどこなのかわからない。交通整理の人は数人いるのみで、列の整理など行っていない。誰も指示しているわけでもないのに、人々は自然と列を作っているのである。(中略)
 あるブログでは、3月11日の夜に東京駅で階段に座り込む大勢の乗客の写真が掲載されているが、階段に座る人がちゃんと通路を開けていることに注目し、『日本民衆が道端に座ると両隅に集まる』と説明されている」(『世界が感嘆する日本人』1)60-64頁)

 

 以上は、中国の新聞やインターネットで取り上げられた、震災直後の東京の様子です。東京の人々も、東北の人々に負けず劣らず冷静で、秩序正しく、無私無欲で他人を思いやる行動を示したのです。

 

和の文化の再認識

 東北やその近隣の人々、そして東京の人々が示した行動は、メディアを通じて日本の隅々にまで伝えられました。それだけでなく、東日本大震災は世界から注目を集め、世界各国でも詳細に報道されることになりました。
 その際に、日本人が示した行動にも注目が集まり、多くの称賛の声があがります。その声は海外メディアを通じて日本に伝えられました。そして各国のメディアによって分析された日本人の行動は、ここで取り上げたような著書にまとめられて日本人の目にするところとなりました。

 外国人の目を通して伝えられた評価は、異なった文化というフィルターを通したために、より一層明確な形となってわたしたちの元に届けられました。そのことによって、わたしたちは、自分たちが忘れかけていた日本の文化を再認識したのです。

 

誇りを失っていた日本人

 バブルが崩壊して「第二の敗戦」を経験し、自尊心を失っていた日本人は、知らぬ間に対米追従の行動を採るようになっていました。その影響は文化にも及び、日本人は知らず知らずのうちに、アメリカ文化を模倣することが重要であると捉えるようになりました。
 その結果日本人は、文化と伝統を分断され、歴史に根ざした誇りを根本的に失う危機に直面することになります。文化の正当性と継続性は、その文化に属する個人の精神世界を構築する基盤として必要不可欠な要素です。日本文化は、この必要不可欠な要素を喪失しつつありました。
 文化的基盤の喪失は、人々から自尊心を奪い取り、個々人が社会に存在する意義さえも浸食して行きます。世界で有数の経済的な豊かさに囲まれ、戦争のない平和で恵まれた環境にありながら、日本人は決して幸福感に浸ることができないでいます。そればかりか日本の巷間には、生きている実感を失い、生きることの意味さえも分からない人々が溢れています。毎年3万人以上の人が自殺していたのは、経済的な理由だけでなく、自尊心を失った日本人の精神的な問題が大きく関わっていたからです。

 

震災が取り戻させた自尊心

 東日本大震災は、奇しくも日本人に和の文化を思い起こさせる役割を果たしました。アメリカ文化に追従しかけていた人々は、社会の深層に脈々と受け継がれてきた自らの文化を、絶望的な状況のなかで思い起こしました。さらに海外からの反響として、思いもかけぬ称賛とともに、和の文化はわれわれの元に返ってきました。
 このように捉えると、日本人は失われた自尊心を、東日本大震災によって取り戻しつつあると言えないでしょうか。1998(平成10)年から3万人を超えていた自殺者(最多は、平成15年の3万4427人です)が、東日本大震災が起こった翌年の2012(平成24)年に2万7千人台に減少したのは、その具体的な現れです。そして、自殺者は年々減少し、2017(平成29)年には、ついに2万1千人台にまで減少しています。

 

歴史に根差した誇り

 もちろん自殺者が年々減少したことには、他の要因もあるでしょう。安倍総理の経済政策によって経済状況が改善し、倒産や借金などで自殺する人々が減少したことも大きな要因です。中高年の男性の自殺が大きく減少していることが、それを示しています。また、自殺を防ごうとする官民の働きかけや、われわれ医療者の地道な治療も幾ばくかの貢献をしているでしょう。

 しかし、自殺は攻撃性が自分自身に向いた結果であり、自己を否定する感情が根底に存在することを考えると、自殺の減少の背景には、自己否定感の減少と自尊心の回復が不可欠であると思われます。 

 もしそうであるなら、現在の日本社会にもっとも必要とされるのは、復活しつつある和の文化をさらに社会に定着させることです。和の文化の重要性を再認識したうえで、和の文化に基づいた政治・経済政策を模索し、和の文化に基づいた社会制度を構築し、さらに和の文化に基づいた生き方を探求することが、今後の日本にとって最優先すべき課題になるのではないでしょうか。そして、日本社会に和の文化が復活したとき、われわれは歴史に根ざした誇りを手に入れ、日本人の身の丈に合った生き方を取り戻すことができるのです。

 

 われわれは、和の文化の素晴らしさを認め、和の文化を受け継いで来たことをもっともっと誇ってよいはずです。何しろ和の文化は、聖徳太子から数えても1400年以上の歴史を、さらに戦いを拒絶していた縄文文化まで遡れば、実に1万年以上にわたる長き歴史を有しているのですから。(了)

 

 

文献

1)別冊宝島編集部:世界が感嘆する日本人 海外メディアが報じた大震災後のニッポン. 宝島社,東京,2011.