皇室の伝統はなぜ変えてはいけないのか(4)

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 日本の権力者たちは、自らの権力を確固としたものにするめに皇室を利用しました。娘を天皇に嫁がせて外戚となったり、朝廷から征夷大将軍太政大臣などの称号を贈られることによって、権力の正当性を主張しました。しかし、日本の権力者たちが天皇に取って代わろうとしたり、朝廷を滅ぼそうとしたことはありませんでした。また、天皇になろうとしたり、天皇を超えようとした権力者は、日本社会から排除されました。その結果、皇室は千八百年以上にわたって日本社会で存続し、日本人から敬われ続けてきました。

 今回以降のブログでは、日本社会ではなぜ皇室が存続し続けたのかを、和の文化と絡めて検討したいと思います。

 

悪人こそ救われる

 皇室の存続と切っても切れない関係にあるのが、日本社会の平等性です。その関係については後に検討するとして、まず、日本社会の平等性について述べてみましょう。

 それを端的に現しているのが、親鸞悪人正機説です。

 親鸞聖人は、日本でもっとも信者が多い浄土真宗の開祖です。その教えのなかでもひときわ際立つのが、悪人正機説です。

 親鸞は次のように語ります( 以下はすべて現代語訳です)。

 

 善人でさえ極楽浄土に往生できるのだから、悪人が往生できるのは言うまでもないことだ。

 

 悪人でも往生できるのだから、当然善人は往生できるのはありません。善人でも往生できるのだから、当然悪人は往生できると親鸞は語ります。

 こんな教えは、世界中探しても見当たらないでしょう。宗教とは、悪を糾弾し、正義をなせと教えるものです。しかし、親鸞は、善人より悪人のほうが極楽に行けると説きます。これでは人々に、悪人になれと言っているようなものではないでしょうか。

  もちろん親鸞は、悪人になれと諭しているのではありません。悪人とは何かについて、徹底的に考え抜いたうえでこの教えを説いているのです。 

 

悪行はなぜ起こるのか

 親鸞は、「毛の先についた塵ほどの罪であっても、宿った業に拠らないものはないと知るべきだ」と述べています。そして、「業や縁が備わっていなければ、どんなに願っても一人の人間でさえ殺せないのだ。それは、自分の心が善だから殺さないのではない。逆に、殺したくないと思っても、百人、千人を殺してしまうこともあるのだ」とも語っています。これはどういう意味なのでしょうか。

 仏教には輪廻転生という考え方があります。わたしたちは生まれ変わり死に変わりして、永遠に長い時間の中で六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅 ・人・天)を転生しています。そして、この過程で様々な業を抱えることになります。その業には、多かれ少なかれ悪い業が含まれています。この悪行を行う可能性の業(直接因)にさまざまな縁(間接因)が加わって、初めて悪行は現実のものとなります。

 親鸞は、この業や縁という考え方を使って、次のように指摘します。人が悪行をしないのは、決して自分の心が善だからではない。塵ほどのわずかな悪行も、千人の人を殺す悪行も、いずれも自らに宿る業と、その人が巡り会った縁によってそうさせられているに過ぎないのだと。

 これは何も、荒唐無稽な話しではありません。たとえば、戦争の時代に生まれれば、日常的に人を殺さなければならない状況に置かれることもあります。平和な時代にあっても、家族や自分の身を守るために、正当防衛で人を殺してしまうことがあるかも知れません。また、その意思がなくても、過失で人を死なせてしまうこともあるでしょう。殺人を自らの意思で行う場合ですら、その人が幼少時から何度も何度もひどい目に遭わされ、追いつめられた末の悪行だったという可能性もあります。

 逆に言えば、たとえ今悪行をしていないとしても、自らの心によって悪行を避けられているのではありません。たまたま悪行に至るような縁に、出会っていないに過ぎないのかも知れないのです。

 

われわれはみな悪人である

 見方を変えれば、わたしたちはすべて、悪人になる可能性を秘めていると言えます。そして、それは可能性でなく、すでに悪行を行っているかも知れず、ただ単にそのことに気づいていないだけなのかも知れません。こう仮定すれば、われわれは皆、自分が悪人であると認識できていないだけだと捉えられるのではないでしょうか。

 すると、親鸞のいう善人と悪人は、次のように定義し直すことができます。

 

 善人=自らの悪い業に気づかず、自分が悪人であると自覚していない人
 悪人=自らの悪い業に気づき、自分が悪人であると自覚している人

 

 この定義に従えば、悪人正機説は次のように解されるでしょう。

 

 自らが悪人であると気づいていない人でも往生できるのであるから、自らを悪人であると気づいている人が往生できるのは言うまでもないことである。

 

 つまり、親鸞の真意は、人はみな悪人であるという自覚を持つことが必要なのだということにあったのだと考えられます。

 

悪人すら包括する社会

 浄土真宗では、まず人間の無力さが強調されます。悟りを得るための自力の行いは、いっさい意味のないものとされます。それだけでなく、気づいているかどうかの違いだけで、人はみな悪人だと考えられています。悪人であるわれわれは、阿弥陀仏の本願にすがるしか残された道はありません。阿弥陀仏の力によって、絶対に揺らぐことのない信心をいただくことができたとき、初めて極楽浄土に往生できることが約束されると説かれています。

 そして、すべての悪人を漏れなく極楽浄土に往生させてくれることから、阿弥陀仏の力が絶対視されるようになりました。これは「絶対他力」の教えとして、浄土真宗の根本をなす思想となりました。

 それにしても、人をすべて悪人と捉え、すべての悪人を阿弥陀仏が漏れなく極楽浄土に往生させてくれるという教えは、なんと懐の深い教えでしょうか。この教えは、悪人も善人も区別なく同じ人間として認めるという思想がなければ成立しません。近代西欧社会で確立された基本的人権という概念の本質は、日本ではすでに鎌倉時代に確立していたと言えるでしょう。

 

報恩感謝の念仏 

 親鸞の師である法然は、阿弥陀仏の力にすべてを委ねると表明すること、すなわち「南無(=帰依する)阿弥陀仏」と称えることで、極楽浄土に往生できると説きました。

 親鸞はこの教えをさらに推し進め、「念仏を唱えようと思う心が起こったそのとき、すべての衆生阿弥陀仏の救いを受けることができる」と語りました。つまり、われわれは念仏を称えたから救われるのではなく、念仏を称えようと思い立ったその刹那に、すでに救われているというのです。したがって、浄土真宗の「南無阿弥陀仏」は救いを得るための念仏ではありません。救っていただいた阿弥陀仏に、感謝を捧げるために称える念仏になります。浄土真宗では、これを報恩感謝の念仏と呼んでいます。

 

阿弥陀仏の無限の慈悲

 では、極楽往生するために人ができることはあるのでしょうか。それは阿弥陀仏による救いをただただ信心することだけです。ところが浄土真宗では、この信心ですら阿弥陀仏からいただけると考えます。自らの力で信心に至るのではなく、阿弥陀仏の力によって信心がいただける、つまり信心でさえ、自力ではなく他力であると捉えるのです。

 この考え方は、救われるか救われないかの決定はすべて全能の神が行う、キリスト教を信仰するかどうかの意思決定ですら、あらかじめ神がすべて決定しているとする、カルヴァンの予定説と非常によく似ています。

 しかし、ここからが大きく違います。カルヴァンの予定説では、永遠の命を得られる者と、永遠の死を迎える者が明確に区別されます。一方で、親鸞浄土真宗では、阿弥陀仏はすべての衆生を救ってくださると説きます。阿弥陀仏の慈悲は、無限の慈悲だと教えるのです。

  先に述べた、人をすべて悪人と捉え、すべての悪人を阿弥陀仏が漏れなく極楽浄土に往生させてくれるという教えは、すべての人々を平等に扱うことを目指しています。そこには、善人や悪人といった区別はありません。さらに、極楽浄土に往生するための信心でさえ自力ではなく、阿弥陀仏からいただけるとする教えは、個人の才能や努力さえ救いのために求められないことを意味します。

 つまり親鸞の教えは、救済のための平等性を、究極まで追求した思想であると言えるのです。(以上の詳細は、2018年4月のブログ『なぜ善人よりも悪人のほうが救われるのか』をご参照ください)。

 

浄土真宗は仏教ではなくなった

 浄土真宗の教えは、発祥のインドやその後に発展した中国の仏教とは、全く異なったものとなりました。悟りを開くための戒律や修業が必要なくなり、極楽浄土に往生するために念仏を唱える必要もなく、阿弥陀仏をただただ信心することが求められるようになりました。その結果、在家信者だけでなく僧までもが肉食妻帯を許され、飲酒もできるようになりました。

 これはもう仏教の宗派による違いという範疇を超えて、まったく別の宗教になっているとさえ言えるのではないでしょうか。いうならば、日本教の仏教分派とでも捉えるのが妥当でしょうか。

 

和の文化が生んだ親鸞の思想

 浄土真宗で救いのための平等性が究極まで追求されたのは、和の文化による影響が大きかったと思われます。事実、親鸞が専修念仏の思想に至る間には、聖徳太子が所々で影響を与えています。

 親鸞が大阪の磯長(しなが)にある聖徳太子廟に参籠した際に、聖徳太子から「汝の命はあと10年である。命が終わると速やかに、清らかな浄土に入るであろう」という夢告を受けました。その10年後に、親鸞が六角堂で参籠を始めて95日目に、聖徳太子の本地(本来の姿)だと考えられている救世観音が現れ、親鸞に「女犯の夢告」と呼ばれるお告げをします。この夢告を契機に親鸞は劇的な回心を遂げ、修行よりも念仏を唱えることの重要性に気づき、修行者から念仏者に生まれ変わりました。そしてそれは、やがて浄土真宗の思想へと結実して行くことになったのです。

 そこには、聖徳太子が唱えた、「和を以て貴(たっと)しと為し、忤(さか)ふる(逆らう)こと無きを宗(むね)と為(せ)よ」という思想が大きな影響を与えたでしょう。和の思想を重視したからこそ、悪人も善人も、才能のあるものもないものも、努力するものもしないものもすべて、極楽浄土に往生できるという、救いに対する究極の平等性が実現したのだと思われます。(続く)