人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(15)

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 前回までのブログで、わが子を殺害してしまった親たちの、悲惨な成育歴について述べて来ました。そしてこの成育歴の中で、親から子にもっとも伝わりやすいのは、親の無意識の行動であることも検討しました。これを図にすると以下のようになります。

 

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 この無意識の行動の中に、子どもを虐待し、殺害してしまった要因が含まれていると考えられます。

 

なぜ無意識の行動になるのか

 まず、自分の行動が無意識になる、つまり自分では意識できずに行動してしまう理由を考えてみましょう。

 自分の行動を意識できないのは、訳の分からないような、まとまらない行動をしているからではありません。その行動は、他者からみれば 一貫しており、明らかにある目的をもって行われています。他者からみれば明らかな行動が、自分では本当の目的がわからず、行動自体も意識したり制御したりできないのです。

 そうなる理由は、これらの行動が、無意識の欲望によって行われているからです。無意識の欲望とは、自我の承認を得られない欲望です。分かりやすく言えば、わたしにはあるはずがない、またはあってはならないと信じている欲望です。こうした欲望の多くは、一般的には好ましくないと思われている欲望です。好ましくない欲望に従っている好ましくない行動が、無意識の行動になりやすいと言えるでしょう。

 しかし、こうした好ましくない行動を、全く意識しないでいられるわけではありません。他者から非難されたり、問題を指摘されることもあるでしょう。そこで好ましくない行動を行っている者は、好ましくないと意識しないで済む防衛手段をとることになります。それが、自己正当化です。そうせざるを得ない責任を他者や社会に転嫁することによって、自分は正しいと思い込むことが可能になります。そして、好ましくない欲望を意識しないまま、同じ行動をし続けるのです。

 こうして継続される親の無意識の行動が、子にも伝承されて行きます。その具体的な例を、以下で検討してみましょう。

 

厚木市幼児餓死白骨化事件」の家族で伝承されたもの
 5歳の齋藤理玖(りく)君をアパートに放置し、死に至らしめたうえ7年間も放置していた「厚木市幼児餓死白骨化事件」の父親である齋藤幸裕は、家族から何を受け継いだのでしょうか。

 齋藤の父親は、仕事で忙しいと言ってほとんど家に帰って来ず、たまに早く帰宅しても「俺は疲れているんだ」と言って協力しようとしなかったといいます。(ほとんど家に帰らなかった理由が本当に仕事だったのか、それとも他に入れ込んでいたことがあったのかは本文で明らかにされてはいません)。

 一方で母親は統合失調症を発症し、夜間に家の窓を開けてフライパンを叩いて奇声を上げたり、油を道路にまき散らしたり、路上に消火器や工事用の赤いコーンを並べたりしていました。ろうそくの火が洋服に引火し、大火傷を負って半年間入院したり、自宅のベランダから飛び降りて大怪我を負ったこともあったようです。

 この激しい症状を見る限り、母親は満足な治療を受けられていなかったと思われます。齋藤の父親は、母親がこのような悲惨な状態であっても充分な対応をせず、自分のしたいことを優先していたと考えられます。そして、それは仕事が忙しいという正当化のもとで行われていました。

 齋藤も理玖君に対して、同じような行動をとっています。

 齋藤は、妻が失踪した後に、電気もガスも水道も止められたアパートに理玖君を一人で残し、仕事の傍ら不充分な食べ物を与えるだけで放置していました。理玖君が勝手に外に出てからは和室に監禁していました。新しく彼女ができてからは、彼女と過ごすことを優先し、アパートに戻る回数がさらに減りました。そして、衰弱した理玖君は、ゴミに埋もれた不潔な環境の中に放置され、極度の空腹による苦痛を感じながら一人で絶命しました。さらに誰にも気づかれることなく、7年もの間放置されたのです。

 齋藤はこのような対応を続けたのにもかかわらず、自分はきちんと子育てをしていた、失踪した妻にこそ罪があると自己を正当化しています。斎藤は父親と同様、家族が大変な状況にあっても、自分の生活を優先して家族を見捨てていたのです。

 また、理玖君の母親である愛美佳(仮名)が育児を放棄して失踪した行動は、突然,

愛人とともに箱根から蒸発した彼女の父親と瓜二つであったことは、先のブログでも指摘した通りです。

 

下田市嬰児連続殺害事件」の家族で伝承されたもの

 奔放な男性遍歴の果てに妊娠を何度も繰り返し、周囲に隠して二度にわたって出産したうえ、嬰児の遺体を天井裏や押し入れに隠した事件を起こした高野愛(いつみ)の家族には、どのような行動が伝承がされていたのでしょうか。

 愛の祖母がどのような人だったかは記されていませんが、地元では「あの家の人たちはみんなダメ」とささやかれていました。愛の母親は「明らかにおかしな女性」と断じられていたと言います。一方、愛は人から無理なことを頼まれても絶対に断らずに引き受けていたため、「八方美人」「何でもしてくれる子」とみられていました。

 愛は祖母や母親とは違った性格として周囲から捉えられていましたが、3人に共通した行動があります。それは、3人とも結構生活を営めないような男性との間で子をもうけ、しかも自らの生活を優先して、子どもたちを犠牲にしてきたことです。

 祖母は7人の子を産んだものの、夫との不仲から離婚しています。祖母の夫がどのような男性だったかは述べられていませんが、結婚には向いていなかったのでしょう。祖母は7人の子どもを育てるのに懸命だったのかも知れませんが、娘たちが「明らかにおかしな女性」「人間として間違っている」「自分のこととお金のことしか考えない」などと地元でささやかれていたことから、少なくとも子どもたちが、社会人として必要な教育がされていなかったことだけは確かでしょう。

 愛の母親は、家庭を持っていたと思われる男性との間に3人の娘を、愛が中学2年生のときには、別の男性と未婚のまま長男をもうけました。愛は妹二人の面倒や家事を一手に引き受けていたにも拘わらず、母親から意味の分からない怒りを向けられ、ひとり罵声を浴びせられ続けていました。のちに離婚して実家に戻ったときには、母親から「子守賃」として給料をむしり取られました。母親はその金で、外食をしたり、泊りがけでディズニーランドに行っていました。

 愛も男性との関係や子育てにおいて、祖母や母親の行動を踏襲しています。

 愛は高校2年生から10年余りの間に、8人の子どもを妊娠しています。相手の男性のなかに、子どもの養育を援助してくれるような人間はいませんでした(愛が関係を持った相手の中には、愛との将来をきちんと考えた男性もいましたが、なぜか愛は彼を選びませんでした)。2度にわたって結婚した夫は仕事もせず、愛が不平を漏らせば殴る蹴るの暴力をふるい、お金に困ったときには盗みをはたらくような男性でした。

 結婚生活を営めない男性という意味では共通していますが、男性との関係は、祖母、母、愛と下るにしたがって、ますます悪くなっているように思われます。

 祖母も母も自らの生活を優先して、子どもたちを犠牲にしてきました。特に愛は、経済的な面に限らず、母親が自分の精神を保って生きてゆくための犠牲にされてきた側面があります。

 こうした「自分の生活を維持するためには子どもを犠牲にしてよい」という行動原理は、愛の代になって究極の形になって現れました。愛は、誰の子が分からないまま妊娠し、妊娠をかくしたまま一人で出産しました。そして、嬰児の遺体を天井裏や押し入れに隠す犯行に及びました。愛は3人の子どもを溺愛する一方で、自分の生活を維持するために、2人の嬰児を殺害し、遺棄したのです。

 

 さて、次回のブログでは、「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」の家族で伝承されたものについて検討したいと思います。

 

 

参考文献

石井光太:「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち.新潮社,東京,2016.