人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(10)

f:id:akihiko-shibata:20190506000521j:plain

 前回のブログでは、ウィニコットが提唱した移行対象という概念について説明しました。移行対象は、赤ちゃんが一人ぼっちのときに感じる死の不安と恐怖から逃れるための、お母さんの代替物です。つまり赤ちゃんがお母さんを感じられる、お母さんの代わりになるものが移行対象です。

 しかし、移行対象は、単なるお母さんの代わりではありません。幼児期の移行対象は、やがて芸術や文化へと発展していくことになります。今回のブログからは、移行対象がどのような意味を持ち、その後いかに発展していくのかについての検討を始めたいと思います。

 

文化によって異なる出現頻度

 移行対象は、誰にでも認められるものではありません。移行対象をいくつも必要とする子どもがいれば、移行対象をいっさい必要としない子どももいます。また、移行対象が出現する頻度は、文化、社会によって大きく異なります。

 井原成男氏によれば、移行対象の出現頻度は、欧米の研究では6~7割ですが、日本では3割程度と言われており、井原氏自身が行った3歳児健診の調査でも31.7%だったと言います。さらに、同氏が中国の上海で行った調査では16.5%の出現率でした。

 また、移行対象の出現率は文化による影響がみられ、韓国の子どもとアメリカで育った韓国の子ども、アメリカの子どもで比較すると、韓国の子どもは18.3%、アメリカで育った韓国の子どもは34.0%、アメリカの子どもは53.9%だったと指摘されています。(以上、『ウィニコットと移行対象の発達心理学1)11頁)。

 では、なぜ文化によって、移行対象の出現頻度が異なるのでしょうか。

 

赤ちゃんから離れる母親
 以前のブログで、人間の子育てでは、親子が離れ、子が仰向けで安定していられることが特徴であるという松沢哲郎氏の説を紹介しました。
 そして伝統的な社会では、子どもは親子だけでなく、祖父母、年長の同胞、叔父叔母などの血縁者、近隣者などの多くの人の手によって育てられました。さらに母親が他人の赤ちゃんにも母乳を与え合って、近隣社会全体で子育てを行いました。こうした子育てには、子を早く離乳をさせるとともに、手のかかる子どもを同時に複数育てられるという利点がありました。人間の子育ては、このように進化してきました。
 しかし、近代以降の西洋社会では個人主義が確立され、子どもは部族とか何々家の子どもではなくなって、個々の親の子どもになりました。さらに、家族は小家族化、核家族化し、子育ては主に母親が一人で担うようになりました。
 母親が一人で子育てを行うようになると、必然的に赤ちゃんは一人でいる時間が増えます。複数の子どもを母親が同時に育てる場合には、一人でいる時間はさらに増えました。このことが赤ちゃんの精神世界に、大きな影響を及ぼすことになったと考えられます。

 

一人でいることで生じる錯覚

 一人でいるときには赤ちゃんは、世界の中で孤立した存在です。特に生後半年間の絶対依存期では、母親の庇護を得られなけれは、赤ちゃんは現実の死に直面します。もし、何の助けもなければ、赤ちゃんは死の不安と恐怖に苛まれることになります。この不安と恐怖に陥ることから逃れるために、赤ちゃんは必死で泣き叫びます。お母さんは、泣く赤ちゃんに対して、お乳をあげ、オムツを替えてあげます。
 一方で赤ちゃんからすれば、自分が泣き叫ぶことによってお乳が与えられ、オムツが新しくなったと感じます。まだ他者の存在を充分に理解できない赤ちゃんは、乳房や哺乳瓶を提供し、オムツを新しくしてくれる対象を自らが創り出したと認識します。ウィニコットはこれを、絶対依存期の錯覚と呼びました。 

  ここで注意が必要なのは、一人でいる時間が多いほどお母さんの存在は感じられませんから、お乳やオムツを与えてくれる対象を自分で創り上げたと感じる割合が高まることです。つまり、赤ちゃんが一人でいる時間が多い子育ては、絶対依存期の錯覚を起こしやすくすると考えられます。

 

万能感を伴った錯覚

 赤ちゃんは、泣いたりぐずったり、または笑ったりするたびにお乳がもらえ、オムツを替えてもらい、あやしてもらえます。すると赤ちゃんの精神世界の中では、これらを提供してくれる対象を、自分で創り出したという錯覚が起こります。この経験を積み重ねると、赤ちゃんにはどんな対象でも自分で創り上げられるという万能感が育まれます。赤ちゃんの精神世界には、こうして万能感を伴った錯覚が創り上げられるのです。

 ここでも注意が必要なのは、赤ちゃんが親からまったく対応してもらえない場合や、逆に親がいつも傍にいてすべてが与えられる場合には、この錯覚は起こらないことです。

 親から対応してもらえない場合には赤ちゃんは(飢餓などによって)現実の死に直面しますし、親がいつも傍にいてすべてが与えられる場合には(霊長類の育児のように)現実の母親の存在を実感できます。つまり、万能感を伴った錯覚が創られる子育てとは、一人でいる時間が多く、それにも拘わらず泣いたり笑ったりすれば充分に面倒をみてもらえる子育てであると言うことができるでしょう。

  この万能感を伴った錯覚は、人間の創造力の原点になり、また妄想の原点にもなります。その分岐点として機能するのが、移行対象であると考えられます。

 

乳幼児と母親をつなぐ移行対象

 ここでウィニコット自身が描いたシェーマを、お示ししましょう。

 

f:id:akihiko-shibata:20190509015002j:plain

          図1           図2

 

 図1は、絶対依存期の錯覚を表したものです。子どもとお母さんの間には、泣いたりお乳をあげたりするといった相互の交流があります。しかし、まだ母親が自分と別の存在であると認識できない子どもは、母親の乳房は自分が創り上げたと錯覚(illusion)しています。

 図2は、移行期における子どもとお母さんの関係を示しています。移行期になると子どもは、母親は自分と別の存在であると気付き始めます。そして、母親が離れることによって、一人でいる時間と一人の空間が存在していることを認識するようになります。

 この時に生じる不安と恐怖感を解消するために、絶対依存期に生じた、母親の乳房は自分で創り上げたという錯覚が頭をもたげてきます。この錯覚を支え、自分と母親の間に存在する時間と空間を埋めるものが、移行対象(transitional oboject)です。

 ところで、なぜ毛布やタオルケットなどが母親の代わりになるのでしょうか。それは子どもが万能感を育んでおり、母親を連想させる毛布やタオルを使って母親を創造できると錯覚しているからです。そして、移行対象となった毛布やタオルに母親の属性を投影し、この属性によって母親があたかも存在しているかのようなイメージを膨らませることができるからです。

 こうして、子どもの錯覚と母親を感じさせるものとで創造された移行対象は、母親の不在を埋め、母親との一体感を蘇らせる役割を果たすのです。

 

移行対象は自己と対象世界を繋ぐ

 ところで、乳幼児にとって母親は世界を代表する存在であり、対象世界そのものでもあります。したがって、乳幼児と母親の間に存在する時間と空間を埋める移行対象は、自己と対象世界の間に存在する時間と空間を埋め、そして自己と対象世界を繋ぐ働きをすると考えられます。

 もし図1のように、乳幼児と母親の関係が錯覚で結ばれ、以後もその関係が続くとしたらどうなるでしょう。自己と対象世界との関係は錯覚で結びつけられたままになり、対象と現実的な関係が作れない状態が継続することになります。こうした対象関係は、現実感覚を伴わない錯覚に基づいた対象関係であり、将来の妄想の原型になると考えられます。

 一方で図2のように、乳幼児が母親との間で移行対象を創ることができた場合は、自己と対象世界との間には、かろうじて関係を保つことができます。しかし、それは錯覚と現実の間に存在する、錯覚と現実の入り混じった関係です。

 

色あせる移行対象

 錯覚と現実が入り混じった関係ですから、移行対象が介在する関係は、決して安定したものだとは言えません。さらに、移行対象はやがて色あせて、その効力を失ってゆきます。

 そもそも子どもの精神世界の中で、母親との間に時間と空間が存在していると認識されるのは、子どもが一人でいることが多い育児のためでした。子どもが成長するにしたがって、子どもが一人でいる時間はさらに多くなります。それは、自己と対象が出会うことのない時間が長くなり、自己と対象との間に存在する空間が広がって行くことを意味します。

 幼児期に創られた毛布やタオルケット、ぬいぐるみなどでは、自己と対象の間隙に存在する時間と空間を埋めることが難しくなって行きます。そこで子どもは、移行対象に代わる「新たな移行対象」を創らなければならなくなるのです。(続く)

 

 

参考文献
・井原成男:ウィニコットと移行対象の発達心理学.福村出版,東京,2009.
・サイモン.A.クロールニック(野中 猛,渡辺智英夫 訳):ウィニコット著作集 別巻2 ウィニコット入門.岩崎学術出版社,東京,1998.
・館 直彦:ウィニコットを学ぶ ー対話することと創造することー .岩崎学術出版社,東京,2013.