日本人が誇りを取り戻す日は来るのか(4)

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 東日本大震災は、日本に壊滅的な爪痕を残しました。しかし、社会秩序が崩壊した状況の中で、人々は和の文化に従って行動します。その行動は世界の人々を驚かせ、世界から賞賛を受けました。そのことで日本人は、和の文化の存在に気づき、和の文化の価値を再認識することになりました。

 その続きを、今回のブログでも述べてみましょう。

 

救済の手を差し伸べる共同体

 和の文化では、外国人であっても、いったん共同体に受け入れられると、助け合う身内と見なされるようになって行きます。共同体に溶け込めば、人と人との繋がりに組み入れられ、人の「輪」の中に入ります。そうなればたとえ困窮することがあっても、共同体が救済の手を差し伸べてくれるようになります。和の文化に特徴的なこうした対人関係は、震災でも発揮されることになりました。
 佐藤水産専務の佐藤充(みつる)さんが、自らの命を省みずに中国人研修生を避難させたニュースは、中国全土のメディアで報じられ、多くの人々の感動を呼びました。

 

 地震発生当時、地鳴りがして山は揺れた。佐藤水産株式会社の20人の中国人研修生たちは、宿舎付近の小高い場所にいた。まもなく同社専務の佐藤充さんが走ってやってきた。
津波が来たぞ!』
 そう叫ぶや、佐藤さんは研修生たちをさらに高台の神社に避難させた。研修生がみな無事に避難し終わると、佐藤さんは家族を探しに再び宿舎に戻った。だが、まもなく宿舎は津波で流され、再び佐藤さんの姿を見ることはなかった。(中略)
 地震発生当日は大雪に見舞われ、厳しい寒さのなか、研修生たちは行き場もなかったが、佐藤充さんの兄にあたる佐藤水産の社長、佐藤仁(ひとし)さんは、自宅が流された悲劇も顧みず、一晩じゅう研修生たちの寝泊まり先を探し回り、山上にある友人の家を見つけてくれた」(『世界が感嘆する日本人』1)39-40頁)

 

 中国人研修生を救ったのは、佐藤さんたちだけではありませんでした。佐藤水産がある宮城県牡鹿郡女川町には100人近くの中国人研修生がいましたが、彼らが無事だったのは地元の人たちが彼らを助けたからです。避難所では、研修生たちには毎日2~3度の食事が確保されました。研修生の一人は、「現地の人がすべての人間の生命を同等に尊重してくれたことが一生忘れられない」と話しています(同上41頁)。

 

助け合う人々

 同様のエピソードは、他にも紹介されています。地震発生当日、宮城県北東部の南三陸地方を旅行していた香港人夫婦は、帰国の目途が立つまでの6日間、日本の家族に無料で世話になりました。その間に毎日の食事を振る舞われたばかりか、別れ際には空腹にならぬようにと握り飯まで渡されたといいます。

 

 「葉さん夫婦を泊めた永沢家は一家4人。7歳と9歳の娘がいる家庭であったが、災難に遭いながらも葉さん夫婦たち5人を受け入れたのだった。
『彼らは私たちを家族同然に扱ってくれました。断水、停電で、食料も断たれ、食べ物を買うこともできないなかで、私たちは彼ら家族と同じものを同じ分だけ食べることができました。みんなで茶碗(ちゃわん)半分ずつのご飯を分け合ったのです。彼らの互いを思いやり、助け合う精神いたく感服しました』(中略)
『永沢家のご主人は私たちと言葉が通じませんが、私たちが不安なのがわかったので、外国人の友人に心配するなと声をかけ、その外国人が英語に訳してくれました。私たちをリラックスさせようといろいろと苦心してくれ、さらに“帰宅できる方法をなんとか探すから安心しなさい”とも言ってくれました』(中略)
 ついに永沢さん家族が仙台までの車を手配してくれ、葉さん夫婦は出発することになった。『彼らはたくさんの握り飯を準備してくれました。おなかがすかないようにと』(中略)
『隣同士も分け隔てありません。あるとき、近所の人がやって来て、“カレーライスができたから食べませんか”と私たちにも言ってくれました』
 涙が込み上げるなか、彼女は続ける。『とても感動しました。このように他人を思いやり、助け合うことが中国人にできるでしょうか。私は恐怖心から泣いたりはしません。彼らに感動して泣いているのです』」(『世界が感嘆する日本人』47-52頁)

 

 共同体の一員と見なされた者は、それがたとえ外国人であっても日本人とまったく同等に扱われるようになります。みんなで茶碗半分ずつのご飯を分け合ったり、カレーライスを近所の人にも分け与えようとする行為などは、貧しかった頃の日本社会を思い起こさせるようなエピソードでしょう。自分のことよりも家族のこと、家族のことよりも周囲の人のことを優先して考える日本人の行動は、災害においては合理的ではないように映るかも知れません。しかもそれは、食事の分配から命の価値に至るすべてに範囲に及んでいます。
 しかし、すべての人が同じように振る舞えば、すなわち皆が他人を思いやり助け合うことができれば、結果的には、より多くの人が生き延びることに繋がるでしょう。これは多くの自然災害を経験してきた、先人たちの知恵なのかも知れません。

 いずれにしても、すべての人間の生命を同等に尊重し、互いを思いやり助け合う日本人の精神は、千年に一度の大震災という非常事態であったからこそ、なおさら外国人を感動させたのだと思われます。

 

日本人のガマン

 ただし、海外のメディアが、諸手をあげて被災地の人々の行動のすべてを賞賛したわけではありません。
 イギリスの報道では、震災後の日本人の秩序正しさ、冷静さ、他者を思いやる心に賞賛を送りながらも、一方で日本人が示す「ガマン」に疑問を投げかけています。

 

 「世界じゅうが日本のストイックな精神を称賛しているが、日本の冷静さとenduranceの精神である『ガマン』には懸念する面がある。
 日本国民は冷静な国民であるが、そのなかでももっとも我慢強い被災者が東北の人々であることは、みんなが同意していることだ。東北出身のもっとも有名な詩人である宮沢賢治(みやざわけんじ)の作品には『雨ニモマケズ』で始まる有名な詩があるが、これは艱難辛苦に潔く自ら進んで耐える美徳を賛美している。しかし、これほどまでに本当の根性を試す試練があったことは、めったになかっただろう。さすがの東北の人々も、何も言わずに我慢する期間が長引くほど、復興の拍車として行動する気力がなくなるのではないか。(中略)
 東京タワーには『GANBARO NIPPON(がんばろう、日本)』というメッセージが照らされているが、いいことが起こるという希望というよりも、頭(こうべ)を垂れたまま我慢するという感じがしてならない。東北の人々はその言い方に腹立たしさを覚え始めている。というのもそれは、もっと我慢せよと要求しているように聞こえるからだ。ついに我慢できなくなれば、それは健全な兆候だ」(『世界が感嘆する日本人』115-116頁)

 

 日本人の我慢を行き過ぎだと捉え、我慢できないことの方がむしろ健全であるとイギリス人は考えるのです。

 

非人間的な冷静さ

 イタリアでは、2009年にアブルッツォ州ラクイアでM6.3の大地震が起きました。地震では308人が犠牲になり、歴史ある建物だけでなく新しい家屋も大きな被害を受けました。2011年になっても旧市街では立ち入り禁止が続き、未だに約2万人が仮住まいを強いられるなど復興が始まっていませんでした。

 それに比べて東日本大震災では、東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)が、被害を受けた870Kmの高速道路のうち813Kmをたった6日間という信じられない早さで修復しました。このニュースはイタリア人を仰天させましたが、さらに彼らを驚かせたのは、この迅速な対応にも拘わらず、NEXCO東日本の「すみません、ご迷惑をおかけします」という腰の低い態度でした(以上、同上135-136頁)。
 その一方で、日本人が示した冷静さが、感情を顕わに表現するイタリア人からは「非人間的」に見られた面もありました。

 

 「団結力と同じように、日本人の『冷静さ』は大々的に報道された。余震が続くなかでも即翌日から出勤した日本人や、まるで何事もなかったように道路を掃除している日本人。彼らの動じない反応は、イタリア人にとって冷たく見えた面もあった。(中略)携帯電話で地震の撮影をした映像がこちらのテレビで流れていたが、撮影者がのんきな声で『あー、揺れている』と言っている姿などが『非人間的』に見えたのである」(『世界が感嘆する日本人』137-138頁)

 

 同様の指摘は、ドイツの週刊誌でもみられました。

 

 「日本人特有の謙虚や奥ゆかしさはたしかに美しいが、情報を開示しない政府の対応もこの遠慮深さが関係しているのか。マスクの後ろに見える笑顔の不思議。未曾有の大震災でも『大丈夫です』と答える日本人の不思議。大地震の被害に遭って、肉親や家屋、財産を奪われてもなお、自らの生命や健康の危険にさらされるような過酷な『生きていくこと』が続くなかでの被災者の姿が、強靱に見える。(中略)
 被災地で、ある女性がスーパーに飲料水を買い出しに来た。水の不足が始まったばかりのころのことで入手は可能だったが、『今後入手が困難になる見込みのようですね』と取材者に対応した。そしてこの女性は笑みを浮かべているではないか。ヒステリーにもならず、苦情も訴えていない。想像もつかない大惨事による心配、痛み、落胆などのなかで、日本人のこの笑みはどこからくるのだろうか。それは、どう現実を受け止め対応していいのかわからないための取り繕いの笑いなのだろうか。(中略)
 日本人は困難や心配ごと、痛みや落胆などの感情を外に出さない国民なのだろう」(『世界が感嘆する日本人』157-158頁)

 

和の文化による行動

 こうした指摘は、震災後の日本人の言動が道徳心や理性的な判断に基づいて行われたのではなく、あくまで和の文化に導かれて行われたことの証明にもなっています。
 日本人が被害を嘆き、不安に震え、声を出して泣き、怒りを顕わにするような態度を示さないのは、集団の和を乱さないためです。個人のこうした激しい感情の表出は、他者に要らぬ動揺を与え、集団の調和を乱すことに繋がります。そうなってしまっては、集団として冷静を保ち、秩序正しく行動し、無私無欲さを示しながら助け合うことができなくなってしまいます。

 むしろ個人の感情は極力表に出さず、艱難辛苦にひたすら耐える姿を示すことが、他者の同情と共感を呼びます。そして、艱難辛苦を皆で共有することによって、被害がもたらす甚大なストレスに一体となって立ち向かうことができるようになるのです。
 つまり、以上のような言動は、和の文化の行動規範に基づいて行われているにすぎません。それを共同体の外部から見た場合には、過剰すぎる「ガマン」や、感情の乏しい「非人間的」な姿に映ってしまうのでしょう。
 また、日本人は集団の行動規範を保つために他者の眼を極端に気にしますが、それは共同体の外部の眼にまで及ぶことがあります。日本人が風邪でもないのにマスクをしたがるのは、自らの表情を他者の眼に晒したくないという側面があるのでしょう。そして、深刻な状況のなかでも外国人の記者に対して笑みを浮かべるのは、共同体の外部の者に敵意がないことを示すための無意識的な習慣なのだと考えられます。(続く)

 

 

文献

1)別冊宝島編集部:世界が感嘆する日本人 海外メディアが報じた大震災後のニッポン.宝島社,東京,2011.