人はなぜ戦争をするのか(1)

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 私はとある総合病院に勤務している精神科医です。日々の臨床の中で、さまざまな患者さんと向き合い、治療を行っています。そこから得られた経験は、論文にまとめたり、著書として出版してきました。ここではそうした臨床経験を述べることは適切ではありませんから、臨床からは離れて、私が普段から関心をもっている文化、宗教、社会問題などについて、ある程度まとまった形で書き記していこうと考えています。

 

人はなぜ戦争をするのか 

 「人類の歴史は戦争の歴史でもある」と言われます。人間は有史以来数えきれないほどの戦争を行ってきました。第二次世界大戦以降ですら、内戦を除いても世界中で20以上の戦争が行われてきました。湾岸戦争イラク戦争は記憶に新しいところでしょう。2017年には北朝鮮弾道ミサイルや核弾頭の開発を進め、東アジアで戦争が勃発しないかが危惧されているところです。

 一方で、戦争は人々に惨劇をもたらしてきました。兵士が殺されるだけでなく、戦闘と関係のない人や、女性や子供までもが殺害されてきました。社会は破壊され、人々は生活の場を失いました。文化が侵略され、憎しみの連鎖が人々の心に刻まれ続けました。そして、それは歴史となり、新しく生まれた人々の間に新たな争いの種をまくことに繋がっています。

 なぜ人々は、このような悲惨で無益な戦争という行為を繰り返すのでしょうか。それを、主に文化的な側面から考えてみたいと思います。 

 

 

種の保存と同種間の殺害

 一部の例外的な事実(たとえば、ライオンの雄が自分の子孫を残すために、他の雄の子を殺すことなど)を除き、同種同士で殺し合いをする動物は人間だけです。人間以外の動物は、メスを獲得するために、またはテリトリーを確保するために同種間で争うことが認められますが、通常はこの争いによって相手を殺してしまうことはありません。動物の本能には、力の優劣が明確になった時点で勝敗が決し、その時点で争いが終結するようなプログラムが備わっています。
 このようなプログラムが存在する理由は明快でしょう。それは動物の本能の目的が、種の保存のために置かれているからです。種が存続して行くためには、より強い個体の遺伝子が残されることが重要であるのは言うまでもありませんが、ただ単に強い個体だけが生き残ればいいというわけではありません。種が存続して行くためには、個体が生き残るためのもう一つの重要な戦略、つまり多様な種の個体数が充分に確保されることが必要です。特に、他の動物から補食される立場にある種では、個体の存在数を増やすことがより重要な戦略となります。この場合に、同種の個体同士が殺し合えば、種の存続に対して不利にしかならないことは明らかです。また、先に挙げたライオンの例でも、飢餓や病気への抵抗力といった力の強さ以外の生存するための能力もあるわけですから、個体数の維持は重要な要因になるでしょう。このように種の存続を優先すれば、同種間の殺害をできうる限り避けるという選択は、当然の帰結と考えられます。
 では、人間はどうして同種同士で殺し合いを演じるのでしょうか。人間には他の動物のように、種の保存を目的とした本能が存在していないのでしょうか。

 同種間で殺戮を繰り返してきた人類の歴史から言えることは、人間には他の生物のような種の保存を最優先する本能は存在していないようにみえます。そればかりか、人間は種の保存本能に反するかのように、戦時においてだけでなく平時においても、場合によっては血の繋がった親子間においてすら殺人を行うことがみられます。
 いったい人間は、なぜこのような理不尽な行為を行うのでしょうか。

 

進化の中で生まれた文化

  結論の一部を先に言えば、その理由は、人類が文化を持つようになったからだと考えられます。人類が文化を持つようになったからこそ、同種間の殺害が起こるようになったのです。
 人類と文化、この不可思議な関係を考えるに当たって、少々遠回りになりますが進化と種の存続の問題から検討を始めましょう。

 生物は、地球環境の変化に伴って進化を遂げてきました。もし地球の環境が一切変化しなかったなら、生物はその姿をそのまま維持した可能性もあったでしょう。しかし、地球環境は、時に生物の生存にとって極めて劣悪で苛酷な状態になりました。こうした環境の悪化に対応するために、生物はその生態と形態を変えざるを得なかったのです。
 一般的には、進化によって、生物はより優れた形態に変化してきたと捉えられています。しかし、下等生物と高等生物の違いは、環境に適応するための構造が単純か複雑かの違いにすぎないとも言えます。優れた生物が生き残ってきたとするならば、現存する単細胞生物も優れた存在であることに変わりはありません。現在の地球上には、150万種類にものぼる動植物が同時に存在していますが、それはこれらの生物がすべて適者であることを示しているのです。多種の生物が現存することから確実に言えるのは、環境に適応するための方策が、実に多岐に渡ってきたということでしょう。
 このように生物は、環境への適応を通して多様な進化を遂げてきました。その際に、種の存続と進化にとって重要な役割を果たしたのが、遺伝子による情報伝達です。環境への適応方法が遺伝子に組み込まれ、次世代へと伝達されました。新たな世代の個体はこの情報を引き継ぎ、環境に適応した生活を送りました。環境が激変してそれまでの遺伝情報が役に立たなくなると、遺伝子は取捨選択され、新たな環境に適応する情報を含んだ遺伝子が次世代へと伝えられました。種の存続と進化の過程は、このような生物学的過程によってゆっくりと、そして着実に進められてきたのです。
 地球上に生物が誕生してからほとんどの時間は、環境に適応するための進化と種の存続の過程は、遺伝子によって担われてきました。ところが最近になって、それまでになかった別の方策が生まれました。その方策が、文化による環境への適応であり、文化の継承による適応方法の伝達です。
 そもそも文化は、後天的に獲得された生存のための手段として始まりました。たとえば、狩りのために道具を使ったり、気候の変化に対応するために衣服を使用することなどです。しかし、道具を使うことだけなら、蟻塚から小枝でシロアリを釣って食べるチンパンジーや、堅い木の実を石で割って食べるフサオマキザルの例が確認されています。また、ニホンザルでは、海水で芋を洗って食べる行為が後天的に獲得され、群れの中で継承されていった様子が観察されています。
 ここでいう文化とは、動物にみられるこうした最初期段階の文化(これを文化と呼ぶかどうかは、議論が分かれています)のことではなく、自然の摂理から離反することによって生じた、独自の適応方法・行動様式を指すことにしたいと思います。つまり、道具や衣服を使うこと自体が問題ではなく、それらを使うことで何がもたらされるかによって文化の存在を判断するのです。
 たとえば、武器を使って集団で狩りをするという人類の行為は、それまで肉食獣に捕獲される立場にあった人類が他の動物を捕獲する立場に立ったという意味で、自然の摂理から離反する行動様式だと言えるでしょう。また、衣服を使用することは、人類の身体的特徴に適さない環境(または、人類の進化とは相容れない環境)において生存が可能になるという意味で、自然の摂理から離反した適応方法だと言えるでしょう。この定義によれば、人類とは、文化という自然の摂理から離反した適応方法・行動様式を手にした存在であると捉え直すことができます。そして、文化を持つことによってそれまでの動物から人類が区分され、文化に特徴づけられたヒトという新たな存在が誕生したのです。

 

文化がもたらした人類の繁栄

 人類がなぜ、文化を持つようになったのかは分かりません。環境の変化の中である程度知能が発達した動物が生まれ、困難な環境を生き抜く手段の一つとしてたまたま発見されたのが文化だったのでしょうか。それとも、切羽詰まった環境の中で、生き残るための窮余の策として人類は文化を生み出したのでしょうか。いずれにしてもこの偶然とも言える文化の誕生とその後の発達が、人類に対して非常に大きな影響をもたらしたことだけは確かでしょう。
 文化が発達することによって人類は、自然の摂理からさらに離反した適応方法・行動様式を採るようになりました。その特徴を端的に言えば、自然環境に働きかけて人工の環境を創り、この人工の環境の中で独自の生活様式や習慣を持って生きるようになったことです。人工の環境の中で自分たちのルールを作って生活することこそ、自然の摂理からさらにかけ離れた行為であると言えるでしょう。この段階に至って人類は、はっきりと他の動物から区分された存在になり、他の動物とは異なった独自の生活を送るようになったのです。
 人工の環境といっても、当初は自然環境に多少の変化を加える程度のものだったでしょう。それが次第に簡易な住居や倉庫などからなる集落を形成し、そこで食料となる動物を飼い育てたり、やがて動物や道具を使って田畑を作って共同で農耕を行うような行動様式へと発展しました。こうした文化的な営みは、環境の変化や自然災害から身を守り、自然から得られる以上の食料を確保することによって、生存にとってより有利な状況を人類にもたらしました。
 文化の営みがさらに発達すると、文化が創り出す人工の環境はいっそう自然環境から隔てられ、人類が生きて行くために有利な状況を形成しました。人工の環境は発展を続け、古代文明において、初めて都市という文化を象徴する人工の空間が誕生しました。都市という人工の空間は、文化を象徴するだけでなく、文化を発展させる場としての役割も果たしました。都市の人工化と文化の発展は並行して進み、都市はその時代の文化を象徴する空間であり続けました。そして、産業革命以降に出現した巨大都市は、都市計画によってさらに快適で便利な人工の環境として人為的に整備されて行きました。こうして19世紀以降には、ついに近代都市という、完全に自然環境から隔絶された人工の空間が誕生したのです。
 文化による環境への適応は、それまでの遺伝子による適応とはまったく次元の異なる方策でした。遺伝子は生物の細胞に内在する物質であり、遺伝情報はこの物質を介して発現され、次世代へと伝達されます。これに対して文化は、生物の身体とは関係なく環境の中に構築され、また、その情報は人から人へとそのままの形で伝達されます。したがって、遺伝子に比べて文化の情報は、物質的な制限から解放されて可変性が飛躍的に増大し、情報量にも限界が存在しなくなりました。そのため多種多様な文化が、短期間で数多く形成されました。そして、環境の変化によって文化の「淘汰」が行われ、文化は驚くほどのスピードで「進化」を遂げたのです。
 以上のように、文化の形成は生存に有利な人工の環境を創り出すことによって、また文化の可変性と膨大な情報量によって、人類を他の生物より決定的に有利な状況に導きました。他の動物のような優れた身体機能を持たない人類が、現在の地球上で繁栄を謳歌しているのは文化を持ったからに他なりません。
 しかし、文化は、人類に対して有利に働くばかりではありませんでした。文化によって苦しめられ、滅びてしまった人類も存在したでしょう。また、文化が今後も、人類に輝かしい未来を与えてくれるという確約もないのです。
 そこで次回は、人類と文化の関係における問題点にも目を向けてみたいと思います。(続く)