アメリカはなぜ自由と正義を主張するのか(4)

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 経済的に発展し、世界で最も豊かになったアメリカ合衆国は、抑圧された被征服者の国ではなくなりました。しかし、アメリカ合衆国は、戦いと無縁になったわけではありませんでした。アメリカ合衆国は、アメリカ国民およびアメリカ本土が戦渦にさらされる危険が生じた際には、自由と民主主義を守るために自国の外でなら紛争に介入するという外交方針をとり、第一次大戦後も数々の戦争に介入しました。

 以下に、それをみていくことにしましょう。

 

第二次大戦への参戦
 第二次世界大戦が始まったとき、当時の大領領フランクリン・ローズヴェルトは、大きな苦悩を抱えていました。ナチス・ドイツの進撃によってパリが陥落し、イギリスが孤立した状態に至った際に、ローズヴェルトは直ぐにでもイギリス支援に乗り出したいと考えていました。イギリスがドイツに屈するようなことがあれば、ドイツがアメリカにとってさらに大きな脅威になるという自国の事情に加えて、同じ「英語国民」としての同胞であり、自由と民主主義を標榜するイギリスをナチス・ドイツの侵攻から守りたかったからです。
 しかし、第一次大戦以降のアメリカ合衆国は、モンロー主義に基づく孤立主義的な外交方針を堅持しており、他国の紛争には不介入の姿勢を貫いていました。民意も参戦に反対の意見が多数を占め、議会の同意を得ることは困難な状況にありました。さらに、ローズヴェルト自身が、第二次大戦には参戦しないと公約して大統領選に当選していたことが大きな足枷になっていました。
 やむなくローズヴェルトは、イギリスに対する援助を活発化させ、「武器貸与法」を成立させて軍事物資を貸与することしかできませんでした。民意によって強大な権力を付与されている大統領は、逆に民意に背くような方針を採ることができないのです。
 その意味で、日本軍による真珠湾への奇襲攻撃は、ローズヴェルトにとっての神風となりました。アメリカ海軍は日本軍の攻撃によって主力戦艦を失い、2000人以上の死者を出しました。日本の宣戦布告の遅れによって、真珠湾攻撃は「だまし討ち」と受け止められ、それまで参戦に消極的であった合衆国国民の感情を、一気に怒りと報復へと向かわせました。

 

リメンバー・パール・ハーバー
 ローズヴェルトはすかさず翌日の議会に臨み、奇襲を許した日が将来「汚名のうちに生きる日」になると断言し、宣戦布告への賛同を求めました。議会は圧倒的多数でこれを承認し、国民は「真珠湾を忘れるな(リメンバー・パール・ハーバー)」のスローガンのもと愛国心を高揚させ、戦勝に向けて挙国一致の体制を作り上げたのです。
 ところで、日本軍の真珠湾攻撃は、本当にだまし討ちによる奇襲だったのでしょうか。確かに、日本大使館が暗号電報の解読や英訳に手間取り、宣戦布告の文書をアメリカ側に手渡したのが攻撃開始後になったのは事実です。この意味で、「だまし討ち」と取られても仕方のない面はあるでしょう。
 しかし、ローズヴェルト政権は、暗号解読によって日本軍の奇襲をすでに察知していました(どこまで正確に察知していたかは分かりませんが)。ローズヴェルトは、アメリカの民意を変えるためにこの奇襲攻撃を利用したのではないでしょうか。
 アメリカ合衆国は、「理想の社会」を守るために他国の紛争に介入しないという孤立主義を外交の基本政策にしてきた伝統を持ちます。ただし、アメリカ国民およびアメリカ本土が戦渦にさらされる危険が生じた際には、自由と民主主義を守るために、自国の外でなら紛争に介入するという外交方針も持っています。米西戦争第一次世界大戦は、後者の方針に則って行われました。
 第二次世界大戦アメリカ合衆国を参戦させるためには、同様の状況を作り出すことが必要でした。そこで、日本軍の奇襲作戦が利用されたのだと考えられます。ローズヴェルトの思惑は見事に的中し、「真珠湾を忘れるな」というスローガン(これは、米西戦争における「メイン号を忘れるな」と同様のスローガンでした)までが作られ、アメリカの民意は一気に参戦へと向かったのです。(ただし、ローズヴェルトは、日本軍の奇襲によってこれ程の被害が出ることまでは予想していなかったと思われます。そこには慢心からくる油断がありました。後にも触れますが、9・11同時多発テロの際のブッシュ大統領にも、同様の心理機制が働いていたと考えられます)。
 こうしてローズヴェルト政権は、日・独・伊の枢軸国に宣戦布告し、第二次世界大戦への参戦を果たしました。アメリカはこの戦争を、自由と民主主義を有する文明を野蛮な枢軸国から防衛し、自由と民主主義という理念を世界に広める「正戦(Good War)」として位置づけました。それは、インディアンを駆逐して西部を開拓した時代から語り継がれてきた「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」の記憶を蘇らせ、多くの国民を奮い立たせたのです。

 

無差別爆撃

 第二次世界大戦による犠牲者数は、兵士が1600万人以上、民間人が3400万人以上で、合わせて5000万人以上にものぼりました。この数字を第一次大戦と比べると、兵士で約二倍、民間人で約五倍も増加しています。つまり、第二次大戦においては、民間人の犠牲者が激増した点に著しい特徴がみられます。

 民間人の犠牲者が激増した要因の一つに、敵国本土への空爆が挙げられます。無差別爆撃は第一次大戦で初めて行われましたが、第二次大戦においては計画的に、より徹底して行われた点に違いがあります。このことにより前線と本国の差はほとんど消滅し、すべての人間が戦争に巻き込まれる可能性が生まれたのです。

 無差別爆撃は、日本に対しては徹底して行われました。1945年3月10日にアメリカ空軍によって行われた東京大空襲では、26万戸以上の家屋が焼失し、10万人もの犠牲者を出しました。日本家屋が燃えやすい木造住宅であることを計算したうえで、多量の焼夷弾が使用されました。
 アメリカ軍による空襲は、終戦までに中小都市を含む206都市に及びました。全国で26万人の死者と42万人の負傷者を出しましたが、その大部分が非戦闘員でした。さらに、空襲によって、日本の各都市は廃墟と化しました。それにも拘わらずアメリカは、攻撃の目的はあくまで「都市区域に集中している工業と戦略上重要な目標を破壊することにあった」と主張し、「敵国民の戦意を喪失させるために必要であった」と無差別爆撃を正当化しました。
 無差別爆撃の極致が、原爆の投下でした。アメリカ空軍は、1945年8月6日に広島に、続いて8月9日に長崎に相次いで原爆を投下しました。原爆によって両都市は破壊し尽くされ、36万人もの一般市民が犠牲となりました。原爆による死者は、広島市で24万人以上、長崎市で12万人以上と推定されています。

 

原爆投下は必要だった

 原爆投下後にトルーマン大統領は、「戦争を早く終結させ、本土上陸が行われた場合に予想されるアメリカ人兵士の犠牲を避けるために、原爆投下は必要であった」とアメリカ国民に説明しました。しかし、このとき日本はすでに降伏への途を探っていました。当時の日本では、戦争終結をめぐり和平派と主戦派が激しく対立していましたが、最小限の合意点は国体の護持(天皇制の保持)でした。
 連合国は、1945年7月26日にポツダム宣言を出して、日本に降伏を求めました。もし、ポツダム宣言の中に天皇制の保持が盛り込まれていたなら、日本がこれを受諾する可能性は充分にありました。戦後のGHQの政策をみれば明らかなように、アメリカは天皇制の廃止にこだわっていたわけではなかったはずです。「戦争を早く終結させ、アメリカ人兵士の犠牲を避ける」ことを第一に考えるなら、始めからポツダム宣言によって、天皇制の保持を保証すればよかったはずでした。
 事実、ポツダム宣言の第十二条の原案には、「現在の皇統のもとにおける立憲君主制がふくまれるであろう」とした、天皇制の保持を認める条文が記されていました。ところが、7月16日にニューメキシコ州で原爆の実験が成功し、22日頃になって実験の詳細を知らされた当時の大統領トルーマンは、この部分を削除しました。つまり、トルーマンは、日本が降伏を受け入れないように、わざわざポツダム宣言を改変したのです。
 その目的は、原爆を投下したうえで日本を降伏に追い込むことにありました。すなわち、原爆の恐ろしい破壊力を見せつけることで、日本という敵国の完全な打倒を目指しました。確かに、二つの原爆の投下によって日本は降伏に追い込まれましたが、天皇制の保持を明確にしないまま戦争を継続したために、却って終戦は遅らされたのだと言えるでしょう。

 

神聖な委託

 そもそもアメリカは、日本軍が中国の重慶に無差別爆撃を繰り返したことに抗議し、ソ連フィンランド侵攻で行った都市無差別爆撃を卑劣極まる行為と非難していました。しかし、「敵国民の戦意を喪失させるため」という大義のもと、アメリカは大戦末期に至って、他国を遙かに上まわるジェノサイドを敢行しました。
 ところがトルーマンは、この究極の兵器による武力の行使を、あくまで正当化することに固執しました。そして、「われわれがこの新しい破壊力を手にしていることを、われわれは神聖な委託によるものと考える。世界の思慮深い人々は、われわれが平和を愛しており、その信頼が決して破られることなく誠実に遂行されることを知っているはずである」と主張しました。
 トルーマンが主張するように、「アメリカの保有する原爆が、他の国に脅威を与えることはありえない」などとどうして言い切れるでしょう。原爆を保有し、実際に使用した国家が、なぜ他の国々に脅威を与えないと言えるのでしょうか。
 トルーマンは、アメリカ合衆国は平和を愛する国であると主張しますが、それはあくまでアメリカからの一方的な見方であって、もしアメリカが相手国を「平和を破壊する国」、または「自由と民主主義を侵略する国」だと断定すれば、最初に原爆が投下されたのとまったく同じ理由によって、原爆が使用される可能性が常に存在します。客観的にみれば、アメリカの保有する原爆は他の国々にとって脅威以外の何ものでもなく、実際アメリカも他国に脅威を与え、自国の立場を優位にするために原爆を使用しました。ソ連を始め各国が原爆の保有を急いだのは、この脅威に対抗するためだったからに他なりません。
 さらにトルーマンは、原爆という究極の破壊兵器を、「神聖な信託」によって与えられたとも述べています。何万、何十万という人間を一瞬して死滅させ、生き残った者たちの健康を一生蝕み続ける悪魔のような兵器の使用を、「神聖な委託による」と表現すること自体が、被害者の立場からすればまったく信じられないものです。

 

虐殺の正当化

 以上のようなジェノサイドが、「世界の平和のため」、「野蛮な枢軸国から自由と民主主義を守るため」という美辞麗句のもとに行われ、それは「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」であり、「神聖な委託」であると信じられたことに注目する必要があります。神の意思に導かれた崇高な目的を達成するためには、どのような手段を用いても構わないという思考・行動様式がそこには存在します。神から与えられた絶対の正義を掲げるとき、人々はその使命感に酔いしれ、目の前の現実を見失い、迷うことなく自らの行為に埋没することができるのです。しかし、彼らの意識にある神聖な行為は、実は無意識の攻撃欲動を実現させる野蛮な行為に他なりません。
 こうした思考・行動様式こそ、アメリカ合衆国が成立する過程で作り上げられたものです。「新世界」に移り住んだ移民たちは、「神の国」を創るために、「邪悪な」先住民のジェノサイドを敢行しました。その際に、崇高な目的の陰に隠れて、殺人を引き起こす攻撃欲動が自由に解放されました。
 「神の国」の存続が脅かされそうになるとき、彼らは「神の国」の敵に対して戦いを挑みました。この戦いは彼らの無意識の中に伝承されてきた記憶痕跡を呼び覚まし、その記憶は過去に発現されたものと同じ欲動を掻き立てました。そして、以前と同様の正当化のもと、殺人に対する欲動は、現実のものとなって再び発現されることになったのです。(続く)