空気とは何で、どのようにして作られるのか(1)

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 これまでのブログで、日本が満州国を建国し、日中戦争にのめり込み、さらには太平洋戦争にまでなだれ込んでしまった背景には、日本社会に蔓延した空気が大きな影響を与えたことを検討しました。

 では、日本を破滅の淵にまで追いやった空気の正体とはいったいどんなもので、どのようにして形成されるのでしょうか。

 今回のブログでは、日本社会を理解するうえで非常に重要な概念である空気について、精神分析による検討を行ってみたいと思います。

 

日本社会の行動規範

 日本社会における個人と集団の行動は、以前のブログでも検討したように、和を第一義的に考える規範によって決定されてきました。この規範は明文化されておらず、日本社会に古から伝承された“暗黙のルール”によって決められています。この暗黙のルールの一つ一つが和の文化の教義になっており、この暗黙のルールの総体が日本社会の行動規範を形作っています。

 和の文化の行動規範を検討するために、もう一つ重要な概念があります。それが集団に立ち現れ、集団の意思決定に重要な役割を果たす空気です。
 空気については、すでに山本七平が、『「空気」の研究』1)で独創的な検討を行っています。その詳細は同書に譲ることとして、ここでは山本が述べる空気の特徴について取り上げ、空気とは何なのかについて検討してみたいと思います。

 

 空気による決断

 山本はまず、戦艦大和の無謀な特攻出撃が、戦況のデータや論理的な判断がいっさい無視されて、「当時の空気としてそうせざるを得なかった」ために断行された点に注目しています。しかも、その判断を下したのは素人ではなく「海も船も空も知りつくした専門家たち」であり、さらには相手の実力も完全に知っている状況で大和の出撃は決定されました。

 その結果として、戦艦大和は米軍機動部隊の猛攻撃を受けて撃沈され、護衛艦も含めれば3700名以上の人命が失われる結末に至りました。それにも拘わらず当時の軍事部次長は、昭和50年の『文藝春秋』で、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」と発言し、また連合艦隊司令長官は、「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏(べんそ)しようと思わない」と語っています(以上、同上15-19頁)。

 

日常にあふれる空気

 こうした例を挙げた後で、山本は空気について次のように指摘します。

 

 「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の『超能力』かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが『空気』に決定されることになるかも知れぬ」(『「空気」の研究』19頁)

 

 空気は何も、戦時にだけ存在したのでありません。山本は、戦後の行き過ぎた「公害問題」や「原子力の問題」の例を挙げています。

 さらに、「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では・・・」、「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても・・・」、「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」などといった言葉が、われわれの日常にもあふれていることを指摘します。

 

空気の特徴

 そのうえで山本は、空気の特徴について以下のように述べています。

 

 「一体、以上に記した『空気』とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。以上の諸例は、われわれが『空気』に順応して判断し決断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではないことを示している。
 だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから『空気』と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、『空気が許さない』という空気的判断の基準である」(『「空気」の研究』22頁)

 

 山本はこのように、空気とは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ判断の基準であり、それに抵抗する者を社会的に葬るほどの力をもつ超能力であると説明します。そして、われわれの本当の判断基準となっているのは論理的判断などではなく、空気による判断であると指摘します。

 この後で山本は、空気が支配力をもつ仕組みを、ものごとの「臨在感的把握」とその絶対化によって説明しています。臨在感的把握という概念が一般的ではなくやや理解が難しいと思われるため、ここでは空気を精神医学的に検討してみましょう。

 

場の空気の形成

 空気を検討するにあたって、まず、わたしたちの生活に身近な場の空気が、どのように形成されるのかを考えてみましょう。 

 さまざまな場、それは2、3人の集まりから何十人もの集まりや、家族や教室や会社での集まりなど、わたしたちの生活環境には多種多様の場が存在します。その場には、場に特有な空気が形成されます。この場の空気も、強固な支配力を持ち、抵抗することが困難で、その場にいる人々の判断に大きな影響力を与えます。しかも、この判断は理性や論理に基づくのではなく、多くは場に形成された空気によって決定されます。

 そして、場の決定はその場の空気によってなされたのであり、なぜそのような決定をしたかは、「あの時はその場の空気でそうせざるを得なかった」としか答えられない事態が起こるのです。

 

言葉によらないコミュニケーション

 わたしたちは言葉でコミュニケーションをとっていますが、言葉によらないコミュニケーションも存在します。これは非言語的コミュニケーション、またはノンバーバルコミュニケーションと呼ばれます。たとえば、身振り手振り、表情、声の質・大きさ、話し方、服装や外見も含めた雰囲気などによるコミュニケーションです。そして、この非言語的コミュニケーションの方が、言語的コミュニケーションよりもある意味では有用な情報が多いと考えられます。

 なぜかと言えば、生物はもともとこうした方法でコミュニケーションをとってきたからです。人間も生物であることに変わりありません。しかも、人間も生まれてからしばらくの間は言葉が喋れませんから、もっぱら非言語的にコミュニケーションに頼らざるを得ません。成長して言葉を話し始め、しかも何年も何十年も研鑽して、ようやく言葉によるコミュニケーションを使いこなせるようになって行きます。したがって、わたしたちは言葉以外の要素をベースにしてコミュニケーションをとっているのであり、言語的なコミュニケーションを行うようになってからも、相変わらず非言語的コミュニケーションの重要性は残り続けるのです。

 

非言語的コミュニケーションが伝えるもの

 さて、場に現れる空気ですが、空気が形成されるための重要な要素が、この非言語的なコミュニケーションです。その場に存在する人の間で交わされる非言語的なコミュニケーションをもとに、その場に特有な空気が形成されます。

 空気が理性や論理の基準とはかけ離れており、また、空気による決断を後になって言葉で説明できないのも、非言語的なコミュニケーションが重要な役割を果たしているからです。

 では、こうした非言語的コミュニケーションによって、何が表現されるのでしょうか。それは、さまざまな欲望や喜怒哀楽などの感情などです。これらの欲望や感情が、言葉以外の表現によってその場にいる人々に伝えられ、それが人々の欲望や感情を揺り動かし、新たな欲望や感情になって他者に伝えられます。この作業が繰り返されることによって、その場に特有の、共通した欲望や感情が形成されて行きます。

 こうして出来上がった共通の欲望や感情は、空気の形成にどのように働きかけるのでしょうか。次回のブログで検討してみましょう。(続く)

 

 

 

文献

1)山本七平:「空気」の研究.文藝春秋,東京,1983.