人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(1)

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 今年の1月24日、千葉県・野田市で小学4年生の栗原心愛(くりはら みあ)さん(10)が、父親の栗原勇一郎容疑者(41)から、冷水のシャワーをかけられるなどの虐待を受けて死亡しました。事件の直前には、心愛さんの危機を知らせるシグナルが出ていたにもかかわらず、学校や児童相談所がそれを受け取れなかったことが問題視され、今も批判的な報道が続けられています。

 また、昨年の3月には、東京都目黒区の船戸結愛(ふなと ゆあ)ちゃん(5)が、父親の船戸雄大容疑者(33)と母親の優里容疑者(25)から虐待を受けて死亡しました。ノートに綴られた「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」という反省文と結愛ちゃんの笑顔の写真は、未だに痛々しい記憶として蘇ってきます。

 千葉の事件を受けて政府が緊急確認を行ったところ、全国で170人の児童が親と引き離されて保護を受けていることが確認されました。児童相談所が面会できずに継続対応が必要な子どもも2626人おり、そのうち35人は所在が不明だということです。

 人はなぜ、わが子を虐待したり殺してしまうという愚かな行為をするのでしょうか。今回のブログでは、この不可解で身近な問題について検討してみたいと思います。

 

虐待する親は動物レベル?

 週刊朝日の電子版に、「虐待する親は、目先の感情でしか動けない動物のレベル」 東大卒ママの“しつけ”論 という記事が掲載されました(3月17日)。これは、ベストセラーになった『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』の著者である杉山奈津子さんが、自らの子育てに奮闘しながら書いた育児論です。

 この中で杉山さんは、「人間は、言葉というコミュニケーション手段をもっています。問題が生じたら、話し合いで解決していくべきです。それにも関わらず、一方的な暴力で従わせることは、親が目先の感情でしか動けない『動物のレベル』なのだといえるでしょう」と指摘してます。

 一方的な暴力で従わせてしつけを行うことが間違っているのは、杉山さんが指摘する通りです。しかし、この行為が「動物のレベル」と表現することには問題があります。なぜなら、動物は子育てにおいて虐待をしないからです。子育てにおいて虐待をするのは人間だけであり、言い換えれば、虐待こそ人間に特有の行為だと言えるでしょう。

 つまり、虐待は「人間のレベル」にならないと起こらない出来事なのです。

 

動物の子育て

 動物には子育てをする動物としない動物がいますが、子育てをする動物では、その方法が種によって決まっています。ミツバチにはミツバチの子育てが、フクロウにはフクロウの子育てが、ネコにはネコの子育てがあります。そこには個体による個性はなく、ネコであればどのネコもネコ流の子育てをします。環境によって多少の違いは生じるでしょうが、それでもミケとタマがミケ流やタマ流の独自の子育てをすることはありません。それは子育てが、本能によって規定されているからです。

 動物は本能に従って子育てをしているために、その目的も明確です。その目的とは、自らの遺伝子を次の世代に繋げることです。動物の親は子を育て上げることに全精力を傾けますし、自らの遺伝子を有した子孫をいかに数多く残すかに専心します。そのため、子を虐待したり、ましてや殺してしまうことはあり得ないのです。

 一方で、ライオンやクマなどの、生態系の頂点に立つ動物が子殺しをすることが観察されています。しかし、それは自らの子を殺すのではありません。オスが殺すのは他のオスの子であり、子を殺されたメスは、初めて新たにオスを受け入れるようになります。つまり、ライオンやクマが子殺しをするのは、自分の子をメスに生ませるためであり、それは自らの遺伝子を残すための戦略であると言えるでしょう。

 

子育ての変遷

 人間の子育てを考えるために、人間に至るまでの、哺乳類の子育ての変遷をみてみましょう。

 チンパンジーの研究で有名な松沢敏郎氏は、『想像するちからーチンパンジーが教えてくれた人間の心』1)の中で、哺乳類の子育ての進化を、次のようにまとめています。

 

①哺乳類    母乳を与える

②霊長類    子が母親にしがみつく

③真猿類    母親が子を抱く

④ホミノイド  互いに見つめ合う

⑤人間     親子が離れ、子が仰向けで安定していられる

 

 これを順に見ていくことにしましょう。

 

哺乳類の誕生 

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 哺乳類とは、その字のごとく母親が乳を与えて子を育てる動物の仲間です。母乳で子を育てることには、いくつかの利点があります。まず、子がみずから餌をとらなくて済むことです。餌をとるためには様々な危険が伴います。危険な環境に行かなくてはならなかったり、餌をとるために捕食者に狙われることもあります。哺乳類の子は、母親の母乳を飲めば済むことで、こうした危険を回避することができます。

 成長に必要な栄養を、母乳によってバランスよく与えられる利点もあるでしょう。母乳の成分は種によって異なっています。母乳は、その種の成長に必要な栄養素を含んでいるわけですから、母乳を飲んでいさえすれば、哺乳類の子は自然と成長して行けるわけです。

 餌が取れない状況でも、しばらくは子育てができる点も挙げられます。母親は自らの体力を犠牲にして、子に栄養を与えることができます。これはいつまでも可能なわけではありませんが、一時的な飢餓状態であれば、哺乳類は子育てを継続することができます。

 このように考えると、母親が自らの体液である母乳を与えて子を育てるという哺乳類の戦略は、子孫を残すと言う意味で実に画期的なものであったと言えるでしょう。

 

子が母親にしがみつく 

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 子育ての次の進化は、霊長類にみられます。それは、子が母親にしがみつく行為の出現です。写真は、ワオキツネザルの親子です。子ザルが母親のからだにしっかりしがみついて、母乳を吸っているのがわかります。ワオキツネザルは霊長類のなかでも原猿類に属し、原始的なサルの仲属に分類されます。ワオキツネザルなどの原猿類では、子ザルは母ザルにしがみつきますが、母ザルは子ザルを抱きません。

 それでも、子ザルが母ザルにしがみつくことには重要な意味があります。子ザルは母ザルにしがみつくことによって、いつでも母乳を飲むことができます。そして、母ザルにしがみついていることで、母ザルと一緒に外敵から逃がれることができます。さらに母ザルと密着していることによって、体温を維持することもできるでしょう。これらの利点は、子ザルが安全に成育するために有利に働くものと考えられます。

 

母親が子を抱く

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 霊長類の中でも真猿類になると、子ザルが母ザルにしがみつくだけでなく、母ザルが子ザルを抱くようになります。写真はニホンザルの母ザルが、子ザルを抱いているところです。子ザルが母ザルにしがみつき、母ザルも子ザルを抱くことによって、母子間の結びつきは一層緊密になります。子ザルは母ザルに抱かれることにより、危険から守られるという実際上の安全性だけでなく、母ザルから守られているという心理的な安心感も得ることになるでしょう。

 なお、霊長類は、以前は四手類と呼ばれていたそうです。霊長類には足がなく、手ばかりが四本あると考えられています。足と手は同じ構造をしており、それは霊長類が樹上生活をするようになって、4本の手で枝をつかむように進化したからです。子ザルが母ザルにしがみつき、母ザルが子ザルを抱くことができるのは、この4本の手の存在があるからだと言えるでしょう。

 

互いに見つめ合う親子

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 人間と大型類人猿を合わせたものを、ホミノイドと言います。松沢哲郎氏によれば、ホミノイドだけが、母と子が互いに見つめ合うのだそうです。ニホンザルの親子では、子ザルは母ザルの胸にぴったりとくっついていて、互いに見つめ合うことはありません。これに対してチンパンジーは、上の写真のようにちょっと「高い、高い」をして、顔と顔を合わせて見つめ合います。

 それだけでなく、チンパンジーの赤ちゃんには、人間と同じように新生児微笑(生後間もない人間の赤ちゃんに見られる、自発的な微笑み)が見られるそうです。さらに生後3か月を過ぎると、目を開いて相手を見てニッとほほ笑むようになるといいます(上掲書58‐59頁)。

 これらの行動は、チンパンジーの親子に、早くから情緒的なコミュニケーションが存在していることを窺わせます。それだけでなく、チンパンジーが極めて社会的な存在であることも示しています。さらに、新生児微笑や目が見開いてからも相手に微笑みかけることは、子ザルにとって、母ザルまたは母ザル以外の存在からの援助を得やすくなる利点があるのだと考えられます。

 人間とチンパンジーの全ゲノムを比較した結果、DNAの塩基配列の並び方は、98.8%が同じだといいます。人間とチンバンジーの子育てに共通の点が多いとしても、遺伝子レベルで考えれば当然だと言えるのかも知れません。

 ここまで哺乳類からチンバンジーまでの子育てをみて来ましたが、次回のブログでは、いよいよ人間の子育てについてみて行くことにしましょう。(続く)

 

 

文献

1)松沢哲郎:想像するちからーチンパンジーが教えてくれた人間の心.岩波書店,東京,2011.