沖縄は琉球特別自治区になってしまうのか(2)

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 前回のブログでは、基地移設反対運動を繰り広げている人々は、何を目指して移設反対を訴えているのかを検討しました。まず挙げられるのが沖縄の自然を守ることですが、自然破壊は何も基地建設に限ったことではないため、主な理由とは考えられませんでした。

 今回のブログでも、米軍基地移転に対する人々の意識について検討を続けたいと思います。

 

沖縄の不幸な歴史

 米軍基地移転、さらには米軍基地自体に反対する人々の気持ちには、大東亜戦争以降の沖縄の不幸な歴史が影響を与えていることが考えられます。

 大東亜戦争の末期に行われた沖縄の地上戦では、本土防衛の盾となって7万人以上の日本兵士と、10万人近い現地民間人の犠牲者を生みました。1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が独立した際には、沖縄は日本から切り離されました。アメリカは、琉球政府を創設して軍政下に置きました。そして、住民の住居や田畑を取り上げ、各地にアメリカ軍の基地や施設を建設しました。

 アメリカの軍政下では、兵士による殺人、婦女暴行、強盗といった事件や事故が頻発しました。この状況に対し、県民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ぶ抵抗運動を起こしました。また、その後も続く米兵による事件や事故への不満を背景に、1970年にはコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で、アメリカ軍車両および施設に対する焼き討ち事件が発生しています(コザ騒動)。

 1972年に沖縄が日本に復帰した後も、米軍基地は残されました。日米地位協定によって、米軍兵士が引き起こした事件や事故には、日本は介入することができませんでした。たとえば、1995年に米兵によって少女暴行事件が起こった際には米兵の引き渡しが拒否されましたし、2004年に沖縄国際大学に大型輸送ヘリが墜落した際には、沖縄県警による現場検証が拒否されました。これらの事件によって、沖縄は相変わらずアメリカ軍によって支配され続けていることが明らかになりました。

 このような不幸な歴史を考えると、沖縄の人々がアメリカ軍およびアメリカ軍基地に対して、不満や拒絶感を抱くのは無理もないことだと言えるでしょう。したがって、沖縄の人々が米軍基地の撤退を望むことがあるとすれば、それは自然な感情として理解することができます。

 

沖縄の市民運動家たち

 その一方で、米軍基地反対を声高に叫ぶ市民運動家たちには、場違いな違和感を感じます。辺野古で基地移設反対のデモをしている人々の中には、沖縄県以外から来た人が数多くいます。彼らはプロ市民と呼ばれています。

 プロ市民とは、プロフェッショナルとプロレタリアートのプロをかけたもので、要するにお金をもらいながら左翼思想を主張する市民という意味のようです。彼らは沖縄の軍基地に、砂漠の中でオアシスを求めるかのように全国から集まってきます。基地の敷地を示すフェンスや埋め立て予定地のバリケードに張られた横断幕や旗が、全国から寄せられていることがそれを物語っています。その中にはなぜか、ハングルで書かれたものもあります。

 彼らの一部は、辺野古にあるキャンプシュワブのすぐ隣に、いくつものテントを立ててテント村を作っています。また名護市の選挙の前には、有権者が1600名から1800名も増えることから、集団で移住してくる人たちもいるようです。彼らは地元の住人とは別に行動し、人々の日常生活にとって迷惑な行動を行っています。それにも拘わらず、「オール沖縄」という立場で、「沖縄の民意」を代表しているかのように主張を続けているのです。

 

プロ市民の奇妙な言動

 彼らプロ市民の行っている抗議行動を、インターネットの動画で見ると、実に奇妙な言動がいくつも見られます。

 たとえば普天間基地の入り口付近の道路では、出勤する米兵に向かって「ヤンキー、ゴーホーム」と叫んだり、MARINES OUT(海兵隊は出ていけ)とプラカードを掲げながら口々に叫ぶ抗議行動を朝早くから行っています。NO OSPREY というプラカードを掲げで叫ぶ人もいますが、「朝の6時からメガホン、拡声器使ってワァワァやられたら本当にうるさいですよ。あなた方の方がオスプレイよりうるさいよって文句言いました」と話す地元の人のインタビューもありました。

 埋め立てが始まった辺野古では、埋め立てを阻止しようと道路に座り込んだり寝転んだりする人々や、デモを阻止しようとする機動隊に向かって「お前たちの家もわかっているんだぞ。妻子だってわかるんだ、馬鹿者!」などと脅迫する人がいます。さらに、シュプレヒコールを上げたり団結のための歌を歌ったするなど、さながら学生運動を再現したような抗議活動が続いています。

 また、1月15日に「辺野古県民投票の会」の元山仁士郎代表(27)が、宜野湾市をはじめとした5市が県民投票に参加しないことへ抗議の意思を示すために、宜野湾市役所前でハンガーストライキを始めました。「5市が投票に参加するまで」としていたハンガーストライキは、5日目にドクターストップによって中止になりました。

 そもそも、ハンガーストライキによって政治を変えようとする手法自体が、民主主義の時代では問題でしょう。これに対して、「ハンガーストライキまでして世間に訴えようとする心意気がすばらしい」という意見も一部にはありましたが、その心意気は本当に一般の人々に届いたのでしょうか。普段から本気のハンガーストライキ(それは摂食障害の患者さんたちの拒食行動ですが)を診ているわたしたちからみると、点滴を受けながら、しかも素直にドクターストップに従ってわずか5日間で中止したハンガーストライキからは、「命をかけた必死さ」がまったく伝わってきませんでした(もちろん、本来は命をかけてはいけないのですが)。

 

プロ市民が目指しているもの

 彼らプロ市民は、基地反対運動を行うことによって何を目指しているのでしょうか。

 基地問題で苦しむ沖縄の人たちを助けたいのでしょうか。それなら現地の人たちともっと話し合いをし、協力して運動をする必要があるはずです。間違っても、沖縄の人々の日常を妨害するような行為はするべきではないでしょう。彼らの反対運動からは、このような現地の人々に寄り添う姿勢がまったく感じられません。

 では、普天間基地を撤去し、辺野古への基地移設を阻止しようと本気で考えているのでしょうか。普天間基地の入り口で、毎朝出勤する米兵に向かって「ヤンキー、ゴーホーム」とか「MARINES OUT(海兵隊は出ていけ)」と叫び続ければ、彼らは嫌になってアメリカに帰ってくれるでしょうか。また、埋め立てを阻止しようと道路に座り込んだり寝転んだりすれば、基地移転はできなくなるでしょうか。機動隊によって、道路から移動させられるだけではないでしょうか。一人の青年がハンガーストライキをすれば、県民投票を実施しようと政治家たちが意見を変えるでしょうか。もっとも彼は、直ぐにストライキをやめてしまいましたが。

 彼らは、基地を撤去したり移設させないための、実効性のある現実的な対応ができていません。自分たちの行動が、米軍基地を撤退させるためにどのような効果があるのかが計算されていません。そして、もし効果がなければ、効果を得るためには活動をどのように修正するべきかといった再検討がありません。そのため、効果があってもなくても関係なく、いつも同じような活動を繰り返しているのです。

 

反対運動の目的は

 彼らプロ市民は、なぜ効果の上がらない反対運動を繰り返すのでしょうか。それは彼らの運動の目的が、米軍基地を撤去させること自体にはないからです。

 では、その目的とはいったい何でしょうか。それは第一に、自らの思いを主張することにあると考えられます。「米軍基地反対」「日米安保反対」「平和憲法を守れ」といった自らの思想を主張することができる場が、まさに米軍が存在する沖縄だということです。市街地に近接して事故が起こりやすい普天間基地や、自然を破壊して滑走路を造る普天間は、全国から注目が集まることもあって、自己主張の格好の場になっていると言えるでしょう。

 さらに同じ考えを持つ市民が集まって、国家や米軍に立ち向かうという構図には、社会を改革しようというヒロイズム的要素が存在しているのでしょう。そこに「平和を守れ」「美しい自然を守れ」といった絶対的な正義を加えることによって、自らの行動に酔いしれることができるのかも知れません。

 こうして沖縄の基地反対運動は、彼らにとって「自己実現の場」になっているのです。(続く)