江戸時代にはなぜ戦いのない世が実現したのか(3)

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 パックス・トクガワーナ(徳川の平和)が実現した要因として、これまでに江戸時代の人々の気質の変化と、社会の均質化という側面を概観してきました。

 今回は、平和な社会が実現するために、江戸時代にどのような経済が営まれていたのかについて検討を行いたいと思います。

 

エネルギーのリサイクル

 江戸時代の日本は、現代のような大量生産大量消費型の経済とはまったく正反対の経済の仕組みを持っていました。それは、リサイクルが徹底された究極のエコ経済です。石川英輔の『大江戸リサイクル事情』1)の中から、その実情を以下に抜粋してみましょう。
 江戸時代の夜間照明は、日本国内でできる油やロウを、行灯(あんどん)やロウソクの形で燃やしていました。これらの照明は、現代のものとは比較にならないほど薄暗い明かりにすぎませんが、エネルギーの面からみると、植物が油やロウの形で貯めておいたごく近年の太陽エネルギーに他なりません。そして、燃やしてできる二酸化炭素は再び大気に混じってリサイクルし、いずれどこかの植物に取り込まれて新たな植物体になります。

 つまり、1年間に燃やす量と1年間にできる量は同じことになり、エネルギー全体から言えば何も増えず、何も減らないことになります。化石燃料を一方的に消費するだけの現代社会と違って、江戸時代にはエネルギー自体がリサイクルされていました。

 

日用品のリサイクル

 日本の農業といえば稲作が中心ですが、米だけでなく、藁(わら)も徹底的に利用されました。江戸時代の稲作農家は、収穫した藁の20パーセントくらいで日用品(編み笠、蓑、わら草履、わらじ、縄、畳どこ、土壁の補強材料など)を作り、50パーセントを堆肥などの肥料とし、残りの30パーセントを燃料その他に使いました。藁を燃やしたあとの灰さえ肥料として使っていました。つまり藁も100%利用し、すべて大地に戻すという完全なリサイクルを実現していました。
 化学繊維がなかった江戸時代には、絹や木綿、麻などで着物は作られていましたが、これらの植物繊維は大量生産できるわけではなかったためいずれも貴重品でした。そこで、着物は裁断する際に、無駄になって捨てる部分がまったく生じないように作られていました。

 また、着物はどんな体型でも着られるため、長い間着用することが可能でした。古着も重要な地位を占めていて、仕立てたままの状態から、仕立て直したものや、はては解いたままの布まで膨大な量が流通していました。さらに、着られないほど古くなればさまざまな用途に転用し、最後にはおむつや雑巾にしてすり切れるまで使うことが普通でした。

 

排泄物は貴重品だった

 日本の農村では、江戸時代(だけでなく、昭和20年代まで)は、下肥(しもごえ)つまり人間の排泄物がもっとも重要な肥料でした。下肥は窒素やリンをたっぷり含んだ優秀な有機肥料であり、都合の良いことに農作物を食べる人が大勢いるところでは下肥も大量にできる仕組みになっているから、需要と供給がうまく噛み合っていました。つまり、消費がすなわち生産で、生産がすなわち消費という持ちつ持たれつの関係にあり、見事なリサイクルの環ができあがっていました。

 ところが、江戸時代の後半にもなると、下肥はむしろ慢性的な供給不足の状態になり、貴重な商品として扱われるようになりました。特定の農家が契約して、ある地域あるいは家を定期的に訪問して下肥を汲み取り、現金を払うか野菜の現物と交換する形で買い取っていました。
 このように排泄物を肥料として活用したため、下水に流れる生活排水も少なく、江戸時代の隅田川は河口付近でさえ白魚が豊富にとれるほどの清流でした。さらに江戸の内海は、適量の生活排水のおかげでプランクトンが適当に発生し、湾内に入ると魚の品質が良くなるほどの漁業の宝庫でした。

 それに比べて同時代のヨーロッパでは、汚物は川や排水用の溝に捨てられていました。それが面倒なときは、窓から道路に直接汚物を捨てることもあったようです。18世紀になって下水道ができてからでも排泄物はそのまま川に放流されたため、セーヌ川テームズ川は腐敗した汚物の悪臭で満ちていたといいます。

 

人力が動力源

 江戸時代には、物や人を運ぶための動力源の大部分は人間の筋肉の力でした。蒸気機関も発明されていない時代だから当然だろうと思われがちですが、牛や馬の力を使うことさえも少なく、大きな車輪がついた運搬車を使うことには厳しい制限が設けられていました。わざわざ、人の力を使うように仕向けていたかのようです。
 江戸の町には水路が発達していて、各地から集まる物資は主に船で店先にまで運びつけることができました。しかし、そこから先は荷物を天秤棒につけて担ぐか、肩に直接乗せて担いで運びました。人の移動も、よく知られているように駕籠に乗せて人が運びました。江戸時代には、牛に引かせる荷車を使うことが許可されたのは江戸と京都だけでした。江戸ではその他に大八車が使えましたが、大阪では牛車も大八車も許可されず、人が引くずっと小型の荷車しか使えませんでした。

 特筆すべきは、江戸時代には人間が乗るための車はいっさい禁止されていたことです。人力だけで運営されるこのシステムの燃料は、人間の食料だけです。したがって、これも前年の太陽エネルギーでできた穀物だけでまかなえたため、完全にリサイクル可能な資源でした。

 さらに上掲書には、日常生活において、生活用品の回収業者や、修理・再生を生業とする専門業者が多数存在して、人々のリサイクル生活を支えていたことが指摘されています。

 

なぜリサイクルが徹底されたのか

 このように、江戸時代のリサイクルは、生活のあらゆる面にまで浸透していました。その実例を挙げるのはこれくらいにして、江戸時代になぜこれ程までにリサイクルが徹底されていたのかを考えてみましょう。
 まず考えられる理由は、資源の問題です。いわゆる鎖国政策によって、江戸時代には外国との貿易は一部の国に限られていました。そのため、日本列島やその周辺の海に存在する限られた資源で、日本に居住していたおよそ3千万人の生活を支えなければなりませんでした。したがって、限られた資源を徹底的にリサイクルして活用することが、物理的に不可欠だったと考えられます。

 

リサイクルを徹底する精神的な理由

 もう一つの隠された理由は、精神的な問題に起因しています。リサイクルを徹底する社会システムとは、人々の欲動を刺激しないシステムでもあります。リサイクルの根本には、贅沢はしない、使えるものは何度でも使う、生活に不要なものまで求めない、節度をわきまえる、足るを知るといった精神が存在しています。これらの精神は、欲動をむやみに刺激しないこと、そして穏やかに欲望を断念させることに繋がっています。
 以前のブログ「人はなぜ戦争をするのか」でも述べたように、本能に従って生きなくなった人類は、文化に依拠して生きるようになりました。文化が生きる指針を与えると共に、文化が欲動を制御するようになりました。「文化の相当部分が欲動断念の上にうちたてられて」いるというフロイトの指摘によれば、欲動を断念させることに文化は多大な労力を費やしています。その一方で欲動の断念は、欲動を断念させる文化に対して人々の敵意を生じさせます。そして文化への敵意は、人々の攻撃欲動を増大させる原因になっています。

 したがって、欲動をむやみに刺激し、そのうえで欲動を無理矢理断念させる社会は、文化への敵意を強め、人々の攻撃欲動を強大にさせるのです。

 

攻撃欲動を増大させる現代社

 現代のアメリカ社会が、この典型でしょう。アメリカ社会では、あらゆる手段を用いて人々の欲動を刺激し、多様な欲望を惹起させて消費を促す経済を展開しています。刺激された欲望が叶えられる過程で、大量に生産されたものが大量に消費されます。その消費量は桁違いであり、上掲書によれば「地球環境を変えずに現在のアメリカ人の平均的生活を維持しようとすれば、地球人口の限度は2億人だ」(『大江戸リサイクル事情』14頁)という計算さえあるほどです。アメリカの人口はすでに2億人を超えていますが、それだけ地球環境は今も悪化し続けているということでしょう。

 その一方で、富の集中や貧富の差の拡大、または就職難や失業問題などによって欲望を叶えられない人々も増加します。その際に断念させられる欲動や欲望は、当初とは比べものにならないほど強大になります。この強大な欲動や欲望の断念が、文化に対する強い敵意を生み、この強い敵意が人々の攻撃欲動をいっそう増強させるのです。
 これも以前のブログで検討しましたが、人々の攻撃欲動が社会的な規模で増強したときに起こりうるのが、革命か戦争です。一般に、攻撃欲動が自らの社会に向くと革命が起こり、他の社会に向かうと戦争になります。アメリカは「世界の警察」と称して、他国の革命や戦争に熱心に介入していますが、その本来の目的は、社会的規模で増強した自国の攻撃欲動を解消することにあるのではないでしょうか。

 

エコ経済の本当のねらいは

 それはさておき、本題に戻りましょう。江戸時代の日本は、現代のアメリカ社会とは正反対の政策を採っていました。リサイクルを徹底させることによって欲動をむやみに刺激せず、節度をわきまえ、足るを知る精神を浸透させることによって穏やかに欲望を断念させていました。その結果として、人々の攻撃欲動が増強することを防いでいました。
 江戸幕府が、人々の攻撃欲動を増強させない政策を採っていた理由は明快でしょう。江戸幕府は太平の世を永続させるために、革命も戦争も絶対に起こしてはならないと考えていました。これこそが、幕府の最も重視した政策目標でした。そのためには少々不便でも、ある程度の豊かさを犠牲にしても、リサイクルを徹底した究極のエコ経済を維持することが必要だったのです。

 

 「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし」

 

 これは、徳川家康の遺訓の冒頭の文言です。このわずかな文言の中に、リサイクルを徹底させた江戸幕府の経済政策を支える精神が見事に示されています。この精神が攻撃欲動の増大を防ぎ、太平の世を永続させるために重要な役割を果たしました。家康はこのことを、経験的に熟知していたのではないでしょうか。(了)

 

 

文献

1)石川英輔:大江戸リサイクル事情.講談社,東京,1994.