日本人が誇りを取り戻す日は来るのか(1)

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 バブルが崩壊し、日本社会は長い停滞期を迎えました。日本人は自信を失い、日本社会はうつ状態に陥りました。1,990年台から、失われた10年とも失われた20年ともいわれた時代は、なぜこれほどまでも長く続いたのでしょうか。そして、日本人がうつ状態から脱し、日本人としての誇りを取り戻すことはきるのでしょうか。

 

夢を語るだけだった鳩山内閣

 2009(平成21)年の衆議院議員総選挙民主党が圧勝し、政権が交代して新たに鳩山内閣が誕生しました。政権発足当時70%以上の支持率を得ていた鳩山内閣でしたが、鳩山首相自身と小沢幹事長の金銭問題や、普天間基地移設問題を巡る混乱もあって、わずか9ヶ月弱での退陣を余儀なくされました。
 今となっては何をしたいのかさえよく分からなかった鳩山首相でしたが、彼の政策からは、それまで対米追従一辺倒であった自民党の政策から離反しようとするわずかな試みを読みとることができます。

 以前のブログで検討した「年次改革要望書」が廃止されたのは鳩山政権になってからですし、普天間基地移設問題では自民党政権時代の日米合意を覆し、基地の沖縄県外移設を高らかに宣言しました。基地移設は「国外」、「最低でも県外」と訴える鳩山首相の政策は、沖縄の人々はもとより、多くの国民からも驚きをもって受け取られました。それは、彼の政策がアメリカ政府の意向を度外視し、独自の外交戦略を確立しようとする姿に映ったからに他なりません。

 

幻だった普天間基地移設

 しかし、その姿は幻にすぎませんでした。鳩山首相普天間基地問題について、オバマ大統領には「トラスト・ミー」と語り、国会では「腹案を持ち合わせている。現行案と少なくとも同等かそれ以上の効果のある案だと自信を持っている。命がけで体当たりで行動してまいる。必ず成果を上げるので、政府を信頼していただきたい」とまで言い切りました。それにも拘わらず、8カ月間の迷走の末、結局「辺野古でお願いするしかない」と元の案に逆戻りしてしまいました。
 沖縄県民にとっては、期待が大きかっただけに裏切られたという失望がさらに大きくなりました。自民党政権が時間をかけてようやく漕ぎつけた辺野古移設案は、一気に水泡に帰することになりました。国民の期待感は、鳩山政権への不信感に変わりました。残ったものは基地問題の泥沼化と、日米関係の悪化だけだったのです。

 

危機管理能力のなさを露呈した菅内閣

 続く菅内閣では、2011(平成23)年3月11日に、1000年に一度の災害と言われる東日本大震災が起こりました。このときの対応に、国家の危機管理能力の欠如が露呈してしまいました。
 国難に遭遇した際に、日本には国民が一体となって危機に対応するという行動様式が存在します。欧米のような、強力なリーダーシップによって難事に対処する文化ではありません。それにも拘わらず菅首相は、「脱官僚」という民主党の政策方針もあってか、官僚を排して自らのリーダーシップを前面に押し出そうとしました。

 それが象徴的に現れたのが、原発事故に対する対応でしょう。菅首相は事故直後に福島第一原発まで直接乗り込み、自ら事態の収拾に当たろうとしました。しかし、そのことが却って現場を混乱させることになったと言われています。

 さらに、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDⅠ)のデータが国民にはすぐに公開されず、近隣住民の被爆を広げてしまうという問題も起こりました(しかしその情報は、米軍には提供されていたのです!)。これは、都合の悪い情報は国民に知らせずに隠蔽した、太平洋戦争時の大本営発表を彷彿とさせる出来事でしょう。

 民主党政権が残した暗い影

 菅首相は、就任直後から唐突に消費税の増税を口にしたり、所信表面演説で突然TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉に参加すると表明するなど、首相主導の政治手法にこだわっていたようにみえます。しかもそれを、日本の政治文化である根回しをせずに行いました。政策内容の是非はともかく、当然のごとく各方面からの激しい反発にあい、かといって菅首相にはそれを強行突破できるだけの政治力もありませんでした。

 さらに、震災対応への不満も加わって党内外からの求心力を失い、2011(平成23)年8月26日に菅内閣は退陣しました。こうして政権交代から2代続いた民主党内閣の混迷は、日本社会に暗い影を投げかけることになったのです。

 

自殺大国の日本

 経済的には、1991(平成3)年にバブルが崩壊して以降、日本経済は長い停滞期を迎えました。日本経済が停滞を続けると、経済発展に重心を置いていた日本社会からは活気が失われ、日本社会全体がうつ状態になりました。こうした世相を反映したためか、1998(平成10)年からは年間の自殺者数が3万人を超えるようになり、これは2011(平成23)年まで続きました。
 自殺者の数が3万人というのは、大変な数字です。自殺者が1万人を超える国でさえ、世界には11ヵ国しか存在しません。その中でも日本は、インド、中国、米国、ロシアに次いで世界で5番目に自殺者の多い国に数えられます。人口10万人あたりの自殺率で比較しても、日本は北朝鮮、韓国、ガイアナリトアニアスリランカスリナムハンガリーカザフスタンに次ぐ9番目に位置しています。(以上は、各国の数字が比較可能なWHOの2012年の推計によっています。この年の日本の自殺者は2万7858人まで減少しており、3万人を超えていた時点の順位はさらに高かったことが予想されます)。

 

自己否定感の高まり

 以上は自殺既遂者の数であり、自殺未遂者はこの10倍の30万人存在します。さらに自傷行為や多量服薬などの自殺企図を含めると、その数は年間数百万人に達すると言われています。臨床現場の実感でも、自傷行為や多量服薬で救急外来に搬送される患者は決して珍しくなく、むしろ日常的にみられている印象さえあります。
 自傷行為や自殺企図に対する治療を行っていると、自傷や自殺を行おうとする人々に共通する特徴があることに気づきます。それは、彼らに自らを否定するような感覚が共通して認められることです。これを自己否定感といいますが、自己否定感は簡単に言葉で表現される場合もあれば、深層心理に埋もれていてなかなか言葉にできない場合もあります。後者の場合には、自傷行為や自殺企図が繰り返される傾向がありますが、いずれにしてもこれらの行為には、「ダメな自分を罰したい」という意図が存在しているように思われます。
 そもそも自傷行為や自殺企図が起こるのは、自分自身に攻撃性が向けられているからです。通常は周囲に対して向けられる怒りや攻撃性が、自分自身に向けられます。それは、悪いのは周りの人間ではなく、存在価値のないダメな自分の方だと彼らが感じているからに他なりません。そのためダメな自分自身に対して、怒りや攻撃性が向かうようになります。そして、怒りを伴った攻撃性が、自分の身体に向けられると自傷行為になり、自分そのものに向けられると自殺になるのです。

 

社会にはびこる自尊心の欠如

 では、自傷行為や自殺企図を行う人々が、自らを価値のないダメな存在だと感じてしまうのはどうしてなのでしょうか。個別的にみれば、それぞれの成育史の中で、自らをダメな存在だと感じる(または、ダメな存在だと感じさせられてしまう)ような経験が積み重ねられたのでしょう。その結果として、心の中に自己否定感を抱え続けることになるのだと考えられます。
 一方で、自傷行為や自殺企図が増加している背景には、社会からの影響も存在しているでしょう。社会全体で自傷行為や自殺企図が増えているならば、社会全体で自己否定感を抱えている人が増えているのであり、そこには社会的な規模で何らかの要因が影響を与えているはずだからです。その要因の一つに挙げられるのが、日本全体にはびこっている自尊心の欠如ではないでしょうか。(続く)