縄文人はなぜ戦争をしなかったのか(3)

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 前回までのブログで、縄文人の祖先および縄文人は、戦争に対する有用な文化を持っていなかったことを指摘しました。そして、そのことが縄文人の祖先が大陸で駆逐された要因であり、日本列島にたどり着いた縄文人が、戦争とセットになっていた稲作文化を拒絶した要因であることを検討してきました。

 では、縄文人はなぜ、戦争の文化を持たずにいることができたのでしょうか。

 

縄文人の攻撃欲動の行方
 戦争の文化を考える際に、戦いを行うための攻撃欲動は重要な問題になります。まず、攻撃欲動がどのように形成されるのかを考えてみましょう。

 フロイトは、欲動の断念が文化の前提条件であると指摘しています。

 

「文化の相当部分が欲動断念の上にうちたてられており、さまざまの強大な欲動を満足させないこと(抑圧、押しのけ、あるいはその他の何か?)がまさしく文化の前提になっていることは看過すべからざる事実である。この『文化のための断念』は人間の社会関係の広大な領域を支配している」(『文化への不満』1)458頁)

 

  フロイトが指摘するように、欲動の断念が文化の前提条件であるなら、どの文化にも、欲動を断念された人々から向けられる敵意が存在します。この敵意が攻撃欲動を生み、そして欲動の断念が人々の攻撃欲動をさらに増大させます。つまり、文化には構造的に人々の攻撃欲動が鬱積しているのです。この過程は、どの文化にも認められる攻撃欲動の宿命であると考えられます。(以上の詳細については、以前のブログ「人はなぜ戦争をするのか(2)」を参照ください)。

 したがって、縄文時代に文化が存在するのであれば、縄文人にも攻撃欲動が存在したはずです。では、攻撃欲動を解放させる一手段である戦争を拒絶していた縄文人は、攻撃欲動をどのように扱っていたのでしょうか。

 道具や利器で傷つけられた人骨が縄文の遺跡から10例ほど見つかっていることから、縄文時代には戦争が存在しなくても、殺人は行われていたと思われます。これは、個人レベルで攻撃欲動を解消させる手段となっていました。また、日常的に行われていた狩猟にも、攻撃欲動の発現が認められたでしょう。

 

平等な社会

 ただ、文化が発達して欲動の断念がより推し進められると、攻撃欲動もいっそう増大して行きます。この問題に対処するために、縄文時代には以下のような方策がとられていたのではないかと考えられます。

 まず挙げられるのが、縄文人が社会の平等性を目指していたことです。それを窺い知ることができるのが、縄文人が住んでいた環状集落です。広場を真ん中にして竪穴住居が同心円上に並ぶ構造から、そこに住む人々は互いに平等な関係にあったことが示唆されます。ただ、全く平等な社会が実現していたとは言えないようで、松木は次のような指摘を行っています。

 

 「環状集落自体は、(中略)格差を包み隠す位置関係が住まいの形に現れたものであり、集落のメンバーを互いに対等とするメッセージが、そこに盛り込まれているだろう。その反面、墓に入れた品物の種類や数の違いからは、個人どうしの社会的な差異もまた認められていることがうかがわれる。(中略)このように、縄文時代の人びとが、ある局面では互いの対等を尊重し、別の局面では差異を認め合う社会をつくりだしていた状況を、物質文化に盛り込まれたメッセージから読みとることができる」(『列島創世記』2)115頁)

 

 ここで重要なのは、縄文人が全く平等な社会を実現させていたかどうかではなく、彼らが平等な社会を目指していたことです。なぜそのことが重要であるかというと、平等な関係を目指すことが攻撃欲動の増大を防ぐからです。
 先のブログで取り上げたように、フロイトは『トーテムとタブー』において、未開社会の成立時に、母親や姉妹を独占していた原父を、兄弟たちが結束して殺害する事件が起こったと想定しています。そして、父親を殺害した後に成立した新たな秩序を長期間にわたって維持するという必要性から、兄弟同盟のすべての成員に平等の権利を認める新たな掟が生まれたと述べています。この掟は、彼らの間で暴力的な競争への傾向が生じることを阻止する役割を果たしたとフロイトは指摘します。
 集落のメンバーを互いに対等とし、メンバー同士の平等な関係を目指したことは、縄文人の間で暴力的な競争の傾向が生じることを阻止したことでしょう。そして、暴力的な競争の傾向を阻止することが、さらなる攻撃欲動の増大を防ぐ役割を果たしたのだと考えられます。
 ところで、縄文人が暴力的な競争を排除しようとしたのは、縄文社会の成立経緯に原因が求められます。それは、彼らの祖先たちが戦いに敗れ続け、ようやく日本列島にたどり着いた人々の集まりだったからです。つまり、縄文人は暴力的な競争の敗者の末裔であり、自分たちの社会に暴力的な競争の原理を持ち込みたくなかったのです。

 

芸術の役割

 さて、次に攻撃欲動への対応として挙げられるのが、縄文人が残した土器や土偶といった「芸術作品」の数々です。
 フロイトは芸術について、次のような指摘を行っています。

 

 「周知のように芸術は、文化の要求に応じてわれわれが行ってはいるものの、魂のもっとも深い部分ではいまなお未練を残している最古の願望断念にたいする代用満足であり、したがって、この願望断念のために捧げられた犠牲から生まれる不満をなだめるには、一番適している」(『ある幻想の未来』3)369頁)

 

 縄文人は、暴力的な競争を阻止するために平等な社会を目指しました。それでも高まる攻撃欲動(または、断念させられた様々な欲動)を、彼らは「芸術作品」を創作することで代用満足させていたのではないでしょうか。
 たとえば縄文土器には、実用性を超越した様々な文様が付け加えられています。特に火炎土器と呼ばれる土器は、粘土のひもで作られた蛇が絡み合ったような文様が上半部にあり、そこから口縁に向かって燃えさかる炎のような波頭が立ち上がっています。その様は、まさにぶつかり合う感情が絡み合い、揺らめきながら激しく燃えさかる心の内が表現されているかのようです。

 

岡本太郎の発見

 芸術家の岡本太郎は、縄文土器を見て強い衝撃を受け、その感動を『縄文土器論』として発表しています。岡本は、それまで考古学の研究対象でしかなかった縄文土器に、深い芸術性を発見しました。
 彼は次のように述べています。

 

 「私が思わずうなってしまったのは、縄文土器にふれたときです。からだじゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が血管の中をかけめぐり、モリモリ力があふれ、吹きおこるのを覚えたのです。たんに日本、そして民族にたいしてだけでなく、もっと根源的な、人間に対する感動と信頼感、したしみさえひしひしと感じる思いでした」(『日本の伝統』4)77頁)

 

 岡本が縄文土器に「根源的な、人間に対する感動と信頼感、したしみさえひしひしと感じ」たのは、縄文土器には、縄文人の心の深層にある様々な欲動が込められているからではないでしょうか。そしてそれらの欲動が、的確に、さらには精緻な空間となって具現化されているからではないでしょうか。かつて岡本が、「芸術は爆発だ」と叫ぶテレビコマーシャルがありましたが、縄文土器はまさに、縄文人の深層にある欲動が爆発した様を表現しているかのようです。

 

土偶の役割

 土偶についても、同様の指摘が可能です。縄文時代の後半になると、土偶に表現された顔や体の形、顔の表現や体の模様が一気に多彩になります。それに伴って、土偶はどんどん人間離れしたものになって行きます。余りの異様さに、宇宙人の姿を現したものでないかという説さえあるくらいです。
 土偶の形が人間離れして行くのは、縄文人土偶によって、人間の外面でなく内面を表現しようとしたからではないでしょうか。人の内面の異様さや怪奇さを形に表現することで、縄文人は自らの心を客観視すると共に、様々な欲動の代用満足としていた可能性が考えられます。
 また、これまでに出土した土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多いといいます。その理由には諸説あるようですが、芸術の代用満足という側面からみると、人の内面の異様さや怪奇さを土偶として表現したうえで、その土偶を破壊することに攻撃欲動を向けたと考えることはできないでしょうか。
 いずれにしても、縄文時代の土器や土偶に芸術性が認められる主な理由は、縄文人が世界に冠たる美的感性を持っていたからでも、豊かな自然に恵まれて芸術作品を生み出す余裕があったからでもありません。戦争の文化を拒絶した彼らは、文化の発展に伴って増大する攻撃欲動のもって行き場に苦慮し、欲動の満足を芸術によって代用するしかなかったのではないでしょうか。

 そのため戦争の文化を持つ弥生人が日本列島に訪れると、これらの「芸術作品」は一気に姿を消す運命をたどりました。

 それでも縄文時代は1万年以上続きました。つまり縄文人は、1万年以上も戦争を行わなかったのです。これは人類史に特筆すべき出来事だと言えるでしょう。もちろん縄文文化を、現代にそのまま当てはめることはできません。しかし、平和を希求する日本にとって、縄文文化の遺産に注目し、縄文文化の優れた点を活かすことは非常に有用なことではないでしょうか。(了)

 

 

 

文献)

1)フロイト,S.(浜川祥枝 訳):文化への不満.フロイト著作集3,人文書院,京都,1969.

2)松木武彦:全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記.小学館,東京,2007.

3)フロイト,S.(浜川祥枝 訳):ある幻想の未来.フロイト著作集3,人文書院,京都,1969.

4)岡本太郎:日本の伝統.光文社,東京,2005.