縄文人はなぜ戦争をしなかったのか(1)

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 これまでのブログでは、欧米文化とその源流の宗教に対して、精神分析による検討を行ってきました。ここからは、いよいよ日本文化について精神分析による検討を行ってみたいと思います。

 まず、最初に取り上げるのが縄文文化です。縄文文化は、日本の原点を形成する文化ですが、これまで稲作文化が根付くまでのより原始的な文化として理解されてきました。しかし、近年縄文文化が実は先進的な文化であったことが明らかにされ、日本のみならず世界的に注目されるようになってきました。

 今回のブログでは、そうした縄文文化において、縄文人がなぜ戦争をしなかったのかという点に焦点を当てて検討したいと思います。

 

「出アフリカ」

 およそ15万年前に現代人の祖先がアフリカで誕生して以降、人類(新人)は世界中に広がっていきました。
 人類の祖先が、誕生の地アフリカから離れて各地に拡散していったのには、どのような理由があったのでしょうか。たとえば、人口の増加によってその地に留まれない人々が生じたのでしょうか。そして、食べ物や狩りの獲物を求めて、新たな地を開拓したのでしょうか。それとも、より良い生活を求める欲求に従って他の地に移り住んだのでしょうか。はたまた、冒険心に駆られて未開の地を探索したのでしょうか。「出アフリカ」の理由は様々に考えられますが、それらの中でも重要な理由は、彼らが戦いに敗れたからではないでしょうか。
 人類が誕生して間もない時代には、慣れ親しんだ土地を離れることは、絶滅の危険を孕む行為でした。なぜなら、新たな土地とは、とりもなおさず人類がそれまで生存してこなかった環境を意味するからです。新たな土地に移り住めば、未知の環境に適した文化を構築し直さなければなりません。そのような新たな試みが、常に成功するとは限らないでしょう。繁栄の極みにある現在とは違って、当初の人類は、いつ絶滅してもおかしくない存在だったからです。
 事実、現世人類は、他の類人猿と比べて遺伝子の多様性が極端に少ないことが指摘されています。

 たとえば、個々の個体の遺伝子という面では、アフリカの同じ山に住む2頭のゴリラの方が、アフリカ大陸の人と南米大陸に住む先住民との差よりも遙かに多様性が大きいといいます。この現象は、人類の人口が一時期著明に減少したことが原因だと考えられています。15万年前から3万5000年前のある時代に、何らかの理由によって人類の人口は1万人までに激減したとする仮説が提唱されており、なかには2000人ほどの小集団になったと主張する研究者さえいるのです(以上、『気候文明史』1)8頁)。

 

吹きだまりとしての日本列島

 人口の激減が何によってにせよ、生存も覚束ないころの人類が絶滅の危険を冒してまで新たな地に移り住んだのには、その地を離れざるを得ないやむにやまれぬ理由が存在していたはずです。そして、慣れ親しんだ環境から離れざるを得なかったその理由の最たるものが、戦いに敗れ、新たな土地に移り住まざるを得ない状況に追い込まれたことにあったのではないでしょうか。
 東アフリカに出現した現代人の祖先は、やがてスエズ地峡を通って、ユーラシア大陸に拡散して行きました。

 日本列島は、ユーラシア大陸の東端に位置しています。その地理的条件から言えることは、日本列島が、他の地を離れざるを得なかった人々の吹きだまりだったという可能性です。つまり、戦いに敗れ続けた人々の行き着く先として、日本列島が存在したのではないかと考えられます。

 

縄文への遙かな旅
 日本人の祖先が日本列島に最初に訪れたのは、およそ4万年ほど前だと考えられています。

 氷河期にあった当時は、日本列島の一部は大陸と繋がっていました。2万年前の最寒期には陸上の氷床や氷河の発達により、海面は現在より100メートルほども下がっていました。そのため、北海道から九州までの四島は一つに繋がり、瀬戸内海も陸地になっていました。北海道の北端からシベリアまでが陸続きになり、九州の鹿児島から南西諸島までは島々が弧を描くように近接していました。対馬海峡朝鮮半島には海水の出入りがありましたが、極寒期の冬には日本海全体が凍結していた可能性もありました。

 この時期に大陸の北と南から日本列島にたどり着いた人々が、旧石器時代とそれに続く縄文時代を形作ったのです。

 

特異な存在である縄文人

 ところで、縄文時代に日本列島で生存していた人々、つまり縄文人は、現世人類のなかで非常に特異な存在であることが指摘されています。

 それがよく分かるのは、骨の形態の差異による比較です。比較に用いられるのが、頭蓋骨の「形態小変異」です。形態小変異は、体の機能にはまったく影響のない微細な変異で、眼窩上孔、前頭縫合、内側口蓋管・・・など、主なものだけで14部位に及びます。変異が現れる出現頻度は集団によって異なっており、集団間で変異の出現頻度が近い項目が多いほど、近い類縁関係にあると判断されます。
 この比較によると、縄文人は、日本列島の周辺の東アジアで類似する集団が見つからないといいます。そればかりか、サハラ砂漠以南のアフリカ人(ネグロイド)、北アフリカ・ヨーロッパ・南アジアの諸集団(コーカソイド)、中央アジア以東のアジア・極北・ポリネシア・アメリカ大陸先住民の諸集団(モンゴロイド)のいわゆる3大人種からも離れた関係にあります(以上、『ここまでわかってきた日本人の起源』2)87-88頁)。
 さらに、対象集団をアフリカ、ヨーロッパ、東アジア・東南アジアに絞り、小変異10項目に基づいて類縁図を作ると、縄文人は、アフリカ人、ヨーロッパ人、アジア人のいずれからも独立した存在として位置づけられるといいます。

 特筆すべきは、類縁図において縄文人が、3大人種間のほぼ中央に位置することです。この現象は、縄文人がどの人種とも等しい類縁関係にあり、それは縄文人が現世人類の中でより古い集団に属することを示しています。

 アフリカ起源の新人が各地に拡散し、その地に適応した形態に変化したと考えると、縄文人はその形態の変化を起こす前の共通の特徴を備えているというわけです。つまり、約10~6万年前にアフリカを出て世界への拡散を果たした現世人類が、ヨーロッパ人やアジア人に分化する以前の初源的な形態を縄文人が維持していたと考えられるのです(以上、同上89頁)。

 そうだとすれば、東アジアで縄文人と似た集団が見つからない理由は次のように考えられます。

 初源的な形態を維持していた東アジアの諸集団が、様々なルートで日本列島に入って縄文人となりました。その後、シベリアで寒冷地適応した新モンゴロイド(北方系アジア人)と呼ばれる集団が東アジアに広がり、この地域にいた縄文人の祖先は駆逐されてしまいました。しかし、日本の縄文人だけが駆逐されずに生き残ったのです。

 

日本列島に守られた縄文人
 では、日本の縄文人だけが駆逐されなかったのはなぜなのでしょうか。それは、当時の日本列島の環境が、彼らを守ってくれたからだと考えられます。

 およそ1万5000年前から北半球では気温の上昇が始まり、それに伴って徐々に海面が上昇しました。日本海への親潮流入が1万3000年前から始まり、日本列島は大陸から切り離されました。8000年前には対馬暖流の流入も本格化し、海水温の上昇をもたらしました。1万4000年前からの8000年間で海面は100メートル上昇し、6000年前には海面が現在よりも2~3メートル高くなりました(10メートルという説もあります)。そのため、海が陸地の奥にまで入り込んで海岸線が後退しました。この現象は、「縄文海進」と呼ばれています。
 こうして縄文時代の早期からすでに、日本列島は大陸から孤立した環境となっていました。さらに温暖化によって縄文海進と呼ばれる現象が起き、大陸と日本列島の距離はいっそう遠くなりました。つまり縄文時代の日本列島は、四方を海に囲まれた天然の要塞になっていたのです。縄文人は、この要塞に守られて生き延びたのだと考えられます。
 アフリカを脱出し、ユーラシア大陸を逃げ続けた集団、それが縄文人の祖先でした。彼らはユーラシア大陸で生き延びることができず、他の集団に駆逐されてしまいました。ただ、ユーラシア大陸の東端にあった日本列島にたどり着いた集団が、滅ぼされることを免れたのです。

 なお、日本列島以外にも、縄文人と共通の祖先が存在したことを窺わせる報告があります。たとえば、Y染色体の変異を共有するグループを比較検討すると、縄文人と同じ遺伝子の変異が高率に認められるのが、日本人とチベット人だったといいいます(同上104頁)。

 また、頭蓋(下顎を除く)の最大長や最大幅をはじめとする13個の計測項目を用いて比較した結果、東北地方から発掘された縄文時代の後・晩期の集団に最も近かったのは、日本近縁の地ではなく、何とオーストラリアのメルボルン近郊で見つかった化石人骨だったといいます(『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』3)143-144頁)。
 これらの事実は、縄文人と共通の祖先が日本列島だけでなく、山岳チベットの僻地や深い海峡に隔てられたオーストラリア大陸でも生き延びていた可能性を示唆しています。縄文人の祖先たちは、他の集団が移住できないような環境でしか生き延びることができなかったのでしょう。

 さて、このようにして日本列島にたどり着き、日本列島に守られて生き延びた縄文人は、世界に類をみない特異な文化を築いてゆきます。次回のブログでは、縄文文化の特徴について検討したいと思います。(続く)

 

 

文献)

1)田家 康:気候文明史 世界を変えた8万年の攻防.日本経済新聞出版社,東京,2010.
2)産経新聞 生命ビッグバン取材班:ここまでわかってきた日本人の起源.産経新聞出版,東京,2009.
3)溝口優司:アフリカで誕生した人類が日本人になるまで.ソフトバンク クリエイティブ,東京,2011.