アメリカはなぜ自由と正義を主張するのか(6)

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 ソ連が崩壊したあと唯一の超大国となったアメリカ合衆国は、モンロー主義に回帰し、他国への介入から手を引くような外交姿勢をとりました。一方で、イデオロギーの対立軸を失ったアメリカの自由主義は、何からの自由であるのかという自由の意味を失って行きました。

 その後のアメリカ合衆国は、自由の新たな対立軸を模索することになります。

 

9・11同時多発テロ
 アメリカは自由の新たな対立軸を模索していました。まさにこうした状況において、9・11同時多発テロは起こりました。
 2001年の9月11日、4機の旅客機が計19名のイスラム教徒によってハイジャックされ、そのうち2機が世界貿易センタービルに、1機が国防総省ペンタゴン)に激突しました。残りの1機は、ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落しました。この旅客機は、ワシントンの連邦議会に激突させる予定だったものが、乗客たちの抵抗で操縦不能となって墜落したことが後に明らかになりました。
 特に、世界貿易センタービルの映像は、テレビニュースで生放送されました。北棟と南棟が倒壊するまでの経過が全世界に放映され、全米のみならず、世界中の人々に大きな衝撃を与えました。この事件は、アメリカが建国以来初めて経験する本土への襲撃であり、この同時多発テロによって3000人近い犠牲者が生じました。
 事件の直後、ブッシュ大統領は「今回の事態は単なるテロではなく、戦争行為だ」と演説し、「テロとの戦い」を宣言しました。そして、9月20日には早くも犯行の首謀者をオサマ・ビンラディンと断定し、同時多発テロは彼が指導者をつとめるテロ組織アル・カイダの犯行であると発表しました。
 アメリカの対応は、この後も非常に迅速でした。アメリカ政府は、アフガニスタンタリバン政権にオサマ・ビンラディンを引き渡すように要求し、これが拒否されると、10月7日にはイギリスと共にタリバン政権への攻撃を開始しました。アメリカ、イギリスの攻撃に加え、反勢力の北部同盟の攻撃を受けたタリバン軍は総崩れとなり、12月7日にはタリバン政権は崩壊しました。

 

新たな自由の迫害者

 この同時多発テロは、自由の迫害者を失い、自由の意味を見失いかけていた自由主義社会に、新たな迫害者を誕生させました。テロとの戦いを通してアメリカは、テロリストから自由を守るという大義を得ることに成功しました。その結果として、自由主義社会はその存在意義を再確認し、自由という概念は再び輝きを取り戻しました。アメリカが中心となって行ったテロとの戦いは、まさに侵略者からの自由を勝ち取る戦いでした。同時多発テロへの報復作戦の名称が、「不朽の自由(Enduring Freedom)」だったことがそれを象徴的に現しています。
 しかしながら、テロが起こった後の余りに迅速な対応から、アメリカは同時多発テロをあらかじめ察知していたのではないかという疑問が生じます。CIAはさまざまな通信手段の盗聴を通じて、オサマ・ビンラディンが指揮するアル・カイダが、アメリカに対して何らかの攻撃を計画しているという情報を掴んでいたと言われています。もし、そうだとすれば、同時多発テロはアメリカが新たな戦いを仕掛けるために意図的に見過ごされ、阻止されることなく起こされた可能性が考えられます。つまり、同時多発テロは、新たな敵の出現によって国家全体が一つにまとまり、さらに、自由主義の重要性を人々が再確認するために利用されたという見方ができるのです。
 この構図は、アメリカが太平洋戦争を起こすために、パール・ハーバーの奇襲を利用したことと似ています。当時の大統領ローズヴェルトは、日本軍の攻撃情報を掴んでいながら、国民の戦意を高揚させるために、敢えて日本軍の攻撃を見過ごしました。
 ただし、ローズヴェルトが日本軍の奇襲情報をどこまで正確に掴んでいたかは定かでないように、ブッシュが同時多発テロの情報をどれほど正確に掴んでいたのかは定かではありません。両者には慢心からくる油断があり、そのことが予想以上の犠牲者を生むことに繋がった点でも、両事件は共通しているのではないかと考えられます。

 実際に、同時多発テロの後には、アメリカでは毎日のようにパール・ハーバーの話題がニュースで流れたといいます。ただし、両事件には上述したような共通点はあるものの、敵兵や敵の戦力を対象にした作戦と、民間人を狙ったテロリズムを同列に語ることができないことは指摘しておかなければなりません。

 

テロとの戦い

 さて、同時多発テロ以降、度重なるテロによる犠牲者を出しながらも、自由主義社会はテロに屈せず、テロと戦う姿勢を維持しながら自由の存在意義を確認してきました。ところがここで、さらにまた新たな問題が生じることになりました。それは、自由の迫害者であるとされたテロリストの正体が、実はイスラム教徒だったことにあります。
 彼らは、共産主義のようなイデオロギーによって行動しているのではなく、あくまでイスラム教の教えに従ってジハード(聖戦)を行ったと主張しています。彼らの論理からすれば、世界を侵略しているのは欧米諸国の方であり、イスラムの聖地にさえ軍隊を駐留させるような野蛮な行為に対して、聖戦をしかけるのは当然の行いだというのです。
 ここに、イスラム教対キリスト教という、一神教同士の対立構造が再現されました。同時多発テロに対して、ブッシュ大統領がとっさに「十字軍を組織しなければならない」と口走ってしまったように、アメリカ側にもテロとの戦いが、その本質において宗教戦争であるという認識が存在していました。また、キリスト教の諸団体がブッシュ政権対テロ戦争を熱心に支持したことも、この認識を裏づけるものです。
 こうして21世紀の幕開けと共に、世界には中世さながらの宗教的対立が再現されました。イデオロギーの対立軸を失ったことによって、世界の対立軸は宗教の時代へと逆行することになりました。

 

イラク戦争

 さらにアメリカの攻撃の矛先は、アフガニスタンからイラクにも向けられました。

 ブッシュ大統領は2002年1月の一般教書演説で、「イラン、イラク北朝鮮悪の枢軸である」と演説しました。ちなみに「悪の枢軸」という表現は、真珠湾攻撃を受け、議会に宣戦布告を求めたローズベルト大統領が戦争教書演説で使った言葉でした。ここにも、同時多発テロ真珠湾攻撃を結びつけようとする意図が見え隠れします。
 ブッシュ大統領は、「イラク大量破壊兵器保有し、世界の安全を脅かしている」と主張して、イラク攻撃の準備を始めました。そして2003年3月19日、国連の査察団が未だ大量破壊兵器の存在を証明できず、また国連の議決を得られない状況のまま、アメリカはイギリスと共にイラクへの攻撃を開始しました。その作戦の名称は、「イラクの自由作戦」でした。
 圧倒的戦力によってイラク政府軍に圧勝した連合国軍は、1ヶ月余りでイラク全土を占領しました。テレビの映像では、バクダッド市長像が倒され、サダム・フセインの圧政から解放されて喜ぶ市民の姿が映し出されました。ブッシュ大統領は、2003年5月1日には早くも「戦闘終結宣言」を高らかに宣言しました。

 

見せかけの勝利

 しかし、それは見せかけの、作られた勝利でした。イラクの市民は、連合国軍を圧政からの解放者とは捉えませんでした。「解放されて喜ぶ市民の映像」は意図的に作られた(または、ごく限られた人々を強調して作られた)映像でした。イラク市民が米軍と共にフセイン体制打倒に決起する姿は、ついに見られませんでした。

 それどころか、フセイン政権が倒れた後にイラク無政府状態に陥り、シーア派スンニ派クルド人の対立問題が再燃しました。旧イラク軍も地下に潜ってレジスタンスを続け、国外からイスラム原理主義者が潜入してこれらが武装抵抗勢力を形成しました。2004年6月に暫定政権が成立した後にも武力衝突自爆テロが相次ぎ、連合国軍兵の戦死者は、戦闘終結宣言前よりもむしろ増加することになりました。
 こうして自由を得るためのテロとの戦いは、出口の見えない袋小路に嵌り込んでいったのです。

 

自由と正義のための戦い

 さて、ここまでで、自由と正義を主張しながら、戦争を繰り返してきたアメリカの歴史を概観してきました。ここで、今回の一連のブログの最初で取り上げた、フロイトの言葉を振り返ってみましょう。

 

 「生まれてから五年間の経験は人生に決定的な影響を与え、その後の経験はこれに抵抗することなどできない。(中略)この体験され理解されなかった事柄は、後年になって何らかのときに強迫的衝動性を伴って彼らの人生に侵入し、彼らの行動を支配し、彼らに否も応もなく共感と反感を惹き起こし、しばしば、理性的には根拠づけられないかたちで彼らの愛情選択まで決定してしまう」(「モーセ一神教」188-189頁)

 これは個人の人生について述べた文章ですが、国家の歴史についても同じように考えることができます。国家が生まれた当初の経験はその後の歴史に決定的に影響を与え、この体験され理解されない経験は強迫的衝動性を伴って国家の行動を支配し、理性的には根拠づけられないかたちで国家の選択まで決定してしまいます。

 インディアンを虐殺しながら、彼らの土地を奪ったアメリカ人の始祖たち。さらに、黒人の奴隷制度を発展させることによって、経済的な利益を得るのみならず、自らの自由を実感したアメリカの新たな支配層の人々。彼らの行った残虐な行為は、白人の開拓を妨害する凶悪で野蛮で戦闘的なインディアン像や、「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」の思想、そして、人種的に劣った、道徳性のない怠惰で無気力な黒人たちを、充分に生活して行けるよう善意によって保護するという家父長的温情主義(パターナリズム)などによって正当化され、正義の行為として認識されてきました。

 アメリカ合衆国の創始期を形成した彼らの行動原理は、その後の戦争において、強迫的衝動性を伴って何度も繰り返されてきました。その際に、侵略者から自由を守る正義の戦いというスローガンが、まるでコピーのように唱えられました。本当は侵略しているのは彼ら自身であり、その地の人々から自由を奪っているのも彼らに他ならないにもかかわらずです。

 もしかしたら、彼らは薄々そのことに気付いているのかもしれません。しかし、自分たちが侵略者であり、他者から自由を奪う存在であることを認めたならば、アメリカの正義は雲散霧消し、国家としての存在基盤は直ちに失われてしまいます。この現実を直視しないために、アメリカは常に自由と正義を主張し、そして自由と正義を守る国家であることを証明し続けなければならないのです。(了)