朝日新聞はなぜ国益に反する報道を続けるのか(3)

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 朝日新聞は、戦前には日本を破滅へと至らせる戦争を後押ししました。戦後には態度を一転し、反戦、反政府の立場を採ります。そして、中国や北朝鮮、韓国を擁護する立場から、過去の軍人や当時の日本政府を徹底的に批判しました。その結果、日本の立場は悪くなり、日本人の品位は世界中で貶められました。このように朝日新聞は、日本および日本人を追い詰めるような報道を、戦前、戦後と一貫して続けています。最近では、森友・加計問題で安倍政権を執拗に追求し続け、内外の重要懸案の解決を難しくしています。

 なぜ朝日新聞は、国益に反する報道を一貫して続けようとするのでしょうか。

 

徹底した反省のため?

 まさか朝日新聞は、意図的に日本および日本人を貶めようとしているわけでもないでしょう。意識的には、戦争に賛同する報道をしてしまったことに対する、徹底した反省に基づいて行動しているのでしょう。その反省から、戦争を導いたものを検証して批判を加える。さらに戦争につながる可能性を含むものを炙り出し、その可能性が拡大しないように監視することを自らの信条としたのではないでしょうか。そして、この信条に基づいて行動することこそが、日本の平和と尊厳を守ることになると確信しているのだと推察されます(違うかもしれませんが)。

 しかし、現実には朝日新聞の報道は、平和と尊厳を守るどころか日本の立場を危うくしてしかいません。なぜこのような矛盾が生じるのかを、今回以降のブログにおいて、精神分析的に検討してみたいと思います。

 

外的自己と内的自己の分裂

 この検討を行うために、少々遠回りになりますが、まず外的自己と内的自己という概念についての説明から始めましょう。

 岸田秀は、『ものぐさ精神分析1)において、R・D・レイン精神分裂病論をもとに、日本近代の精神分析を行っています。それによれば、ペリー・ショックによって日本国民は、外的自己と内的自己に分裂することになりました。

 外的自己と内的自己は、レインが分裂病質者(精神分裂病-今でいう統合失調症を発症する前段階にある、偏った気質を示す者)の精神病理を説明するために提出した概念です。岸田は、レインが個人の精神病理として示した概念を、近代の日本国民という集団心理を理解するために応用したのです。

 外的自己と内的自己について、岸田は次のように説明しています。

 

 「他者との関係、外界への適応はもっぱら外的自己にまかされ、外的自己は、他者の意志に服従し、一応の適応の役目は果たすが、当人の内的な感情、欲求、判断と切り離され、ますます無意味な、生気のないものになってゆく。

 内的自己は、そのような外的自己を自分の仮の姿、偽りの自己と見なし、外的自己の行うことに感情的に関与しなくなり、あたかも他者の行動をながめるように距離をおいて冷静に突き放してそれを観察しようとする。

 内的自己のみが真の自己とされるが、内的自己は、外的現実および他者と切り離され、遊離しているため、ますます非現実的となり、純化され、美化され、妄想的となって行く」(『ものぐさ精神分析』12頁)

 

 ペリー・ショックによって惹き起こされた外的自己と内的自己への日本国民の分裂は、まず開国論(外的自己)と尊王攘夷論(内的自己)との対立になって現れたと岸田は言います。さらに屈辱的な開国を強制されたために、外的自己と内的自己の分裂は決定的になり、不安定になった内的自己を支えるために創られたのが、皇国史観という誇大妄想体系であったと岸田は指摘しています。

 

外的自己によって作られた明治政府

 明治維新が成り、開国論(外的自己)と尊王攘夷論(内的自己)との抗争は、外的自己の勝利に終わります。勝利した外的自己は明治政府を形成し、政治機構から風俗習慣に至るまで急激な欧米化を推進します。不平等条約の改正を目指して、一方では富国強兵が叫ばれ、他方ではグロテスクなほど卑屈な鹿鳴館外交が展開されます。

 内的自己は、神風連の乱から西南の役に至る一連の事件を通じて散発的に噴出したものの、深く潜航することになりました。しかし、内的自己は消滅したわけではありません。抑圧されたものは、必ずいつか回帰して表に現れるのです(以上、『ものぐさ精神分析』14頁)。

 

対米戦争は内的自己の爆発

 深く潜行していた内的自己は、長い時を経てついに爆発的に表に現れます。岸田は、それが対米戦争であると指摘します。

 

 「開戦以前の時期の日本では、外的自己と内的自己とがはげしく争っていた。内的自己は外的自己を英米派と呼び、その対米追従をののしった。内的自己は右翼と軍部、特に陸軍が代表していた。

 日中戦争の泥沼化、いわゆるABCDラインに包囲されているという被迫害感、アメリカの対日禁輸などが外的自己の適応策を破綻させ、内的自己の立場を強め、最後にハル・ノートがだめを押した。

 追いつめられた日本は、辛うじて保っていた人格のバランスを崩し、抑えられていた内的自己が爆発し、ついに開戦となった」(『ものぐさ精神分析』18‐19頁)

 

 岸田はさらに、内的自己の解放によって蓄積されていたアメリカへの憎悪が自由に表現されたこと、開戦とそれに続く緒戦の勝利は日本国民の大半を高揚感と興奮の渦に巻き込んだこと、外的自己は徹底的に非自己化され、戦争に賛成しない者は文字通り非国民と呼ばれたことなどを指摘しています。

 加えて、戦争が内的自己の発現によって行われたため、現実感覚を欠いた作戦を繰り返して敗退を続けたこと、精神主義を貫いていたずらに兵士の命を失ったこと、バンザイ突撃と神風特攻はその典型的な例であること、大東亜共栄圏は幻想であったことなどを指摘します。ほかにも日本の不可解な行動の理由が詳しく説明されており、非常に興味深い内容が記されていますが、紙面も限られていますのでその詳細は同書に譲りたいと思います。

 

戦後は再び外的自己に 

 さて、敗戦によって、日本は再び外的自己が表に現れることになります。

 

 「本土決戦、一億玉砕を叫んでいた日本人は一夜にして従順なお人好しの平和主義者になった。世界の歴史上、アメリカの日本占領ほど、被占領国民の抵抗を受けず、進駐がスムーズに行われた例はない。昨日まで必死の形相で命を捨てて斬りこんできた日本人は、今日は微笑みさえ浮かべて占領兵士を歓迎しているのだった」(『ものぐさ精神分析』24頁)

 なぜ日本人にこのような急激な変化が起こったかといえば、それまで表面に出ていた内的自己を抑圧し、抑圧していた外的自己を表面に出す決心をしたからです。その結果、アメリカに対する態度は豹変することになります。

 「アメリカに対する態度は一変し、アンビヴァレンスの逆の面が現れて、鬼畜米英は自由と民主主義の国アメリカとなった。戦後の外交は、独立後さえ、対米追従外交に終始した。アメリカの意向と対立する外交方針をもつことができないのである。

 これはペリー・ショック以来の日本人のアメリカ・コンプレックスとでも言うべきもので、全面的反抗か全面的服従かのいずれに走ることはできても、拒否すべきは拒否し、従うべきは従う自主的、合理的態度はとれない。(中略)外的自己と内的自己とが分裂している限り、いくら自主的にならねばならないと頭でわかっていても、行動は両極端のいずれかに分裂し、自主的にはなれない」(『ものぐさ精神分析』25頁)

 

 こうして戦後の日本は、対米追従政策を現在に至るまで続けています。安倍首相が、あのトランプ大統領と蜜月関係を築いているように振舞っているのはそのためです。

 ちなみに、戦後の総理大臣で、対米追従政策をとらなかったのは、田中角栄鳩山由紀夫だけです。能力も実績もまったく違う二人ですが、アメリカの意向を拒否した点だけは共通しています。その結果両内閣とも、短命に終わることになりました。その原因について、アメリカからの謀略説がまことしやかに語られていますが、日本国内からの事情も大きく作用したのではないでしょうか。つまり、アメリカに追従しなければならないという外的自己からの圧力が、反内閣の大きな力となって作用したと考えられるのです。

 

戦後に内的自己はどうなったか

 抑圧された日本人の内的自己は、戦後にはどうなっていったのでしょうか。岸田は、内的自己は経済成長に表現の道を見出したと指摘しています。戦後の日本人はエコノミックアニマルと揶揄されるほどモーレツに働き、ついにGNPが自由世界でアメリカに次いで第2位になるまで成長を遂げました。そして、バブル経済の勢いに乗ってアメリカにも経済的な闘いを挑み、バブルの崩壊に伴って「第二の敗戦」を経験しました。

 結局、日本人が日米戦争および経済戦争によって解決しようとした問題、外的自己と内的自己との分裂の問題は依然として解決されずに残っていると岸田は指摘しています。

 次回以降のブログでは、この問題とからめて、朝日新聞について検討したいと思います。(続く)

 

 

文献

1)岸田 秀:ものぐさ精神分析青土社,東京,1977.