人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(8)

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 前回のブログでは、一般女性の身の丈に合った母性のモデルとして、ウィニコットのほど良い母親という概念を取り上げました。

 今回のブログでは、ほど良い母親の持つ母性的機能について、動物の子育てと比較しながら検討したいと思います。

 

環境としての母親

 ウィニコットは、「一人の赤ん坊というものはいない」と述べたうえで、母親と乳幼児とは対をなしていて、一つの単位状態を形作っていると主張しました。乳幼児にとっての、こうした育児のあり方をも含めた母親という存在全体を、ウィニコットは「環境としての母親」と呼びました。

 乳幼児と母親は対をなしていて一つの単位状態を形成している、とわざわざ主張しなければならなかった理由は、それだけ当時のヨーロッパでは乳幼児と母親が一緒にいなかったことの裏返しでしょう。

 ここで話を、動物の子育てに戻します。以前のブログでも紹介したように、霊長類では母親と子どもが対をなしていることは当たり前のことです。子どもは母親に、いつもしがみついているからです。

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 上はワオキツネザルの母子、下はエンペラータマリンの母子です。この写真のように、子ザルが小さいうちは母子はいつも一緒にいて、くっついて生活しています。つまり霊長類の母子は、一つの対をなして一体の状態にあります。このときの母ザルは、子ザルにとっては対象のすべてであり、まさに「環境としての母親」を具現化した存在であると言えるでしょう。

 

抱きかかえる、あやす、対象を差し出す

 さらにウィニコットは、育児における母親的な機能として、holding(抱きかかえる)、handling(あやす)、object presenting(対象を差し出す)を挙げています。

 holding とは、文字通り母親が子どもを抱きかかえることです。出産後に危険な外界へと生み出された赤ちゃんは、抱っこされることによって母親に守られ、再び安全感を得ることができます。この安全感覚は、危険から守られているという安心感、さらには自らが存在し続けてもよいという感覚を育むことに繋がります。

 handling はウィニコットの用語であり、「取り扱うこと」「扱い」などと訳されることもありますが、ここでは「あやす」ことと解釈します。あやすとは、母親が手や顔やそれに代わる道具を使って、子どもの機嫌を取ったり安心するように働きかけることです。あやすことは、身体を使ったコミュニケーションの出発点であり、子どもに安心感を与える母親からの働きかけとして捉えることができます。

 object presenting は対象を差し出すことであり、最初は母親が赤ちゃんに母乳を与えることです。さらに母親が成育に必要な食べ物、衣服、おもちゃなどを提供することは、対象関係の原点であると共に、後に述べるような乳幼児がそれを自分自身で創造したと錯覚することにも繋がって行きます。

 

動物にみられる母親的機能

 ウィニコットの指摘する母親的機能は、動物の行う子育てと共通点がみられます。以下で、それを見てみましょう。

 

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 これらは、ニホンザルとゴリラが、赤ちゃんを抱きかかえている写真です。つまり、holding(抱きかかえる)の原点です。母ザルに抱きかかえられることによって、子ザルは安全感だけでなく、安心感を得ることができます。下の写真で、子ゴリラの安心しきった表情が、それを端的に現しているでしょう。

 ちなみにサルの赤ちゃんは、人間の赤ちゃんと違って泣くことがありません。母ザルに抱っこされていて、いつでもお乳を飲むことができ、抱っこされているからこごえることもありませんし、ウンコもオシッコも木の上から自由に排せつすればいいのですから、泣いてお母さんを呼ぶ必要がありません。それに加えて、抱っこされ続けているという安心感が、泣くことを一層遠ざけているのかもしれません。

 

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 この写真は、チンバンジーが赤ちゃんをあやしているところです。これは動物にもみられる、handling (あやす)の原点だと言えるでしょう。ヒトはぐずる赤ちゃんの機嫌を取ったり、安心させようとしてあやすことが多いのですが、チンパンジーの赤ちゃんは泣いてぐずることはありません。そのため、チンパンジーが子どもをあやす行為は、愛おしさを伝えるために行っているようにさえ見えます。

 

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 上はヤツガシラがヒナに餌を与えている写真で、下は母ネコが子ネコに乳を与えている写真です。これらは、object presenting (対象を差し出す)の原点であると言えるでしょう。

 これまで触れて来ませんでしたが、鳥類はヒナを育てるために懸命にエサを採って与えます。子育ての期間は、親はエサを与えることにほとんどの時間と労力を使います。親鳥にとって、生涯の目的は自分の子をいかに多く育て、巣立たせるかにあるようです。これはネコの子育てにも、共通して認められることでしょう。

 

母子関係の原点を示した

 このようにウィニコットの示す子育ての仕方は、動物の子育てと比較することが可能です。ウィニコットは動物の子育てには言及していませんが、もし両者の比較が可能であるとすれば、それは彼が、母子関係の原点を見つめ直そうとしたからではないでしょうか。

 ウィニコットが示した母子関係は、男性の哲学者やモラリスト、医師たちによって考え出された厳格で理想的な母親像に導かれたものではなく、動物の子育てにも共通するような自然の摂理に基づいた母子関係でした。ウィニコットの提唱した育児論が、多くの一般女性にも受け入れられた理由は、ここにあるのではないかと思われます。

 

 しかし、人間には動物と共通する母子関係だけでなく、動物の母子関係とは異なる側面が存在します。次回のブログでは、人間に特有な母子関係について、ウィニコットがどのように捉えていたかを検討したいと思います。(続く)

 

 

参考文献
・D.W.ウィニコット成田善弘,根本真弓 訳):ウィニコット著作集1 赤ん坊と母親.岩崎学術出版社,東京,1993.

・サイモン.A.クロールニック(野中 猛,渡辺智英夫 訳):ウィニコット著作集 別巻2 ウィニコット入門.岩崎学術出版社,東京,1998.

・館 直彦:ウィニコットを学ぶ ー対話することと創造することー .岩崎学術出版社,東京,2013.