人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(18)

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 前回のブログでは、令和元年5月27日にNHKで放送された、ミッドナイトドキュメンタリー『長屋家族』を題材にして、子育てにおける虐待の問題について検討しました。

 番組で取り上げられた長屋の子育てでは、多くの人が関わることで、子どもに安全感や安心感を与えていました。さらに、長屋の人たちから自分が受け入れられている、自分が祝福されていると感じることができれば、子どもは自己肯定感を高めることができます。一方で、近隣の人々に助けられて母親の負担が減れば、母親は余裕をもって子育てに臨むことができ、それはいっそうの安心感を子どもに与えます。

 つまり、家族のような長屋で、皆に助けられながら行う子育てによって、虐待の連鎖が断ち切られる可能性が考えらました。

 今回のブログでは、番組に登場した人たちの個々の心理に踏み込んで、虐待の問題を検討してみたいと思います。

 

父親と同じタイプの男性を選ぶ

 古い長屋でシングルマザーとして子育てをする決意をした櫨畑敦子(はじはたあつこ)さんは、虐待を受けて育ちました。彼女は日常的に父親から暴力を受けて育った影響で、男性と長い時間一緒にいるとつらい記憶が蘇り、息苦しくなる症状に苦しんでいました。

 こうした成育歴を持つ女性に多く見られるが、無意識のうちに、父親と同じタイプの男性を伴侶に選ぶことです。櫨畑さんも自らの You Tube 動画で「いままで一緒に住んだひとが、アルコール依存やちょっと暴力ふるう人やったり、威圧的な人だったりした」と話しています。

 そして、「家の中に『危ないもの』がいるとなると家に帰るのがつらくなる。だれかと一緒に住むというのもきつい」ことと、「子育てみたいなのをするときに、威圧というか抑圧みたいなものが子どもにいくっていうのが可能性としてある」ために、当初は結婚して子育てをすることを諦めていたといいます。

 

子育ての試行錯誤

 それでも子どもを持ちたいと強く思った櫨畑さんは、試行錯誤を繰り返します。彼女のブログをみると、契約結婚や人工授精による妊娠を試みた時期もあったようですが、いずれも上手くいきませんでした。そこで、井口翔平さんという協力者の精子提供を受けて、生まれたのが光(ひかり)ちゃんでした。

 翔平さんとの関係は、揺れ動きました。櫨畑さんは翔平さんと一緒に住みたいと思ったこともありましたが、結局は東京と大阪で離れて生活することになりました。翔平さんの役割は「光ちゃんの“遺伝子お父さん”の役割のみ」になり、ふたりはそれぞれが自由に生活して、会いたいときに会うという関係に落ち着きました。翔平さんと光ちゃんは、インターネットでやり取りを続けることになりました。

 そして、櫨畑さんはNHKの番組のように、長屋の人々に協力を得ながら子育てをすることになったのです。

 

なぜ父親のような男性を選ぶのか

 それにしてもなぜ、父親から虐待を受けて育った女性は、父親と似た男性をパートナーに選ぶのでしょうか。
 彼女たちは、意識して父親と似た男性を選んでいるわけではありません。意識の上では、父親のような男性を嫌悪しているはずです。ところが、彼女たちが選ぶ男性は、なぜか父親と同じような虐待をするようになるのです。
 彼女たちがこのような男性を選ぶのは、無意識のうちに、父親と同じ性質があることを感じ取るからです。そして、無意識のうちに父親と同じ性質を受け入れ、父親との関係を再現しようとするからです。それには、次のような理由があります。
 虐待を受けた女性は、父親の行為が本当は自分のために行われていた、さらに父親の行為は自分を愛していた証だったと信じたがっています(父親自身も虐待を、「しつけだ」「お前のためを思ってしたことだ」と正当化するでしょう)。そのため、彼女たちが男性から父親と同じような行為をされると、自分を思っての行為、または愛情による行為だと思い込もうとします。そして彼女たちは、それが決して錯覚ではないと信じたいために、繰り返される虐待行為を、愛情の証として受け入れてしまうのです。
 このために彼女たちは、虐待を受けて別れても、また同じような男性と付き合って虐待を受けます。そして懲りることなく、同じタイプの男性を選び続けます。こうしてダメな男を渡り歩く女性は、「だめんず・うぉ〜か〜」と呼ばれたりしました。

 

抑圧された記憶

 虐待男を渡り歩く悪循環から、逃れる方法はあるのでしょうか。

 そのためには、彼女たちが、自らの父親との関係を見つめ直すことが必要になります。父親から受けた虐待を、ありのままに捉え直さなければなりません。つまり、父親の虐待はあくまで自分勝手な振る舞いであり、決して娘(自分)のために行った行為ではないことを認めることです。さらに言えば、自らが父親に愛されていなかっただけでなく、時には憎悪の対象ですらあったことを認めなければなりません。

 これは、自己の存在理由にも関わる根源的な問題です。そのため、「自らが父親に愛されていなかっただけでなく、時には憎悪の対象ですらあった」という記憶は、無意識の中に抑圧されています。

 自分の存在理由を否定しかねないこの記憶は、容易に意識化することはできません。しかし、この記憶を意識化しない限り、彼女たちは、父親と同じタイプの男性を恋人に選び、父親との関係を彼との間で再現し続けることになります。

 

愛されなかったことを認められるか

 虐待の連鎖から逃れるためには、「自らが親から愛されていなかった」という記憶を意識化する必要があります。これは父親から虐待を受けた娘に限らず、虐待関係をもつ親子一般に当てはまることであると考えられます。

 しかし、親から愛され、必要とされる記憶は、子どもの自我を支える原点です。親から愛されていなかった記憶をいきなり意識化すれば、自我は原点を失って崩壊してしまうかも知れません。

 では、どうしたらいいのでしょうか。まずは、親から愛されなかった記憶を意識化することを急がないことです。そのうえで、自我を支える対象を、親以外に求めることです。親以外との対人関係で、他者から愛され、必要とされる体験を重ねることです。親と似た人を知らず知らずのうちに選んで、失敗することもあるでしょう。しかし、失敗を恐れずに新たな対人関係を作れば、やがて親との関係とは違った安定した関係が作れるでしょう。櫨畑さんが、長屋の人たちと築いてきた関係は、まさにこうした関係だと思われます。

 自我を支える新たな対人関係を構築し、それをもとに社会で生きて行く自信が芽生えたとき、人は自尊心を育むことができます。そして、自尊心を取り戻したときに、初めて「自らが親から愛されていなかった」という記憶を意識化することが可能になるのだと考えられます。

 

虐待の関係を断ち切る

 親以外の他者から愛され、必要とされる体験を重ねることによって、人は「自らが親から愛されていなかった」という無意識の記憶を意識化することができます。そして、親から愛されていなかったことを意識することで、親との虐待の関係を断ち切ることができます。その結果、虐待を受けた親との関係を反復することなく、新しい親子関係を構築することができるのです。

 これをシェーマで現してみましょう。

 以前のブログで指摘したように、子どもが虐待を受けた親との関係を反復するのは、親の無意識の行動が子の無意識の行動に伝承されるためでした。

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                   図1

 

 図1のように、親の無意識の行動が多ければ、子どもに伝わる無意識の行動も多くなります。無意識の行動は、意識されていないがゆえに変更されたり拒絶されたりすることなく、そのまま次の世代に伝承されるからです。ここには、虐待を始めとした、無意識の欲望に支配された多くの好ましくない行動が含まれています。

 

無意識の記憶を意識化する

 この無意識の行動を減らすためには、無意識の記憶、たとえば「自らが親から愛されていなかった」という記憶を意識化することが必要です。この記憶を意識化することができれば、今まで無意識のうちに親と同じようにとっていた行動を、変更したり拒絶したりすることができるようになります。

 

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                    図2

 

 図2は、無意識の記憶を意識化することによって、意識的にコントロールできる行動を増やし、これまで無意識で行っていた行動を減らせることを現しています。それは、親から伝承された虐待に繋がる行動を、自分で変えたりやめたりできることを意味しています。

 

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                   図3

 

 親から伝承された行動を意識化できた子どもが親になったときには、虐待に繋がる行動を減らしたりなくしたりできるでしょう。図3のように、それは親から子へ虐待を伝承させることを防ぎ、これまで続いてきた虐待の負の連鎖を断ち切ることに繋がると思われます。

 

 以上は、虐待の連鎖を断ち切るための一つの方法です。

 子どもにとっては、悲惨な記憶を呼び覚まし、それを現実のもとして認めなければなりませんから、つらく苦しい道のりになります。この道のりを続けるためには、周囲の人たちの支えと援助が不可欠です。

 ただし、支えと援助を与えられる周囲の人たちとの関係は、一方的に依存するようなものであってはいけません。この点については、次回のブログで検討したいと思います。(続く)