人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(2)

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 前回のブログでは、子を虐待すのは人間だけであることを指摘し、加えて哺乳類の子育ての進化についても検討しました。

 今回のブログでは、哺乳類と比較した、人間の子育てについて検討したいと思います。

 

哺乳類としての人間の子育て

 前回のブログで、松沢敏郎氏が『想像するちからーチンパンジーが教えてくれた人間の心』1)の中で、哺乳類の子育ての進化を次のように説明していることを紹介しました。

①哺乳類    母乳を与える
②霊長類    子が母親にしがみつく
③真猿類    母親が子を抱く
④ホミノイド  互いに見つめ合う
⑤人間     親子が離れ、子が仰向けで安定していられる

 

 哺乳類は母乳を与える、子が母親にしがみつく、母親が子を抱く、互いに見つめ合うという手段を獲得し、子育てを進化させてきました。それでは、人間の子育てで、親子が離れ子が仰向けで安定していられるとは、どうような意味があるのでしょうか。

 

仰向けでいられるのは人間だけ

 松沢氏によれば、仰向けで安定していられるのは、人間の赤ちゃんだけだと言います。チンパンジーやオランウータンの赤ちゃんは、仰向けに寝かせると手足を動かしてもがき、じっとしていられません。それはチンパンジーやオランウータンの赤ちゃんは、お母さんにしがみつかないではいられないからです。お母さんから引き離されて、何かつかまるものはないかともがいているのです。

 チンパンジーの赤ちゃんは、生後3か月間はずっとお母さんにつかまっていて、1日24時間ほとんど離れません。そのおかげで、いつでも母乳を飲めますし、お母さんに守られて危険を回避することもできます。お母さんにしがみついていることは、赤ちゃんにとって、生存と成長に不可欠な行為だと言えるでしょう。

 これに対して、人間の赤ちゃんは仰向けで安定していられます。

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 この写真のように、赤ちゃんは安定していられるだけでなく、安心して眠ることもできます。この現象には、どのような意味があるのでしょうか。

 

赤ちゃんがしがみつけなくなった

 前回のブログで、類人猿がかつて四手類と呼ばれていたことを紹介しました。類人猿は樹上生活を送り、四本の手で枝を掴んで生活するように進化していました。

 ところが人間は、森の生活から離れ、木から降りて地上で生活するようになりました。それに伴って、人間は直立二足歩行をするようになりました。二足歩行するために、後ろの手2本が歩くための足に変化しました。つまり人間の足は、もともと手であったものが歩くための足に変化したのです。

 その結果人間の赤ちゃんは、お母さんにしがみつくことができなくなりました。お母さんに抱っこしてもらうことはできますが、自分から抱きつくことはできなくなってしまいました。これは人間の赤ちゃんの生存と生育にとっては、負の側面であると言えるでしょう。

 では、なぜこうした負の側面があるのに、人間の子育ては母子が離れる形に進化したのでしょうか。

 

同時に複数の子どもを育てる

 松沢氏は、その理由の一つとして、複数の子どもが同時に育てられることを挙げています。

 チンパンジーは、5年に一度の割合で一人の子どもを産んで、その子どもを大事に育てるといいます。それと同じ子育てをしたら、成育に時間のかかる人間は、十分な数の子どもを育てることはできません。

 そこで人間は、早く離乳をさせて、手のかかる子どもを同時に複数育てる方法を採ったと松沢氏は説明しています。そのためには、母親から離れ、仰向けで静かに寝ていてくれる子が良いと言うわけです。

 それにとどまらず、以下のような理由も存在していると松沢氏は指摘します。

 

手を自由に操れる

 人間の赤ちゃんにとって、仰向けで寝ていることで手が自由になります。この姿勢のおかげで、人間の赤ちゃんは生まれながらにして手を自由に使えます。そのため赤ちゃんは、2,3か月からガラガラやおしゃぶりを手で握りしめ、口を介して持ち替えたりすることができます。

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 チンパンジーなら母親にただしがみついているだけの時期に、人間の赤ちゃんは手でものを掴んだりそれで遊んだりしています。これが将来、人間が手を器用に動かして生活するだけでなく、道具を自由に使える出発点になっていると考えられます。

 

コミュニケーションを発達させる

 母子が離れて育児を行うことで新たに生まれたことは、コミュニケーションが発達したことです。

 チンパンジーなどのホミノイドでは、母子が互いに見つめ合うことが見られました。さらにチンパンジーでは、人間と同じ新生児微笑がありました。

 しかし、人間の赤ちゃんでは、見つめ合う、微笑むことが飛躍的に増大したと松沢氏は指摘します。

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 さらに人間の赤ちゃんは、母親から離れて仰向けで寝ているために、母親だけでなく、父親や祖父母やきょうだいや周りの人たちから顔を覗き込まれる機会が増えます。覗き込む人に対して赤ちゃんは、本当にニコニコとよく笑います。これによって赤ちゃんは、母親以外の人からも保護を受けられる機会を増やすことになるのです。

 

泣いてお母さんを呼ぶ

 松沢氏は、夜泣きをするのは人間だけで、チンパンジーは夜泣きをしないと指摘します。お母さんに抱きついているので暖かいし、ひもじくなれば自分で母乳を吸えばいいし、排せつは木の上から自由にすればいいし、泣いて呼ぶ必要がないからです。

 これに対して、人間の赤ちゃんは、声を出して呼ばないとお母さんが来てくれません。おなかが減ったり、寒かったり暑かったり、オムツが気持ち悪かったりすることを泣いて叫ばないと、お母さんに伝わらないのです。

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 泣く赤ちゃんに対して、お母さんの方も「〇〇ちゃん待ててね」と声を掛けます。松沢氏は、生まれながら声でやりとりする行為が、人間の言葉の始まりであると指摘しています。

 この後に人間の赤ちゃんは、「あー」「うー」という声を出し、それが「あーうー」と二音節になり、「ばーぶーばーぶー」と組み合わされて喃語(なんご)と呼ばれる発声に発達して行きます。そして、1歳ぐらいになると赤ちゃんは、言葉を話し始めるようになります。

 

他人の子どもも一緒に育てる

 松沢氏は、人間は成育に時間のかかる子どもを育てるために、早く離乳をさせて、手のかかる子どもを同時に複数育てる方法を採ったと指摘しました。それに加え、人間は他人の子どもも一緒に育てることによって、子どもの成育をより確かなものにしました。

 今では一般的ではありませんが、伝統的な社会、例えば未開部族では、親以外の人間が子育てに関わるのは当然のことと見なされています。子どもは両親だけのものではなく、部族のものであり、したがって、部族のみなで子どもを育てるのは当たり前のことなのです。

 狩猟採集民の間では、赤ちゃんの世話が共同作業になっており、母親と父親、祖父母、おば、大おば、年長の同胞だけでなく、他の村人も分担して育児を行います。さらに、育児をする母親たちは、他人の赤ちゃんにも母乳を与え合います。このことによって、それぞれの母親が一時的に育児から離れ、森に食べ物を採りに行くこともできます。また、それが子育ての息抜きになることもあるでしょう。これらは実によくできた子育ての仕組みであると考えられます。

 

アシャニンカ族の子育て

 ここで、2010年5月にNHKで放送された番組、「プラネットべービーズ『ペルー 叱らない森の子育て』」から未開民族の子育てを紹介しましょう。
 ペルー、アマゾンの先住民アシャニンカは、精霊を信じて暮らす森の民です。彼らは、薬草の知識を生かし、畑でイモを育てながら自給自足の生活を送っています。

 

叱らない子育て

 アシャニンカの子どもは、いつも母親の側にいます。子どもは親の隣で親のすることを真似ます。わずか3歳で大きなナイフを片手にイモ掘りを手伝う子どもに、母親はナイフを取り上げることも、その使い方を教えることもありません。子どもは見よう見まねでナイフを振り回し、大地を掘ります。
 母親はそんな子どもを注意することも、叱ることもしません。子どもが上手くできても、褒めることさえありません。母親はただ傍らで微笑み、子どもを見守っています。そして、子どもがしてくれたことに対し、最後に「ありがとう」とだけ言うのです。

民族の伝説を語り聞かせる父
 3歳の息子が母親の仕事の邪魔をしても、姉にちょっかいを出しても誰も叱りません。代わりに祖母がやってきて、薬草の風呂を準備します。泣いて嫌がる子どもを、祖母が薬草の風呂に入れ、清めます。アシャニンカでは、子どもが悪さをしたり手伝いをしないのは、悪い精霊のせいだから薬草で追い出せばいいと考えます。そして、風呂が終わった後に、両親が子どもを慰めます。
 アシャニンカの父親は、「子どもは叱る必要はありません。子どもは本来純粋で、無垢な存在です。子どもを叱ると憎しみがこころの中にたまり、親や家族に対して悪い感情を持ちます。そんな大人にならないように、叱らないのです」と話します。そして父親は、夜には満天の星空のもと、自分たちの民族の伝説を子どもたちに語り聞かせるのです。

 こうした叱らない、しかも褒めない子育ての意味については、また後で取り上げることにします。

 

 さて、このように進化してきた人間の子育てですが、そこには負の側面も存在しています。その内容については、次回のブログで検討してみたいと思います。(続く)

 

 

文献

1)松沢哲郎:想像するちからーチンパンジーが教えてくれた人間の心.岩波書店,東京,2011.