沖縄は琉球特別自治区になってしまうのか(4)

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 前回までのブログで、沖縄の米軍基地で反対運動をする市民運動家たちは、自己主張のために全国から集まり、それを自己実現のために利用していることを指摘しました。そして彼らは、ひたすら自尊心を追求しているために、自尊心をくすぐられると簡単に相手の言うことを信じてしまう特徴があることも指摘しました。その先達として、朝日新聞記者であった本多勝一氏を取り上げました。

 今回のブログでは、沖縄における、本多勝一氏の後継者たちを検討したいと思います。

 

辺野古移設に反対し続けた知事

 昨年8月8日に亡くなられた翁長雄志(おなが たけし)氏は、最後まで普天間基地辺野古移設に反対した知事として有名になりました。県知事時代には、辺野古移設反対を訴えるために安倍首相や菅官房長官に直接会って直談判したのみならず、アメリカにまで渡って米軍基地反対を訴えようとしました(米政府高官には会うことができませんでしたが)。昨年5月に膵癌であることを公表してからも、治療を受けながら公務に復帰し、亡くなるまで移設反対を主張し続けました。こうした経緯から、彼は信念の人のように人々から理解されています。

 

変節した翁長知事

 しかし翁長雄志氏は、最初から基地反対の立場を採っていたわけではありません。翁長氏は、1985年から2014年まで自民党に所属していました。そして那覇市議、沖縄県議、那覇市長を歴任し、当初から辺野古移設には賛成の立場でした。さらに自民党県連幹事長も務め、その時には辺野古移設推進決議案を可決させた旗振り役だったといいます。那覇市長時代には、那覇軍港を返還させるとともに、浦添沖を埋め立てて新しい軍港を造り、浦添移転を実現させています。このように翁長氏は、普天間基地辺野古移設の旗振り役を果たしただけでなく、辺野古移設の軍港版とでもいうべき、那覇軍港を浦添に移転させたという実績まで作っていたのです。

 ところが翁長氏は、 2014年に県知事選の出馬が取りざたされたころから、一転して辺野古移設反対を主張するようになりました。県知事選では自民党から離党し、日本共産党社会民主党・生活の党・沖縄社会大衆党などから支持を受け、前任の仲井眞 弘多氏に勝利して当選を果たします。それ以降翁長知事は、普天間基地の閉鎖、オスプレイ配備の撤回、普天間への基地移設反対などを訴えるようになりました。

  翁長氏はこのように、最初から普天間基地辺野古移設に反対していたのではなく、途中まで移設を推進していました。それが県知事選を前に、突然反対に鞍替えしたのです。

 

見限られた仲井眞知事

 前任の仲井眞 弘多(なかいま ひろかず)氏は、中国の明時代に琉球を訪れた中国人の子孫で、日本初の「中国福建人系知事」として知られています。2010年に二期目の知事選に出馬した際には、普天間基地に関する日米合意の見直しと基地の県外移設を訴え、また2012年には中国の北京に沖縄県北京事務所を開所するなど、親中派の知事であると見なされてきました。

 しかし、その一方で仲井眞知事は、2012年に米軍基地問題を含めた日本の安全保障問題全般を議論する研究機関を始動させ、また安全保障全般に関して取り扱う安全保障課を知事公室に創設しました。国の専権事項である防衛・安全保障の問題を、沖縄県知事が公に取り組むのは通常では考えられないことです。なぜ仲井眞知事は、わざわざ日本の安全保障問題に踏み込んだのでしょうか。

 先のブログで指摘した通り、2010年12月に「中華民族琉球特別自治区援助準備委員会」が成立したという公告が、中国国内の新聞や雑誌に掲載されました。2012年には「援助」の文字がとれ、「中華民族琉球特別自治区準備委員会」となりました。こうした中国の動きに、仲井眞知事は危機感を募らせたのでしょう。それまで主張していた普天間基地の県外移設は、中国の沖縄侵略に繋がりかねないと危惧したに違いありません。そこで仲井眞知事は、2014年に沖縄県議会の本会議において、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認したのです。

 これらの行動がいたく中国を刺激し、仲井眞知事は中国から見限られたのではないでしょうか。

 

白羽の矢を立てられた翁長氏

 これと時を同じくして、当時那覇市長だった翁長雄志氏の周囲が騒がしくなりました。2014年の知事選に立候補した翁長氏は、辺野古移設賛成から移設反対に立場を180度転換させました。それまで所属してきた自民党を離党し、日本共産党社会民主党・生活の党・沖縄社会大衆党から支持を受けることになりました。

 これほどの大転換、すなわちそれまでの政治活動も政治信条も、さらに所属政党までも正反対に変えて選挙戦に臨むなど、通常はできることではありません。そこには選挙に勝つための、よほど明確な勝算があったのでしょう。

 その勝算とは何であったのか。左派系で有名な琉球新報沖縄タイムスの新聞2紙の親翁長的な報道や、左派政党の協力と市民運動家の働きが大きな役割を果たしたことは間違いありません。しかし、それだけでは翁長氏の当選は説明できません。その背後に大きな力、つまりマスコミ、左派政党、市民運動家をまとめて一つの方向に動かすような巨大な力が存在したはずです。それが、海洋覇権国家として発展著しい中国だと考えられます。

 

なぜ翁長氏は転向したのか

 それにしてもなぜ翁長氏は、知事選を前に米軍基地に対する態度を一変させたのでしょうか。政治信条でいえば、それは親米から親中に転向したことを意味しています。この際に、中国から何らかの働きがあったことでしょう。

 すでに鬼籍に入られた故人に聞く術はありませんが、翁長氏は中国から、沖縄独立への援助を持ちかけられたのではないでしょうか。

 以前から琉球新報沖縄タイムスは、社説などで沖縄を香港のような一国二制度に転換することを主張していました。それによれば、「自立の道を探っている沖縄社会は、かつて強く求めた本土との一体化よりも、むしろ返還後の香港やマカオのような高度な自治を期待する」というのです。

 翁長氏もこうした、一国二制度による沖縄独立を持ちかけられたのではないでしょうか。沖縄から米軍を撤退させ、日本から独立させた暁には、中国が沖縄の独立を守るというのでしょう。日本からの経済援助などなくても、一国二制度の香港のように、沖縄は経済的にもますます発展するとそそのかされたのではないでしょうか。経済的に停滞していた日本に比べ、発展著しい中国の経済を目の当たりにし、さらに上海の摩天楼やアジアのシリコンバレーと言われる深圳を見せつけられれば、中国の甘言に乗ってしまうのも無理はありません。

 そしてここからが大切ですが、沖縄が独立して発展すれば、翁長氏は沖縄独立の英雄として永遠に歴史にその名が刻まれるのです。これほど、知事の自尊心をくすぐる提案は他にはないでしょう。

 

中国では一国二制度は成立しない

 しかし、中国による一国二制度は、原理上成立することはありません。中国を支配している共産党は、いわずもがな共産主義を標榜しています。共産主義とは、その本質はユダヤ教から派生した疑似一神教です。疑似一神教と言っても、一神教の性格はそのまま受け継いでいます。一神教であるからには、世界は一つの原理によって説明されなければなりません。すなわち共産主義を掲げる国家は、一つの原理によって社会を統括する必要があるのです。(以上の詳細については、2018年2月のブログ『共産主義社会にはなぜ独裁者が生まれるのか』をご参照ください)。

 中国のチベット自治区やウィグル自治区で民族が弾圧され、独自の文化や宗教が根絶されようとしているのは、中国が疑似一神教国家だからです。一神教国家では、他の文化や宗教を容認することができません。同様に、国の制度が二つに分かれていることも容認されないでしょう。現在一国二制度を標榜している香港やマカオも、いずれは中国による一国一制度に吸収されていくものと考えられます。

 こうした現実は、翁長知事には見えていなかったに相違ありません。

 

辺野古移設の県民投票は何を問うているのか

 翁長知事が亡くなった後に、後継者として立候補した玉城デニー氏が、新たな沖縄県知事に当選しました。彼は故翁長氏の遺志を引き継ぎ、普天間基地辺野古移設に反対の立場を堅持しています。そして、辺野古移設に対する県民投票を呼びかけ、ついに来る2月24日に投票が実施されることになりました。

 この県民投票は、名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う投票として位置付けられています。実際には、普天間基地を返還するために辺野古に新たな滑走路を造るのにもかかわらず、普天間基地返還の是非は内容に含まれていないかのようです。また、辺野古にはすでにキャンプシュワブという基地が存在し、移設は滑走路を増設するだけなのに、わざわざ「新基地建設」と記されています。

 さらに驚くべきことに、投票の賛否は、「辺野古の埋め立てに賛成するか反対するか」を問うています。辺野古の美しい海を埋め立てることに賛成する人は、ほとんどいないのではないでしょうか。このようにこの投票は、基地移設の本質を全くはぐらかしているのです。

 それでも県民投票の結果は、米軍基地の辺野古移設反対、さらには米軍基地撤退へと強引に結び付けられて、沖縄の民意として喧伝されることになるでしょう。

 今度の県民投票の真意は、「沖縄独立の賛否」さらには「中国琉球特別自治区への賛否」であることに気付いている沖縄の人々は、はたしてどれほどいるのでしょうか。(続く)