憲法九条の改正はなぜ必要なのか(2)

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 前回のブログでは、日本の若者の自己肯定感の低さについて、戦後にGHQが画策したWGIPウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)にまで遡って検討しました。そこでは、WGIPに影響を受けた日教組による教育や朝日新聞を代表とするマスコミによる報道が、日本人のアイデンティティーと歴史への信頼を内部崩壊させ、このアイデンティティーと歴史への信頼の崩壊が、若者の自己肯定感を低くしている要因の一つであると考えられました。

 この考察に対して、日本には平和憲法と平和主義という誇るべき文化があるのではないか、という反論があるかもしれません。そこで今回のブログでは、平和憲法が若者の誇りにつながるのかという点について検討をしてみたいと思います。

 

平和憲法とは

 まず平和憲法の中核である、日本国憲法の第九条の条文をみてみましょう。

 

第九条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 この条文を読んで素晴らしいと感じるのは、日本人くらいではないでしょうか。

 もちろんこの条文の内容は、究極の理想ではあるでしょう。しかし、もしこの条文が自分の国の憲法にあったなら、普通の国の人々は極度の不安と恐怖感を感じるのではないかと思われます。なぜならこの条文は、他国が自分たちの国を蹂躙し、征服しても構わないと表明していることに等しいからです。

 

なぜ九条を素晴らしいと感じるのか

 ではなぜ、日本人は憲法第九条を称賛するのでしょうか。それは、日本民族の成り立ちに起因しています。

 これはわたしの仮説ですが、日本民族ユーラシア大陸での戦いに敗れ、敗走を続けて日本列島にたどり着いた人々の末裔だと考えられます。後に縄文人と呼ばれた人々は、戦いの文化を持たなかったためにユーラシア大陸の各地で絶滅させられました。しかし、彼らの一部は、優れた航海技術を持っていたこともあって、日本列島にたどり着くことができました。

 縄文人は、約1万2千年前から約2400年前までは日本列島の主役でした。彼らは戦闘のための武器を持たず、戦争自体を行いませんでした。そして、戦争のない時代を1万年も続けました。それが可能だったのは、日本列島が海に囲まれていたからです。特に縄文時代には温暖化のため海が陸地深くまで押し寄せており(これは縄文海進と呼ばれています)、大陸と日本列島には現在以上の隔たりがありました。そのため、優れた航海技術を持つ縄文人以外は日本列島にたどり着くことができず、縄文人は戦争のない平和な社会を維持することができたのです(以上の詳細は、2018年3月のブログ『縄文人はなぜ戦争をしなかったのか』をご参照ください)。

 縄文人のDNAを、わたしたちは3割ほど受け継いでいると言われています。そしてDNAだけでなく、縄文人の文化もまた、日本文化の底流に流れ続けてます。武器を持たず戦争を行わないという日本国憲法第九条の精神は、実は縄文時代に1万年をかけて育まれたものでした。日本人が九条を素晴らしいと感じるのは、日本文化の根源に縄文文化が脈々と受け継がれているからだと考えられます。

 

平和憲法は誇りになるのか

 では、日本文化に根付いた平和憲法は、日本人の誇りになるのでしょうか。

 確かに憲法第九条は、究極の理想を表している条文であると思われます。しかし、残念ながらそれは究極の理想に過ぎないのであって、現在の世界情勢には即していません。

 日本が戦争を放棄することができているのは、日本の領土内に世界最強の軍隊であるアメリカ軍が常駐しているからです。アメリカ軍がいる国に攻撃をしかけることなど、生半可な覚悟ではできないでしょう。

 また、九条では陸海空軍その他の戦力を保持しないと謳っていますが、現実には日本には自衛隊が存在しています。自衛隊専守防衛に徹し、海外に侵攻、展開できるような装備は持っていないとされていますが、 軍事費、防衛費では世界第8位ですし、グローバル・ファイヤーパワー(Global Firepower)の「2017年軍事力ランキング」では、世界の第7位に位置付けられています。

 これを外国からみたら、どのように映るでしょうか。日本には世界最強のアメリカ軍隊が常駐し、日本自体も世界第7位の軍事力を持つ自衛軍保有しています。また、外国人は、その国の憲法の条文などは知らないことが多いでしょう。これらを総合すれば、日本は世界有数の軍事量を有し、簡単には侵攻できない国家であると海外からは見られているのです。

 一切の戦力を保持せず、戦争を放棄するという憲法を持つ国が、実は世界有数の軍事力を保有している。こうした理想と現実との驚くようなギャップを考えれば、平和憲法が日本人の誇りになるとは簡単には言えないのではないでしょうか。

 

米軍基地をなくしたら

 せっかくの平和憲法が、現実との乖離が大きすぎて日本人の誇りにならないのなら、憲法第九条を厳密に日本の社会に適応させたらどうなるでしょうか。

 さすがに、いきなり日本からすべての軍備をなくすことは無謀すぎますから、憲法九条を順守するように主張する政治家は、まず日本から米軍を撤退させることを検討するでしょう。9月末に沖縄で玉城デニー県知事が誕生しましたが、彼と彼を支持する人たちの主張は、沖縄から米軍基地をなくすことです。代わりに自衛隊の軍事力を増強するという話は聞きませんから、自衛隊はそのままで米軍基地のみをなくすという方針でしょう。

 これと同じように、米軍の撤退を現実に行った国があります。それはフィリピンです。

 1991年のピナトゥボ火山の大噴火によって米軍基地が被災し、これを契機にフィリピン、アメリカ両政府は基地協定を延長せず、在比米軍の撤退が決定されました。まずクラーク空軍基地から撤収が始められ、1992年にスービック海軍基地からも撤収し、フィリピンにおけるアメリカの軍事的な影響力は著しく減少しました。さらに1995年以降、アメリカとフィリピンの共同軍事演習が取りやめとなりました。 
 この米軍撤収の直後から、中国と東南アジア各国が領有を主張する南沙諸島スプラトリー諸島)において、中国人民解放軍の活動が活発化します。この動きをみてアメリカ政府は、1998年に訪問米軍に関する地位協定をフィリピンと締結し、さらに1999年に共同軍事演習を再開しました。

 それにもかかわらず中国は、2014年からフィリピンが領有権を主張する環礁の埋め立てを始めました。これに対してフィリピンは、「フィリピンの領域内で行われている中国の行為は国際法に違反している」と批判しました。さらに、2014年5月にミャンマーで開かれた東南アジア諸国連合 (ASEAN) 首脳会議の場で非公式ながらこの行為について問題提起し、各国と共同して中国に抗議を行いました。この抗議に中国は、「自国領で行っていることであり、何を造ろうと中国の主権の範囲内である」と反論します。 

 いっこうに状況が改善しないためフィリピンは、南シナ海に対する中国の領有権主張や人工島の建設などが国際法に違反するとして、中国を相手に提訴に踏み切りました。2016年7月にオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、フィリピンの訴えを全面的に認め、中国の主張には法的根拠がないという判断を下しました。ところが中国は、この判決に対して「仲裁法廷の判決は無効で、拘束力がない」と反発し、その後も南沙諸島の埋め立て地で、滑走路や港湾施設の建設といったインフラ整備を公然と進めています。

 以上の経緯によって、領土問題を決定しているのは相変わらず軍事力であり、外交交渉や国際法が無力であることが明確に示されました。

 同じことが日本で起きないとは言いきれません。沖縄から米軍が撤退すれば、尖閣諸島を端緒として、同様のことが次々と起こる可能性は充分に考えられるでしょう。(続く)