資本主義はなぜ世界を席巻しているのか(3)

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 前回までのブログでは、マックス・ヴェーバーに従って、営利の追求を敵視するプロテスタンティズムの倫理から、資本主義の精神が育まれてきた経緯を検討しました。

 その後、資本主義の精神は大きく変貌を遂げていきます。それには、全能の神が社会の表舞台から退場したことが大きな影響を与えました。資本主義が最も発達したアメリカ合衆国を舞台にして、その経緯をみていくことにしましょう。

 

ピューリタン的勤勉と節約の徳

  アメリカ合衆国の歴史における最初の大きな転換点は、南北戦争(1861~65年)でした。南北戦争以後のアメリカは、産業革命の進行によって農業国から工業国へと転換しました。その際に、ベンジャミン・フランクリンが説いたピューリタン的勤勉と節約の徳が、資本主義の精神を形成するために重要な役割を果たしたことは、マックス・ヴェーバーが特に指摘するところです。
 フランクリンは、独立革命期を代表する知識人でしたが、「すべてのヤンキーの父」と呼ばれているように、後世のアメリカ人の精神形成に多大な影響を及ぼした人物でした。彼は印刷業で成功を収めた後、著述家として、そして科学者や発明家として、さらには外交官や政治家としても数多くの業績を残し、アメリカ独立革命の原動力となりました。その活躍は、フランスの文豪バルザックをして「フランクリンはまた、アメリカ合衆国も発明した」と言わしめたほどです。
 ちなみに、フランクリンの思想にはカルヴィニストであった父親の影響が色濃く残されていますが、彼自身は宗教に対するこだわりは持たず、良き市民になるためにはどうすればよいのかを立場を超えて追求した合理主義者でした。この意味でフランクリンは、ピューリタニズムを表立って否定することなく、その教えの有用な部分を、ヨーロッパから流入した啓蒙思想に移植させる役割を担ったのだと考えられます。

 

アメリカ経済の発展

 さて、資本主義が進展すると、アメリカ経済は急速に成長して行きました。やがてアメリカは、世界に類を見ない豊かな国へと変貌を遂げます。

 豊かなアメリカに魅せられるかのように、19世紀には年を追うごとに外国からの移民が殺到するようになりました。1800年には525万人だったアメリカ合衆国の人口は、1870年には4000万人近くにまで膨れあがりました。それに伴い、1870年代にはすでに国民一人あたりの所得額が世界最高になり、1890年代には工業生産が、世界の工場と謳われたイギリスをもしのいで世界第一位になりました。
 また、工業の発展だけでなく、アメリカ合衆国では農業生産も増大しました。大量の機械が導入されたことによって農業の生産性が飛躍的に向上し、アメリカ西部は合衆国最大の農業地帯になるとともに、ヨーロッパなどにとっての「穀物倉庫」と呼ばれるまでになったのです。

 

貧富の格差

 一方で、19世紀末のアメリカ社会では、経済の繁栄に伴って貧富の格差が拡大しました。成功を収めた世界的な大富豪が誕生する陰で、目を覆うばかりの悲惨なスラム街で生活する人々も存在しました。
 格差が拡大する中で、経済的な成功者たちは、豊かさは自らの努力によって能力を最大限発揮した結果であると自認し、貧困は努力をしなかった当然の報いであると考えました。そうした考えを「科学的」に正当化する根拠が、ソーシャル・ダーウィニズムによってもたらされました。

 ソーシャル・ダーウィニズムが人々に浸透すると、自由競争による適者の繁栄は、社会にとって有益であるばかりか、人類の未来の進歩のために不可欠なものであると考えられるようになりました。

 

ソーシャル・ダーウィニズムとは

 ここでソーシャル・ダーウィニズムについて、簡単に触れておきましょう。

 ダーウィン自然選択説を提唱したころ、イギリスは産業革命の真っ只中にありました。大きな変革の波に揉まれ、社会や人々の生活は混乱を極めていました。その中から成功を収めた新しいブルジョア階級の人々が、自らが拠って立つ理論として最初に自然選択説を歓迎しました。彼らは、自分たちこそ社会から選ばれた適者だと考えることによって、自らの成功の正当性を主張しました。
 やがて産業革命は、イギリスだけでなく欧米各国に拡がりました。産業革命が進展するにつれて、より多くの人々がその恩恵に与ることになりました。その結果、欧米社会における「適者」の数は増大しました。20世紀には、貴族やブルジョアだけでなく、一般の労働者もそれなりに豊かな生活を送ることが可能になりました。
 しかし、彼らが豊かになった一方で、植民地にされた国の人々や奴隷になった人々が過酷な搾取を受け、貧しい生活を強いられていた事実を忘れてはなりません。自然選択説は、この事実を覆い隠し、自己の正当性を確立するための最適な理論になりました。
 自然選択説によれば、すべての生物を支配している法則は、自然環境の選択による生物の進化です。それこそが、自然界を動かしている原則です。彼らは、この原則は自然界の一部である人間社会にも当てはめることができると考えました。人間社会においても「適応できない者」が淘汰され、排除されて行くのは自然の摂理に合致していると考えられました。そして、世界には「適者」だけが繁栄し、その結果として世界は正しい方向に導かれると信じられたのです。
 生物学におけるダーウィンの理論を、社会の成り立ちを説明するために拡張したこのような考え方が、ソーシャル・ダーウィニズム社会進化論)と呼ばれます。

 ソーシャル・ダーウィニズムは、イギリスの思想家ハーバート・スペンサーに始まりますが、彼の社会進化論に関する最初の著作は、実はダーウィンが『種の起源』を出版する7年も前に発表されていました。スペンサーは、ダーウィンが進化論を発表したときにはこれを歓迎し、自然界の進化の原理である「自然選択」を、社会における「適者生存」に置き換えました。つまり、ダーウィンの進化論は、スペンサーの理論を自然科学的に裏づけする役割を果たしたのであり、当時の社会からの要請に応えるものとして広まっていったのです。

 

ソーシャル・ダーウィニズムの浸透

 この理論は、発祥の地であるイギリスよりもアメリカで熱心に受け入れられたと言われています。それは、アメリカ社会が自由競争の活力によって世界経済をリードしてきた歴史を持つためですが、さらに言えば、ヨーロッパの地では「最下層階級に属する者たち」であった彼らが、新たな社会で上層階級に登りつめるための精神的な支えとして、ソーシャル・ダーウィニズムが最適な理論だったからでしょう。

 キリスト教の教えでは、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と説かれていました。プロテスタンティズムでさえ、富の蓄積はあくまで神の栄光を増すためのものであって、自らの欲望を満足させるために営利を追求する行為は端的に排斥されていました。

 これに対して、ソーシャル・ダーウィニズムは、自由競争によって勝ち取った豊かな生活は、世界の摂理に則ったものであると保障してくれます。経済的な成功者たちにとって、キリスト教の教えはソーシャル・ダーウィニズムに取って代わられて行きました。

 

大量消費社会の出現

 アメリカの経済は、20世紀に入るといっそうの発展を遂げました。豊かな天然資源とともに、海外からの移民という安価で意欲的な労働力に支えられたアメリカ経済は、さらに成長を続けました。例えば、第一次世界大戦が起こった1914年までにアメリカの鉄と鋼鉄の生産量はイギリスとドイツの合計の2倍以上になり、石炭の生産量も両国の合計にほぼ匹敵するまでになりました。アメリカは、世界の工業生産の三分の一以上を一国で占めていました。
 この傾向は、第一次世界大戦を経てなお顕著になりました。国土が荒廃したヨーロッパ諸国に比べて戦渦が及ばなかったアメリカは、世界経済の中でさらに大きな比重を占めて行きます。政治的には孤立主義的な立場を採りましたが、経済的には債務国から債権国へと転換し、海外への資本の進出が積極的に行われました。1925から29年には、アメリカは、世界の鉱工業生産の実に半分を産出するまでになりました。
 また、アメリカ国内の経済発展もめざましく、特に自動車、電気、建設、ならびにそれらの関連産業の急激な成長によって、アメリカ国民はかつてないほどの繁栄を謳歌しました。

 自動車や電気製品を中心に消費ブームが起こり、この旺盛な購買力がまた生産の拡大を促しました。自動車の普及やマス・メディアの発達といった交通・通信革命によって生活様式の画一化がはかられ、同一規格のものが大量に生産され販売されるという大量消費社会が出現しました。

 

欲望の開放

 それに伴ってアメリカ国民の消費生活は豊かになり、同時に社会に多くの中産階級を作り出しました。街にはフォードなどの大衆車が走り回り、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、アイロンなどの家電製品やラジオが普及して生活水準が向上し、一般的な市民が物質的豊かさを享受するようになったのです。
 社会的規模でみられた生活様式の変化は、アメリカ国民の生活感や価値観にも大きな影響を及ばしました。生活水準の向上は日常生活における余暇の増加をもたらす一方で、禁欲的道徳からの解放をも促しました。

 物質的豊かさと道徳的解放を求める動きは商業主義によってさらに促進され、生活様式そのものが企業の生産・販売活動によって大きく左右されるようになりました。こうして文化までも営利的行為の産物となり、人々はあらゆる欲求を刺激されつつ、消費活動を通して欲望を自由に解放することが可能になりました。
 こうした生活様式の変化は、アメリカの各都市で顕著に認められました。多くの人々が新たな生活を求めて都市に移動したため、各都市の人口は急激に増加しました。そして、都市で一般化されたこのアメリカ的生活様式が、以降のアメリカ文化を代表するようになっていったのです。

 

禁欲的道徳からの解放

 20世紀初頭に誕生したアメリカ的生活様式は、ピルグリムたちが求めた厳格な禁欲主義とはかけ離れたものでした。禁欲的道徳から解放され、欲望を自由に解放することが許された多くのアメリカ人たちは、もはや敬虔なキリスト教徒としての姿を失って行きました。彼らは神に定められた掟を厳格に守り、現世の苦難にひたすら耐え忍びつつ、神の国での救いを求めるという生き方を顧みなくなりました。

 なぜなら、アメリカは他国から侵略される恐れもなく、街には物があふれて生活の心配はなくなり、自由に快楽を追求することが可能な社会になったからです。このような環境に浸りながらいったい誰が、わざわざ厳格な生活を自らに課すでしょうか。彼らの安全を守り豊かな生活に導いてくれのはもはや神ではなく、アメリカ合衆国という国家でした。アメリカは、いわば現世における「神の国」になったのです。

 こうして、厳格なプロテスタントの国家として出発したアメリカは、20世紀を迎えて大きな変革の時を迎えました。社会全体から神の掟の重要性が薄れ、人々は神の国へ思いを馳せなくなりました。

 

神の退場

 こうして神は、アメリカ社会の表舞台から退場し、人々は全能の神からの自由と独立を果たしました。

 ところで、アメリカ社会でみられた神の退場は、ヨーロッパ社会における神の退場とは異なる方法で達成されました。ヨーロッパでは、全能の神はその全能性のゆえに人々の反発を招き、当初は哲学者や科学者によって、後には神の全能性を借用した権力者を打倒する市民によって、社会の表舞台から強制的に退場させられました。神を排除した者たちは、「神は死んだ」とさえ叫びました。
 これに対してアメリカ社会においては、人々は全能の神とは闘いませんでした。移民や奴隷の寄せ集めで造られ、人種のるつぼと評されたアメリカ社会を一つにまとめるためには、神の存在は不可欠でした。

 南北戦争後にアメリカが工業国として再出発したとき、アメリカ社会にはピューリタン的勤勉と節約の徳に基づいた資本主義の精神が息づいていました。19世紀までは、アメリカは神によって創られた国家として存在していました。しかし、アメリカが経済的にも軍事的にも世界に冠たる国家となり、アメリカ社会が豊かで安全な「この世の楽園」になったとき、人々から神の必要性が薄れて行きました。

 その結果アメリカ社会には「神の掟」、つまりキリスト教の教義の代わりにヨーロッパから伝えられた唯物論や進化論、宇宙物理学などを基礎に持つ科学思想や、ソーシャル・ダーウィニズムが浸透して行きました。そして、神が有していた「全能の力」は、アメリカ合衆国を「神の国」に仕立て上げた「銃」と「金」に象徴される、軍事力と経済力に姿を変えることになりました。
 こうして、唯一、全能の神は、アメリカ社会の表舞台から静かに退場していったのです。(続く)