沖縄は琉球特別自治区になってしまうのか(6)

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 辺野古埋め立ての賛否を問う沖縄の県民投票が終わった後も、事態は刻々と動いています。2月28日の沖縄県議会の一般質問で、日本国際貿易促進協会が主催する4月の訪中団に参加するのか問われた玉城デニー知事は、「中国政府の要人と直接、意見交換ができる貴重な機会だ。今年の訪中団に参加したい」と表明しました。

 玉城知事は、故翁長氏の遺志を引き継いで沖縄を独立させ、中国の保護を受けようとしているのでしょうか。そして、沖縄は中国の一国二制度に組み込まれ、琉球特別自治区になってしまうのでしょうか。

 

沖縄の真正保守の存在

 マスコミの報道では、沖縄では米軍基地反対派が大勢を占め、辺野古移設を推進しようとする日本政府とも対立しているように伝えられています。これは沖縄の現実を正しく伝えているのでしょうか。もしこれが沖縄の人々の民意であれば、悲しいことですが、わたしたちはその意思を尊重しなければなりません。

 しかし、そうとも言い切れません。沖縄にも普天間基地辺野古移設に賛成し、国防を真剣に考え、さらには日本と日本文化を守ろうと考えている人たちが存在しています。彼らは自らを、沖縄における真正保守と位置づけています。そして、沖縄の米軍基地を自己実現の場として利用している市民運動家や、沖縄を独立させ、中国との関係を強化させようと画策しているマスコミや政治家と戦っています。彼らの存在は、沖縄を守ってほしいと願うわたしたちにとっては、まさに希望の光であると言えるでしょう。

 

我那覇真子さんの戦い

 その沖縄の真正保守のスポークスマンの役割を果たし、さらに「琉球新報沖縄タイムスを正す県民・国民の会」の運営代表を務め、同時に日本文化チャンネル桜沖縄支局のキャスターを務めているのが我那覇真子(がなは まさこ)さんです。

 我那覇さんは平成元年生まれの若い女性ですが、その行動力と舌鋒の鋭さは、わたしたちの想像力を凌駕しています。

 2015年に当時の翁長知事が、ジュネーヴで行われた国連人権理事会の第30回定期会合に出席し、普天間基地辺野古移設を進める政府を厳しく非難しました。このときに我那覇さんはカウンタースピーチを行い、「安全保障に対する脅威である中国が、選挙で選ばれた公人やその支援者に自分達は先住少数民族であると述べさせ、沖縄の独立運動を煽動しています」、「我々沖縄県民は先住少数民族ではありません。どうかプロパガンダを信じないでください」、「沖縄は紛れもない日本の一部です」と堂々と訴えています。

 

沖縄の人々は日本を守るために戦った

 大東亜戦争の末期に行われた沖縄の地上戦では、本土防衛の盾となって7万人以上の日本兵士と、10万人近い現地民間人の犠牲者を生みました。わたしたちは沖縄の地上戦を、大東亜戦争の惨事の一つとして教えられてきました。沖縄の人々は、軍部が始めた愚かな戦争の無残な犠牲者だったという位置づけです。

 しかし、そうではないと我那覇さんは主張します。当時の沖縄県民は、日本の大義を、そして祖国日本を守るために自ら進んで戦ったというのです。そのことを明確に示す資料が、沖縄にいた海軍太田實少尉が、本国の海軍次官に宛てた打電文だと彼女は指摘しています。

 以下はその打電文の抜粋です(カタカナを平仮名に直してあります。🔲は判読できない部分です)。

 

「沖縄島に敵攻略を開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘に専念し 県民に関しては殆ど顧みる暇(いとま)なかりき

 然れども本職の知れる範囲に於ては 県民は青壮年の全部を防衛招集に捧げ 残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と家財の全部を焼却せられ 僅(わずか)に身を以て軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難 尚砲爆撃のがれ🔲🔲🔲風雨に曝されつつ 乏しき生活に甘んじありたり

 而(しか)も若き夫人は卒先軍に身を捧げ 看護婦烹炊婦(ほうすいふ)はもとより

砲弾運び 挺身切込隊すら申出るものあり (中略)

 看護婦に至りては軍移動に際し 衛生兵既に出発し身寄無き重傷者を助けて敢て 真面目にして一時の感情に駆られたるものとは思はれず (中略)

 之を要するに陸海軍部隊沖縄に進駐以来 終止一貫 勤労奉仕 物質節約を強要せられつつ(一部は兎角の悪評なきにしもあらざるも)只管(ひたすら)日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ 遂に🔲🔲🔲🔲与へ🔲ことなくして 本戦闘の末期と沖縄島は実情形🔲🔲🔲🔲🔲🔲

 一木一草焦土と化せん 糧食(りょうしょく)六月一杯を支ふるのみなりと謂ふ

 沖縄県民斯(か)く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」  

 

 以上の大意は次のようになります。

 沖縄島で敵の攻略を開始して以来、陸海軍は防衛のための戦闘に専念し、県民を顧みる余裕がほとんどありませんでした。それにもかかわらず、私の知る限りでは沖縄県民の青壮年の男子はすべて、防衛ための戦いに身を捧げています。老人や幼婦女は、相次ぐ砲撃弾に家屋と家財のすべてを焼きつくされながらも、軍の作戦に支障のないように小さな防空壕に避難し、なおも爆撃を逃れるために風雨にさらされつつ、貧しい生活に甘んじて耐えています。

 若い婦人は率先して看護婦や炊飯婦を行うだけでなく、砲弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえいます。看護婦にいたっては、衛生兵に取り残された身寄りのない重傷者を、自ら進んで助けています。これらの行為は、一時の感情に駆られたものとはとても思われません。

 これまで述べてきたように、陸海軍部が沖縄に進駐して以来、沖縄県民は終始一貫して勤労奉仕を続けています。あらゆる物資の節約を強要されながらも、ひたすら御奉公の思いを胸に抱きつつ戦ってきました。しかし、ついに報われることなく戦闘の終わりを迎えようとしています。

 沖縄は一本の木も一本の草さえも残らず焼き尽くされました。食料も6月一杯で尽きるでしょう。しかし、沖縄県民はこのように戦ったのです。後世にわたって、沖縄の人々に特別のご配慮がいただけますことをお願いする次第です。

 

 なぜ沖縄県民は勇敢に戦ったのか

 それでは、なぜ沖縄の人々は、大東亜戦争アメリカと勇敢に戦ったのでしょうか。我那覇真子さんは、『日本を守る沖縄の戦い』1)の中で、次のように述べています。

 

 「何故沖縄県民は沖縄戦を勇敢に戦ったのかー。

 それは、明治政府が沖縄人を琉球王府の悪政から解放してくれたからです。そして沖縄に近代化をもたらしてくれました。琉球王府の農奴から明治日本の国民になった意識の変化は、かなり衝撃的な事であったでしょう。(中略)

 明治政府の断行した政治は当時の人々にとって本当に画期的なものでした。教育、産業を振興し、社会インフラを整備する、これは王府の統治と全く異なるもので、民生向上を喜ばぬ者がいるわけがないのです。

 このような統治によって沖縄人は、はじめて社会的自我を持つことができるようになりました。自分の顔を持てるようになったと言ってもよいでしょう。(中略)

 以上見た様に、沖縄の日本編入は、反日左翼が何をどういおうと当時の沖縄人にとっては福音そのものであった事は確かです」(『日本を守る沖縄の戦い』206‐208頁)

 

 明治政府によって、沖縄は生まれ変わったと我那覇さんは言います。それは、教育、産業が振興され、社会インフラが整備されただけではありません。搾取される農奴から国民に生まれ変わったのであり、この変化によってはじめて沖縄の人々は、社会的な自我を、独立した個人としての自我を持てるようになっただと我那覇さんは指摘しています。

 

沖縄と本土は同じ民族

 しかし、明治政府が沖縄で行った政策は、朝鮮で行われた政策と同じものであったと思われます。なぜ韓国では今もって恨まれている政策が、沖縄では受け入れられたのでしょうか。

 我那覇さんは、次のように述べています。

 

 「その時代の沖縄県民が日本本土に抱いた思いは、素朴な感謝と尊敬と憧憬の念であった事でしょう。又学ぶ教育も元が同じ民族ルーツなので感性も通い、日本本土の文物を理解吸収する作業も本土とあまり変わりが無かったのです。それは神話の世界もよく共通して似ていることからも容易に想像できる事です」(『日本を守る沖縄の戦い』208頁)

 

 ミトコンドリアDNAから解析された近縁関係では、現代沖縄人は台湾人やアイヌ人よりも、本土の日本人に近いといいます。その系譜は、南九州に繋がると考えられています。つまり沖縄人は、弥生人に圧迫されて沖縄に逃げ延びた縄文人の子孫ではなく、九州から渡ってきた弥生人が基礎集団になっているようです。 

 そうであるとすれば、沖縄の言語や宗教において本土と共通点が多く認められるのもうなずけることです。我那覇さんは、沖縄と本土が同じ文化のルーツを持つからこそ、日本の近代化が沖縄においては抵抗なく、しかも感謝と尊敬と憧憬の念をもって迎えられたのだと指摘しています。

 

沖縄にも浸透した大和魂

 こうして迎えられた日本文化に支えられて、沖縄の人々も大東亜戦争を戦いました。

 

 「その沖縄県大東亜戦争において日本本土と運命を共にしようと思ったのは自然な事えあり、米軍が熾烈な攻撃を日本国沖縄県に加えようというのなら、これに日本人として敢然と立ち向かうことに何の疑いもなかったのです。

 自らに深い帰属意識をもたらすものは、命よりも尊いと感ずるのは自然の情です、沖縄県民にとって日本の心、大和魂は既に自らのものであり、これに誇りと喜びを感ずるのです。それが故の沖縄戦敢闘なのです」(『日本を守る沖縄の戦い』208‐209頁)

 

 沖縄戦の激しい抵抗の背後には、日本人の心、大和魂があったのだと我那覇さんは訴えているのです。

 

 戦争は悲惨なものです。わたしは戦争自体を礼賛するつもりはありませんし、できうる限りにおいて、戦争を起こさない努力を最大限尽くすべきだと考えています。
 しかしそのこととは別に、過去に沖縄の人々が、日本や日本文化を守るために自らを犠牲にし、命を顧みずに奮戦してくれた事実を、わたしたちが忘れ去ることだけはあってはならないと思います。(続く)

 

 

文献

1)我那覇真子:日本を守る沖縄の戦い ー日本のジャンヌダルクかく語りきー.アイバス出版,東京,2016.