天皇はなぜ現人神になったのか(2)

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 明治維新以降、天皇の権威は徐々に高められました。そして、太平洋戦争において、ついに天皇の権威は神の領域まで達することになりました。

 なぜ、天皇の権威は、この時期に究極の領域まで高められることになったのでしょうか。

 

一神教の戦争

 太平洋戦争時に天皇の神性が特に強調されたのには、二つの理由が考えられるでしょう。
 一つは敵国のアメリカが、キリスト教という一神教を文化的な背景に持つ国家だったという理由です。

 アメリカは第二次世界大戦を、自由と民主主義を有する文明を野蛮な枢軸国から防衛し、自由と民主主義という理念を世界に広める「正戦(Good War)」として位置づけました。それは、インディアンを駆逐して西部を開拓した時代から語り継がれてきた「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」(神から委ねられた天命)の記憶を蘇らせ、多くの国民を奮い立たせました。

 こうしたキリスト教の全能、絶対の神の意思に従って戦うというモチベーションは、極限状態における兵士の戦闘能力を、最大限に引き出す効果をもたらしたでしょう。これに対抗するには、日本側にも絶対の存在者に導かれ、絶対の存在者のために戦うという社会的構図を描くことが必要でした。

 

失われた自尊心

 二つ目は、日本人の精神的な必要性から生じた理由です。

 その原点は、明治維新にまで遡ります。欧米諸国に植民地化されることを恐れた明治政府は、明治維新と文明開化によって日本の西欧化を急ぎました。この際の日本のスローガンは、「富国強兵」と「和魂洋才」でした。富国強兵とは、西洋の科学・技術を取り入れ、国力を蓄え軍事力を増強させることです。ところが、武力による威嚇によって無理矢理開国させられたうえに、西洋の科学技術力を受け入れざるを得なかった日本人の自尊心は激しく傷つきました。

 そこで和魂洋才のスローガンが唱えられました。つまり、西洋の技術を取り入れても日本の心を保ち続ければ問題はないのではないか。いや、西洋の技術と日本の精神を組み合わせることによって、日本人は西洋人より優れた民族になるのではないかと考えられたのです。

 

大和魂

 「ペリー・ショック」によって、日本人の自尊心は著しく傷つけられました。そこで日本人は、世界に類を見ない速さで西洋の文化を取り入れる一方で、和の魂を強調することで自尊心の回復に努めました。日本が西洋の科学技術を取り入れれば入れるほど、和の魂は強調されなければなりませんでした。特に戦時においては、日本軍の精神面での優越性がことさら語られました。

 この意味で太平洋戦争は、「ペリー・ショック」による屈辱感を晴らすために行われたといっても過言ではないでしょう。そのため太平洋戦争では、日本人の精神性を強調する傾向は極致に達しました。その結果として、「大和魂」の発露による特攻や玉砕までが実行に移されました。

 この際に、日本人の自尊心を守り、日本人の精神的支柱になったのが天皇の存在でした。皇祖から連綿と続くとされた天皇の存在が、戦時における日本人の精神を根底から支えたのです。

 

偉大なる神を必要とした

 ここで再び、フロイトの指摘を援用してみましょう。フロイトは、ユダヤ民族が全能の神を戴くようになった理由の一つを、次のように指摘しています。

 

 「この宗教はユダヤ人に大変壮大な神の観念を、あるいは少し控え目に言えば、偉大なる神という観念をもたらしたのだ。この神を信じる者はある程度はこの神の偉大さを分け持っていたのであり、自身が高められたと感じても当然であった」(『モーセ一神教1)168頁)

 

 偉大で絶対の神を戴くことで、ユダヤ民族の個々人はその偉大さを分け持ち、自身が高められたと感じることが可能になったとフロイトは指摘しています。つまり、自尊心を虐げられるような苦難の歴史を積み重ねてきたユダヤ民族は、自らが偉大な存在であると認識するために、偉大な神の概念を必要としました。
 これと同様の心理機制が、太平洋戦争時の日本人にも働いたのではないでしょうか。ペリーショックによる屈辱感によって自尊心を虐げられた日本人は、ユダヤ民族のように「偉大なる神の観念」を必要としました。そこには戦いに敗れ続けたことに対する、日本民族の古からの屈辱感も加わっていたでしょう。そのため天皇の神性がいっそう強調され、「現人神」としての威光は、何人たりとも犯すことのできない領域にまで高められたのです。(了)

 

 

文献

1)フロイト,S.(渡辺哲夫 訳):新訳モーセ一神教日本エディタースクール出版部,東京,1998.