日本仏教ではなぜ肉食妻帯が許されるのか(2)

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 前回のブログでは、日本仏教から戒律が失われていく過程を概観してきました。そして法然によってついに、南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に生まれ変わることができるという、専修念仏の思想が誕生するに至りました。この思想は、親鸞によってさらに深化されていきます。

 

親鸞南無阿弥陀仏

 法然の弟子であった親鸞は、人間の無力さをさらに追求しました。その結果、救いを受けるための自己の努力は一切必要ないとされ、それは「南無阿弥陀仏」と称えることにさえ及びました。
 親鸞においては、「南無阿弥陀仏」は救いを求めるための念仏ではありません。『歎異抄』によれば、親鸞は「念仏を称えようと思う心が起こったそのとき、すべての衆生阿弥陀仏の救いを受けることができる」と語ったとされます。つまり、われわれは念仏を称えたから救われるのではなく、念仏を称えようと思い立ったその刹那に、すでにわれわれは救われているというのです。
 それなら、わざわざ「南無阿弥陀仏」と称えなくてもよいのではないかという疑問がわくでしょう。

 その疑問に対する答えはこうです。親鸞の念仏は、救いを得るために唱える念仏ではありません。救ってもらった阿弥陀仏に感謝を捧げるために称える「南無阿弥陀仏」です。すなわち、「救っていただいてありがとうございます」という意味の念仏なのです。浄土真宗では、これを報恩感謝の念仏と呼んでいます。

 

絶対他力の思想

 一方で、人間の無力さが強調されるほど、救いを得るために阿弥陀仏の果たす役割がいっそう強調されるようになりました。それに対して、極楽浄土に往生するための人間の努力は、一切意味のないものと考えられるようになりました。すべては、阿弥陀仏のはからいに救いを求めるしかありません。

 親鸞のこの思想は、「絶対他力」と表現されました。救いを得るためには、無力な人間は、阿弥陀仏の絶対的な力に頼るしかないと考えられました。
 絶対他力の思想が完成されることによって、浄土真宗では、ついに戒律と修行の存在する意義が完全に失われました。自らの努力では、人は一切の救いを得ることができないからです。人ができることは、阿弥陀仏による救いをただただ「信心」することだけなのです。

 

ただ信心する

 こうして浄土真宗は、従来の仏教から一線を画した新たな宗教となりました。

 両者の関係は、ユダヤ教キリスト教の関係によく似ています。パウロによって、ユダヤ教からユダヤ民族の行動規範である「律法」の意義が排されたとき、キリスト教という新たな宗教が誕生しました。キリスト教ではもはや外面的規範は必要とされなくなり、「イエス・キリストへの信仰」という内面の行為が最も大切なこととして捉えられました。

 これと同様に、従来の仏教から戒律と修行の意義が排されて、浄土真宗では「阿弥陀仏への信心」が重視されることになりました。そこでは戒律や修行だけでなく、念仏を称えることさえ救われるための条件にはなりませんでした。キリスト教にとって最も大切なことが「信仰のみ」と表現されるように、浄土真宗にとってはまさに「信心のみ」が最も重要な教義になったのです。

 

肉食妻帯を公然と行う

 仏教から戒律を排した親鸞は、私生活でも破戒行為を行いました。よく知られているように、妻帯し、子をもうけたのです。

 それまでも、女人と一切交わってはならないという不淫戒を破った僧は何人も存在したでしょう。しかし、公に妻を娶り、子供をもうけたことを表沙汰にした僧は親鸞が初めてでした。しかも、親鸞浄土真宗の宗祖です。当然のように浄土真宗では、以降妻帯が許されることとなりました。
 また、浄土真宗には、親鸞が袈裟を着けたまま肉食を行ったという逸話が伝承されていまし。これは、「同じように肉を食すなら、せめて自分の食べる生き物には(他者の為になったという意味で)解脱の機縁を与えてやりたい」という考えによるものだと解されています。これが事実であったかどうかは別としても、肉食について公然と容認する宗派はそれまでには存在しませんでした。妻帯に肉食という破戒行為(正確には、肉食のための殺生が破戒行為ですが)が加わり、浄土真宗は「肉食妻帯」が許される特異な教団として世間に認知されました。

 

般若湯

 飲酒についても、日本では独自の解釈がなされてきました。

 もともと仏教では五戒のひとつに不飲酒戒があり、修行僧はもちろん、在家信者でも飲酒はしてはならないものとされてきました。しかし、日本では仏教から戒律が排除されていく過程で、不飲酒戒も「酒をむこと自体を戒めているのではない。酒によって堕落し、悪を行うことを戒めているのだ。よって堕落し、悪を行わない程度の飲酒ならばば良い」と解釈され、ひそかに僧侶の間で飲酒が行われました。

 こうして日本仏教界では、僧侶であれば厳に禁じられているはずの飲酒を、ある人は「この世の習い」として容認し、あるいは般若湯(はんにゃとう)などという隠語でもって公然と用いるようになりました。般若とは、般若心教で示されている「智慧」という意味です。お坊さんもとんでもない智慧を働かせたものです。

  言宗の宗祖・弘法大師空海が開いた高野山には、その名も「般若湯」という銘柄の地酒があります。修行の地である高野山の冬は酷寒なので、少量の酒を飲んで体を温めるのは却って修行の障りにはならないとして、弘法大師は敢えて許されたと般若湯には記されています。

 

仏教界に広まった肉食妻帯

 さて、時が過ぎ明治の時代が訪れると、「肉食妻帯」は仏教界にさらに広まることになりました。

 新政府が明治5年に、太政官布告で「肉食妻帯勝手タルベシ」という通達を出しました。その結果、ほとんどすべての仏教教団が肉食妻帯を受容し、僧侶の結婚と寺院の世襲制が一般化していきました。ここに至って、ついに仏教界全体から戒律の存在意義が失われ、日本の仏教は行動規範のない宗教に変貌を遂げたのでした。

 

日本仏教から戒律が消えたわけ

 以上で述べてきたように、日本仏教からは最澄法然親鸞らによって仏教から戒律が排されて行きました。加えて、「南無妙法蓮華経」(『妙法蓮華経』に帰依します)という御題目(おだいもく)を唱えれば『法華経』の奥義を受けることができ、この世に理想の仏国土を建設できると主張した日蓮も、戒律を失わせる役割を果たしたと言えるでしょう。 

 なせ日本では、仏教から戒律を排しようとする高僧が次々と現れ、社会もそれを受容していったのでしょうか。

 それは日本社会には、仏教が伝来する以前から、和の文化をもとにした強固な行動規範が存在していたからです。先のブログでも述べましたが、山本七平はこれを「日本教」と表現しました。日本教の強固な行動規範によって、日本に伝来した宗教の行動規範は、ことごとく骨抜きにされて行きました。

 その結果、日本仏教からは戒律の意義が失われ、僧が肉食妻帯や飲酒をし、檀家の人にとって仏教は、祖先や故人を祀るためだけの役割を果たす宗教になったのです。(了)