空気とは何で、どのようにして作られるのか(4)

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 前回までのブログで、空気の特徴とその実体について検討してきました。

 人々の無意識の記憶によって惹起された、共同化された欲望や感情が空気の本体であるとすれば、空気はどの集団にも、またはどの文化にも現れるはずです。事実、欧米においても空気は、ヒトラーの登場と躍進の際に、またマルクス主義が世界に広まる際に、さらには米国が正義の戦争を始める際に社会に立ち現れ、それぞれの出来事に大きな影響を与えたと考えられます。
 このように空気は日本社会に特異的なものではありませんが、その反面日本社会では多く現れ、日本社会においてより大きな影響を与えているようにみえます。日本で空気と言えば誰にでもその意味が通じますし、空気の研究が日本で行われたのもそのためでしょう。なぜ日本社会では、空気の影響が大きくなるのでしょうか。

 

戦いへの忌避感
 さて、空気が集団に伝承される無意識の記憶痕跡から生じるとすれば、日本社会にはどのような空気が生じているのでしょうか。
 日本社会に伝承されてきた無意識の記憶痕跡には、多種多様な内容があります。古から伝わる記憶痕跡もあれば、比較的最近伝承された記憶痕跡もあるでしょう。日本社会全体に伝わるものもあれば、その地方特有に伝承されてきたものもあるでしょう。さらに、ある特定の集団に伝わる記憶痕跡もあれば、その家系にだけ伝わる記憶痕跡があるかも知れません。
 したがって、空気は大小様々な集団、つまり日本社会全体を覆うものから数人の集まりに至る様々な状況おいて生じます。そして、その内容も実に多岐に渡っているはずです。
 そうした多種多様な記憶痕跡の中でも、日本民族の成り立ちからして最も根源的だと考えられる記憶、つまり戦いに対する忌避感と戦いに敗れたことに対する屈辱感を生じさせる記憶は、折に触れて日本社会に重要な空気を生み出してきました。
 たとえば、和の文化を形成するために、空気は重要な役割を果たしています。戦いに対する忌避感を呼び覚ます記憶痕跡によって、戦いへの忌避感が集団で共有されると、「戦いを回避しようとする空気」を生み出します。この空気は、争いを避けるよう、対立を避けるよう、そのために皆が同じ行動を取るよう、全体がまとまるように集団を仕向けます。戦いに対する忌避感から生まれる空気は、こうして集団の和を優先するように作用します。

その場が優先される空気
 ただし、この空気はその集団のそのときの和を最優先するため、社会全体の、または時代を超えた和に逆行することも起こり得ます。
 今回のブログで最初に挙げた、戦艦大和の無謀な特攻出撃が検討されたのは、もし大和を出撃させずに終戦を迎えるようなことになれば、海軍の威信が揺らぐという空気が大勢を占めたからでした。
 そして、特攻に直前まで反対していた第二艦隊司令長官の伊藤整一に対しては、連合艦隊参謀長が「戦艦大和は一億総特攻の先駆けとなってくれ」と説得し、伊藤は「われわれは死に場所を与えられた」と語ってこれを受け入れたのでした(以上は2012年放送、NHK「巨大戦艦大和~乗組員たちが見つめた生と死~」より抜粋しました)。この場合、大和特攻時における海軍の和は保たれたのですが、その結果として、悲惨な結末へと至る絶望的な戦いに、数多くの若者を向かわせることになったのです。

 

敗戦に対する屈辱感

 一方、敗戦に対する屈辱感を呼び覚ます記憶痕跡によって、日本社会には屈辱感を晴らそうとする空気が蔓延しました。この空気に押されて、日本は朝鮮半島への侵攻、満州国の建国、さらには日中戦争の勃発と突き進み、ついには太平洋戦争にまでなだれ込みました。

 先のブログで検討したように、政治家や軍人の判断を後押ししたのは、当時の社会を被った、長年の屈辱感を晴らしたいとする空気の存在でした。特に太平洋戦争は、政治家も軍人も勝つ見込みがないと認識していた戦いでした。しかし、長年の屈辱感に加えて、ペリーによって無理やり開国させられた屈辱感の記憶が積み重ねられた日本人は、アメリカに対する屈辱感を晴らしたいという空気に押されて、ついに無謀な戦争へと日本を導いたのでした。

 

絶対的な概念がない

 では、空気によって太平洋戦争になだれ込んでしまったように、日本社会で空気の影響が大きくなった理由を考えてみましょう。

 最初の理由は、日本社会では絶対的な概念やイデオロギーの追求が行われなかったことにあります。それは絶対的な概念やイデオロギー間の対立が、和を乱して人々の対立を助長させ、悲愴な争いや戦いを引き起こしかねないからです。これは、一神教社会同士の戦いをみれば明らかでしょう。

 しかし、絶対的な概念やイデオロギーは、社会や文化にとっての重しになり、動かない固定点としての役割を果たすことができます。その重しであり動かない固定点が、空気による社会の流れを押しとどめます。つまり、絶対的な概念やイデオロギーを有する社会は、その時々の空気によって簡単には流されることがありません。日本社会は、この歯止めを意識的に創ってこなかったのだと考えられます。

 

恥が歯止めになる

 無論日本社会が、空気に対する歯止めをまったく持ち合わせてこなかったわけではありません。日本文化で歯止めの役割を担ってきたのは、日本社会に伝承されてきた恥の感覚です。恥を基本とした規範が、日本社会を制御してきました。
 山本は、『「空気」の研究』1)のあとがきで次のように指摘しています。

 

 「(『空気』が)猛威を振い出したのはおそらく近代進行期で、徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には『空気』に支配されることを『恥』とする一面があったと思われる。『いやしくも男子たるものが、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは・・・』といった言葉に表れているように、人間とは『空気』に支配されてはならない存在であっても『いまの空気では仕方がない』と言ってよい存在ではなかったはずである」(『「空気」の研究』221頁)

 

 山本が指摘するように、先人たちは恥の文化によって、空気に流されることを防いでいました。

 

啓蒙主義の副作用

 ところが、と山本は続けます。

 

 「昭和期に入るとともに『空気』の拘束力はしだいに強くなり、いつしか『その場の空気』『あの時代の空気』を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った」(『「空気」の研究』221-222頁)

 

 では、空気の拘束力が、昭和期に入って次第に強くなったのはなぜでしょうか。山本はその原因を、福沢諭吉らが目指した明治的啓蒙主義に求めています。

 

 「明治的啓蒙主義は、『霊の支配』があるなどと考えることは無知蒙昧で野蛮なことだとして、それを『ないこと』にするのが現実的・科学的だと考え、そういったものは、否定し、拒否、罵倒、笑殺すれば消えてしまうと考えた。ところが、『ないこと』にしても、『ある』ものは『ある』のだから、『ないこと』にすれば逆にあらゆる歯どめがなくなり、そのため傍若無人に猛威を振い出し、『空気の支配』を決定的にして、ついに、一民族を破滅の淵まで追いこんでしまった」(『「空気」の研究』58頁)

 

 ここでいう「霊」はギリシャ語のプネウマの日本語訳で、プネウマとは本来は風、空気を指す言葉であり、「霊(プネウマ)の支配」とは「空気の支配」を言い換えたものです。

 つまり、明治時代に目指された極端な理性・科学主義によって、空気のような非科学的なものは存在しないと見なされるようになり、そのことが却って空気の支配による歯止めをなくし、空気の支配が傍若無人に猛威を振るい出したのだと山本は指摘します。

 この、「ある」ものを「ないこと」にすれば逆にあらゆる歯止めがなくなり、そのため傍若無人に猛威を振るい出すという説明は、まさに精神分析的な捉え方を彷彿とさせます。これは、無意識の記憶痕跡や無意識の欲動を無視すればするほど却って歯止めが効かなくなり、無意識の支配を強めてしまうことと同じ機序だと言えるでしょう。
 山本の言う明治的啓蒙主義が、一般世間に浸透して行くにしたがって空気の拘束力は次第に威力を増し、昭和の時代になって一民族を破滅の淵まで追いこみました。

 

空気の威力の増大

 さらに附言すれば、平成の時代になると、空気の力を押しとどめていた恥の文化すら風前の灯となりました。その理由は今後のブログで検討しますが、その結果として、空気はその支配をいっそう強めていると思われます。

 「空気を読めない」ことが、仲間から排除されたり、いじめを受ける重要な要因になり、「空気を読めない人」として発達障害が注目されるようになったのは、人々がより空気に影響されて生活するようになったからだと考えられます。(了)

 

 

 文献

1)山本七平:「空気」の研究.文藝春秋,東京,1983.