韓国はなぜ繰り返し賠償を求めてくるのか(15)

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 日清戦争に勝利した日本は、下関条約中華帝国と朝鮮の千二百年にもわたる臣属関係を終結させました。しかし、日露戦争後には、日本は朝鮮を併合する選択をしました。この併合によって朝鮮には新たな屈辱感が渦巻き、それは中華帝国から受けた千二百年間の屈辱感を、一気に放出させる契機にもなりました。日本はまさに、パンドラの箱を開けてしまったのだと言えるでしょう。

 

韓国の訴えは“精神症状”
 以前のブログで、韓国が日本に訴える内容はいわゆる精神症状であると指摘しました。まず、この点から振り返ってみましょう。
 朝鮮は、併合時代に日本式近代化の優等生として、日本文化に倣って近代化を推し進めました。さらに、アジアの解放のために日本と一緒に英米と戦いました。こうした事実の記憶は、戦後になって韓国の人々の無意識に抑圧されました。なぜ無意識の中に抑圧されたかと言えば、この事実を認めると、韓国の人々が自尊心を保つことができないからです。 
 日本による併合以前には、朝鮮の人々は、柵封体制の中で優れた長兄であることが自尊心の拠り所でした。その優れた朝鮮が、柵封体制の愚弟であった日本に支配されることなど決してあってはならないことでした。加えて、朝鮮人が自らの意志で日本に従属したことを認めれば、彼らの自尊心は決定的に失われてしまうでしょう。そのため、併合は朝鮮の意志とは無関係に強制されたものではなくてはならず、併合時代の日本の政策は、七奪に象徴されるような「人類史上類例のない過酷な植民地支配」でなければならなかったのです。
 しかし、愚弟の日本に自ら従属したという無意識の記憶は、折に触れて意識の中に頭をもたげてきます。この記憶を認めないために、日本から強制的にひどい扱いをうけたという、自尊心を守るための架空の物語を主張する必要がありました。これは無意識の記憶が変装されて出現した、実体を伴わない精神症状であると言えるでしょう。 

 

七奪の多くは中華帝国に奪われたもの

 こうして韓国は、日韓併合の36年間が「人類史上類例のない過酷な植民地支配」であり、「主権」「国王」「国語」「人命」「姓名」「土地」「資源」の七つを奪われたと訴え、従軍慰安婦や徴用工として日本に搾取されたと繰り返し訴訟を起こしてきました。以前のブログでも検討したように、これらの主張は現実的な裏付けのない、架空の物語としての訴えでした。

 もっとも、これらの訴えは、全くの架空の話しから創られたわけではありません。その原型とも言うべき出来事は、実は中華帝国との間に存在していました。

 たとえば、柵封体制下の李氏朝鮮は、清の属国でした。半島内で起こったすべての出来事は、仔細までいちいち明細書に書き出し、清国に提出しなければなりませんでした。朝鮮国王は清の皇帝によって任命され、朝鮮政府には貨幣の鋳造権がないなど、朝鮮には実質的に主権がありませんでした。

 朝鮮国王の地位は、清朝朝廷の臣下として一地方の官僚と同じ扱いを受けていました。そして、清の使者に対して三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼(三度ひざまずき、九度頭を地に着ける)をもって迎えねばなりませんでした。

 朝鮮では文字は漢文が使われており、公文書も漢文で書かれていました。ハングルが普及したのは、併合時代になってからでした。また、賤民階層の人々や女性には姓がありませんでした。これらの人々が姓を名乗ることができるようになったのは、やはり併合時代になってからでした。

 朝鮮は清との戦いで、多くの人命が失われました。領土こそ保障されましたが、金銀牛馬の特産品から貢女や宦官(かんがん)に至るまで、献上すべき物品が細かく決められており、朝鮮は毎年これらを貢がなければなりませんでした。

 このように、中華帝国に力づくで奪われたものが七奪の原型になっていました。この原型がもとになって、韓国は併合時代に日本から多くのものを奪われた(実際にはむしろ与えられたにも拘わらず)と主張するようになったのです。

 同様に、朝鮮が「人類史上類例のない過酷な植民地支配」を受けたのは、日本からではなく、むしろ中華帝国からであったのではないかと考えられます。

 

従軍慰安婦問題は日本人との合作

 現在も続く、いわゆる従軍慰安婦問題も精神症状の一つです。ただ、この問題は、複雑な要因が絡み合っています。まず、この問題は吉田清治という一人の日本人が告白した、「済州島で韓国人女性を強制連行した」という証言から始まります。朝日新聞はこのうそを大々的に取り上げ、さらに強制連行には軍に関与があったという誤報を広めます。後の調査で、吉田の証言は虚偽であったばかりか、軍の関与とは、誘拐まがいの強制連行が起こらないように警察と連携して対処していたことだと判明しました。しかし、朝日新聞がこの誤報を認めたのは、30年も経った2014年でした。

 韓国の強烈な抗議に対する当時の宮沢首相の謝罪、さらに「従軍慰安婦は本人の意に反して強制的に連行された」と発表した河野談話によって、従軍慰安婦問題は現実に存在したものとして世界で認識されることになりました。韓国人はこの“事実”を世界に広めるため、世界各地に従軍慰安婦像を建てることに躍起になっています。そして、ついに今年になって、あいちトリエンナーレ2019で、従軍慰安婦像が日本に上陸することになりました。

 

従軍慰安婦問題は架空の物語

 戦場には慰安婦、正確に言うと兵士を相手にする売春婦は存在しました。それは日本政府や日本軍が強制的に連行したものではなく、あくまで民間の業者が募集して運営したものでした。その過程で女性をだましたり、半ば強制的に連行された事実はあったかも知れません。売春婦になると知らされずに連れてこられた女性は、本当に気の毒でした。しかし、それと従軍慰安婦の問題、つまり国家が軍隊を使って売春婦を強制連行したかどうかという問題は別のものです。

 慰安所では軍の関与はありました。しかし、ここでの軍の関与とは、誘拐まがいの強制連行が起こらないように対処し、さらに性病の拡がりや強姦を防止するために慰安所の管理を行うことでした。つまり、民間の業者によって集められた慰安婦を守るための関与です。それを正反対の意味に捻じ曲げることには、朝日新聞の、それに追随する文化人の、そしてこの問題を世界中に広めようとする韓国人の悪意があるとしか思えません。

 戦場につきものの性の問題がレイプや虐殺に繋がらないために、軍の関与自体はどうしても必要でした。こうした目的での慰安所の設置は、他国でも行われていました。それを、日本が朝鮮女性に対してだけ行った強制連行として、そして人類の記憶に残すべき性奴隷の問題とするのは、まったく事実に基づかない架空の物語であると言えるでしょう。

 

従軍慰安婦の原型は新羅から続く貢女

 この架空の物語にも、実は原型が存在しています。それが統一新羅から李氏朝鮮まで千年以上も続いた、元、明、清といった中華帝国への貢女の歴史です。

 献上される侍女や貢女は、美女で処女であることを原則としていました。その身分は朝鮮国王の妹や王女、王室や大臣の娘、あるいは両班の娘、またはその妾が望ましいとされていました。

 それ以外の地位の者を貢女として選んではならず、貢女に娼妓(しょうぎ)をあてがいごまかそうとする者は、座首(監督官)や色史(女色統轄官)らによって厳しくチェックされました。そして、実際に不正を働いた役人は厳罰に処されました。

 清の時代には、毎年三千人もの美女が、朝鮮各地から貢物として献上されていたと言います。

 これこそ、中華帝国が朝鮮女性に行った強制連行であり、そして人類の記憶に残すべき性奴隷の問題ではないでしょうか。

 

韓国の屈辱感が生んだライダイハン

 千年以上にもわたった貢女の歴史は、朝鮮の人々に耐えがたい屈辱感を感じさせました。しかし、中華帝国の圧倒的な軍事力に押さえつけられていた朝鮮は、この屈辱感を表出させることができず、屈辱感の記憶は人々の無意識の中に抑圧されました。

 無意識に抑圧された記憶は、意識による検閲を受けないために、そのままの形で次世代に伝承されます。無意識に伝承されたこの屈辱感の記憶は、近似の状況下において意識の中に頭をもたげてきます。その状況とは戦争でした。

 1966年の朴・ジョンソン首脳会談で、韓国軍のベトナム派兵が決まりました。韓国軍がベトナム兵と戦う一方で、韓国人兵士と現地ベトナム人女性の間に多くの子どもが生まれました。1973年のパリ協定による韓国軍の撤退と、南ベトナム政府の崩壊により、取り残された子どもが多数生じました。この子どもたちは、「大韓との混血」を意味するライダイハンと呼ばれ、その数は少なくとも三千人、多くは三万人(韓国『釜山日報』)と推算されています。そしてその多くが、韓国兵の強姦によって生まれた子どもだと言われます。

 韓国兵士のこの行動は、長年にわたる屈辱感が影響を与えていると考えられます。中華帝国からされたことを、中華帝国の立場になって反復して行い、自らが受けた屈辱感を解消しようとしたのです。

 その対象として、柵封体制のライバルであったベトナムが選ばれたのは偶然ではありません。韓国はベトナムを支配することで、中華帝国のように他国を屈服させる立場に立とうとしました。それを実感するために、武力でベトナム人女性を屈服させ、凌辱することが必要でした。つまり凌辱されたベトナム人の女性は、貢物にされた朝鮮人女性の代わりであり、その瞬間に韓国兵は、中華帝国の人間であるかのように錯覚することができるのです。

 

告発されるライダイハン問題

 イギリスでは今年6月に、市民団体「ジャスティス・フォー・ライダイハン」によって、ロンドンにライダイハン問題を告発する銅像が建てられました。

 

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                                                  https://news.livedoor.com

 

 そして、同じく6月にはライダイハンらが、国連人権調査委員会の調査と韓国軍兵士のDNA鑑定を要求する公開書簡を、駐英韓国大使館を通じて提出したといいます。 

 韓国政府はこの問題を黙殺してきましたが、ライダイハンという「生きている証拠」が存在しているのですから、いつまでも放置しておくことはできなくなるでしょう。

 ベトナム戦争で兵士の強姦を防ぐために、軍によって管理された慰安所を造っておけば、このような問題は起きずに済んだのではないでしょうか。歴史の教訓が正しく理解されてこなかったことがこのような悲劇を生んだのだとすれば、それは大変残念なことです。(続く)