人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(6)

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 宗教改革以降、母性神話を支えていた聖母マリア信仰が消退し、それに伴って西洋社会から母性文化が失われて行きました。母性文化が失われた西洋社会では、母親が育児に無関心になり、多くの子どもが里子に出されたり満足な育児を受けられずに放置されました。その結果、乳幼児の死亡率が25%を上回ったり、不衛生や世話不足が原因で死亡する幼児の数が、流行病で亡くなる幼児の数を上まわる事態を生みました。

 そこで西洋社会では、母性文化を支える母性神話を、新たに構築することが急務になりました。今回のブログでは、西洋社会で構築された新たな神話について検討したいと思います。

 

 バッハオーフェンの「母権論」
 ダーウィンフロイトが活躍していた父性中心の時代に、母性の意義とその重要性を主張した人物がまったくいなかったわけではありません。『母権論』1)で知られるヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェン(1815-1887年)は、社会における母性の意義を再発見した人物でした。
 しかし、バッハオーフェンの著作および研究業績は、当時の学会主流からは完全に黙殺されました。同時代に生きたダーウィンフロイトが社会から賞賛を受けたこととは対照的に、バッハオーフェンが生前に見るべき評価を受けることはありませんでした。わずかにエンゲルスによって取り上げられ、マルクスの理論に強い影響を与えましたが、その後バッハオーフェンの名は一時期完全に忘れ去られました。
 彼の死後、三十余年の歳月を経て、再びバッハオーフェンの思想が社会から注目されるようになり、やがて20世紀の精神思想において重要な位置を占めるようになったのです。

母親が中心の文化を再発見
 父性中心の価値観が支配した近代という時代に、バッハオーフェンは何を訴えようとしたのでしょうか。一般には、母権の発見が、バッハオーフェンのなした主要な発見であるとされています。
 彼は、ローマ、ギリシア、エジプトの神話や象徴を詳細に研究した結果、次のような結論を導き出しました。それは、文明世界の歴史全体にわたって典型的にみられる父権制的社会構造は比較的最近の時代に属するのであり、それに先行して、母親が家族の長となり、社会の指導者を引き受け、偉大なる女神が社会を統括する文化が存在していたと推論しました。当時忘れ去られていた、母親が社会の中心にある文化の存在を、バッハオーフェンは人類の歴史の中に位置づけようとしました。
 さらにバッハオーフェンは、母権制的段階の以前に、文明化されていない、無秩序で自由な性交渉が行われる社会形態が存在したと仮定しました。人類の発達史は、この段階から出発して母権制段階へと進み、さらに父権制段階へと至ってきたと考えたのです。

 

母性の意味を再発見した

 ところで、著書の題名に「母権」という言葉が使われたのは、バッハオーフェンが、バーゼル大学ローマ法担任教授、バーゼル刑事裁判所判事、バーゼル控訴裁判所判事を歴任し、裁判官として生涯を送ったことと無関係ではないでしょう。しかし、母性ではなく母権、つまり母親の権利という言葉を使用したのは、当時の社会において母親の価値が失われており、母性の存在をわざわざ権利という言葉を使って表現しなければならなかったことの現れであると思われます(この経緯は、人間の価値が喪失させられた社会において、その価値を見直すために「人権」という言葉が使用されたことと同じです)。
 したがって、バッハオーフェンの主張には、当時の社会にない価値観を、新しく意義づけようとする目的があったのだと考えられます。彼は、『母権論』の序論の最後に、次のように述べています。「・・・後に続く者によって過小評価されたり、欠点や不備ばかりをあげつらわれたりするという、すべてのパイオニアワークのつねである運命に私としては平然と従うことであろう」と。つまり、自らの論究が当時の社会から受け入れられないこと、そして、その内容が当時の社会には存在しないパイオニアワークであることを、彼自身が自覚していたのです。
 これらの点から、彼の提示した内容こそが、近代ヨーロッパ社会において忘れ去られようとしていた母性の本質を表現していると考えることができます。バッハオーフェンを20世紀に再評価した一人であるエーリッヒ・フロムも、「母性的愛と父性的愛の本質、そこから生ずる母親ないし父親との絆の相異、このテーマに関する研究が、おそらくバッハオーフェンの果たした最も意義ある業績であろう」(「愛と性と母権論」2)142頁)と指摘しています。

 

母性の本質とは
 では、失われた母性の本質が、バッハオーフェンによってどのように取り上げられているのでしょうか。

 バッハオーフェンは母性の特徴について詳細な検討を行っていますが、その内容をすべて述べる余裕はありませんので、その要点を以下にまとめてみます。

 ①子を産み、育てることから発する母性は、生の一体性、万物の調和を生き生きと感じながら、自然界の法則に従って生きることを基本にして成立する。そこから、もっぱら大地に眼を向け、物質的存在を美化し、実践的な徳を体得することに心血を注ぐ考えが導き出される。そして、それは、良心に従って瞬時に判断される天性の叡知や、日常生活の在り方すべてにわたる不変性と恒常性を生むことに繋がる。

 ②母から生まれる子どもは皆同胞であり、平等に扱われる。そこから、不和や争いを嫌い、友愛と同胞愛に包まれた、平等、宥和、平和の精神が発達する。この精神の根底には、無差別にすべてを包み込む共感性と包容力が存在している。

 ③子を育てる母は、自らの自我の枠を越えてその愛の配慮を他の存在たる胎児へと及ぼし、その精神に備わった叡知をことごとく他者を養い育て上げるために発揮する術を学ぶ。そこから、養育や献身、そしてあらゆる善行の源となる、限定を知らない普遍的な愛の概念が誕生する。

 以上は、まさに母性の本質を現わしているものと考えられます。
 こうしてバッハオーフェンは、近代化によって失われつつあった母性文化を、ギリシア以前の文化の中から再発見しました。そして、それらの文化から母性の特徴を抽出して純化させ、新たな母性文化としてヨーロッパ社会に根づかせようとしたのです。

 

母性本能と母性文化

 ところで、母性神話には、母性本能の存在が主張されています。それは、女性には子どもを無条件に愛し育てるための生物学的な本能が備わっており、その本能に従いさえすれば女性は母性を発現できるという「科学的」な理論に基づいています。
 しかし、母性本能が主張されたのは、母性本能を司る仕組みが科学の発達によって発見されたからではありません。それにも拘わらず、母性本能の存在を仮定しなければならなかった理由は、社会の側に存在しています。つまり、近代に至って社会から母神の概念が消失し、母性を支える社会制度が解体されたからです。母性の根拠はもはや社会には存在せず、人間の脳の中にしか求められなくなっていました。
 一方、バッハオーフェンが20世紀になって評価されたのは、重要性を増した母性を母性本能の理論だけでは支えきれず、文化的なモデルとしての母性像を必要とする社会的要請が生じたためであったと考えられます。その結果、フロイトがエディプス神話を構築したのと同様に、バッハオーフェンによって、近代の母性神話の中に新たな一章が書き加えられたのです。

 

性神話と育児 
 ただし、母性神話の文化的基盤が整えられたからといって、それが直ちに実際の子育てに反映されたわけではありません。

 確かに、バッハオーフェンが取り上げた母性の特徴は、母性の素晴らしさを再発見しました。それは母性の価値を、社会に位置付けるためには重要な役割を果たしたでしょう。しかし、個々の女性が母性を求められるとき、あまりに厳格で理想的な母性像は、女性を追い詰めることになりかねません。

 たとえば、上述の母性の特徴である、限定を知らない普遍的な愛、無差別にすべてを包み込む共感性と包容力、日常生活の在り方すべてにわたる不変性と恒常性や、平等、宥和、平和の精神などを求められても、生身の女性には苦痛でしかないでしょう。

 そこで、母性神話を実際の育児にまで結びつけるためには、人の身の丈に合った育児文化を構築する必要がありました。その内容については、次のブログで検討したいと思います。(続く)


文献
1)J.J.バッハオーフェン(岡 道男,河上倫逸 監訳):母権論一 古代世界の女性支配に関する研究ーその宗教的および法的本質.みすず書房,東京,1991.

2)エイリッヒ・フロム(ライナー・フランク編 滝沢海南子,渡辺憲正 訳):愛と性と母権制新評論,東京,1997.