共産主義社会にはなぜ独裁者が生まれるのか(4)

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 これまでのブログでは、マルクスの思想に導かれて革命が実現したソ連は、マルクスの予言した社会主義の社会ではなく、ユダヤ教と近似の社会に変貌したことを検討しました。今回はさらに、ユダヤ教近似の社会で、独裁者が生まれる要因を検討したいと思います。

 

社会主義と独裁者

 マルクス理論の宗教的な側面は、マルクス主義革命が実現したソ連の社会構造に引き継がれることになりました。政治や社会の仕組み(上部構造)は、経済や生産手段(下部構造)によって規定されるというマルクスの図式は、ソ連の社会においては当てはまりませんでした。そればかりか、ソ連の社会においては、ユダヤ教の描く世界が社会構造としてそのまま実現することになったのです。

 国家の頂点に君臨したスターリンは、全能の神ヤハウェのごとき存在となりました。彼は、マルクス主義の思想を独自に解釈し直し、政治権力によって経済構造を改革しても構わないと主張して工業化を押し進めました。その結果ソ連は、農業国から工業国へと転換しました。

 その後もスターリンは、経済の発展と軍事力の強化を推し進め、やがてソ連はアメリカと並ぶ世界の大国になりました。このように社会主義国ソ連は、技術の発達や経済の発展が政治や社会の仕組みを規定したのではなく、神の代替者であるスターリンによって恣意的に創り上げられたのです。

 

神に倣った大虐殺
 スターリン民族主義者を弾圧し、何百万人もの農民を餓死させ、共産党員を一掃するほどの大粛正を行ったことも、ユダヤ教の神の行動様式をそのまま踏襲したものと捉えることができます。
 旧約聖書には、神が何度も「大虐殺」を行ったことが記されています。『創世記』には、人間が堕落したことを嘆いた神が、ノアと彼の家族を除く人類を大洪水によってすべて死滅させたというノアの洪水の物語(『創世記』6・5-7・24)と、頽廃と享楽の町として知られるソドムとゴモラに、神が天から硫黄と火を降らせ、町々と全窪地および全住人と地の植物を滅ぼしてしまった物語(『創世記』19・1-29)が記されています。また、『出エジプト記』には、神の掟を守らずに偶像を崇拝したイスラエルの民を滅ぼそうとした神を、モーセが必死になってなだめる様が描かれています。神はイスラエルの民を滅ぼすことは思いとどまりましたが、モーセの命によって三千人もの犠牲を出すことになりました(『出エジプト記』31・18-32・35)。

 このように、神は掟を遵守しない人間に対して、容赦のない「大虐殺」を厭わないのでした。
 この行動様式は、スターリンにそのまま引き継がれます。彼は、自らの立場を危うくする者、自らの掲げる方針に敵対する者を、社会主義の実現に反目する人民の敵と見なしました。そしてスターリンは神の行いに倣い、社会主義を実現する正当な手段として大粛正を断行したのです。以前のブログでも述べましたが、『収容所群島』の作者ソルジェニーツィンによれば、スターリン体制下で粛正された者の数は実に1500万人(!)にも上るとも言われています。

 スターリンがこれ程までの大粛正を断行したのは、彼が病的なまでに警戒心と猜疑心が強かったからだという指摘があります。スターリンは絶大な権力を握りながらも、誰かから権力を奪われること、さらには命を狙われることに異常に神経質になっていました。そのことが、粛正の対象と規模を拡大させたと言うのです。

 しかし、この行動様式は、彼の性質だけに求められるものではありません。スターリンの行動様式は、旧約聖書の神と共通する点が認められるからです。

 スターリンによる大虐殺は、人類を一度はほとんど死滅させた神には及びませんが、過去のどのような暴君の行為も児戯に見えるほどすさまじいものでした。彼の行為はもちろん非難に値する暴挙であることには変わりませんが、その一方で、神と同様の全能性を有する存在者であることを立証した点に限れば、彼の試みは充分に成功したと言えるでしょう。

 

社会主義国家に引き継がれた独裁者

 ソ連以外で誕生した社会主義国家においても、事情はまったく同じでした。ソ連と同じ路線を歩んだ国もソ連と対立した国も、マルクス・レーニン主義を掲げた諸国には、スターリンのようなカリスマ性を有する指導者が誕生しました。中国の毛沢東ユーゴスラビアのチトー、ルーマニアチャウシェスクキューバカストロカンボジアポル・ポト北朝鮮金日成などです。

 彼らの多くは、反対勢力の虐殺を断行して権力を握る一方で、人民からは神のように崇拝されました。このように社会主義国家には、神を擬した絶対権力者の存在が不可欠でした。
 その一方で、マルクス・レーニン主義を掲げた各国の指導者たちに、マルクスの理論をそのまま踏襲した者は誰一人としていませんでした。「一国社会主義」を掲げたスターリンも、「新民主主義」や「継続革命論」を掲げた毛沢東も、「原始共産制」を目指したポル・ポトも、「社会主義非同盟中立路線」を歩んだチトーも、「主体思想」を掲げた金日成も、マルクスの革命理論とはほど遠い内容をスローガンにしていました。

 それは理論における論理的な部分は、自国の社会状況に合わせて、または自らの立場を守るためにいかようにも改変することができるからです。しかし、「無意識的な記憶痕跡」は変更されることなく、新たに誕生した社会主義各国に、ユダヤ教の示す世界観をそのまま実現させたのでした。

 

個人崇拝を横行させた経済的要因

 ところで、平等主義を掲げた社会主義諸国において個人崇拝が横行したのには、こうした宗教・文化的な理由に加えて、経済的な要因も存在していました。社会主義国の体制とは、これまでに述べたように、ユダヤ教の描く世界を具現化した政治体制でした。ソ連以外の社会主義諸国でも、神がユダヤ民族を集団救済するように、神の代替者としての指導者が、苦難にあえぐ人民を救済するという構図がそのまま踏襲されました。だからこそ社会主義革命は、資本主義が発達して人々が豊かになった先進国ではなく、貧しい国民の多い発展途上国で起こったのです。
 社会主義革命が起こった途上国では、マックス・ヴェーバーの指摘する近代資本主義の労働者の行動様式(エートス)が生まれていませんでした。そこで、人民は独裁者に命令され、または独裁者のカリスマ性を維持するために不断の労働を続け、経済の近代化を目指しました。ただし、個人崇拝に基づいた労働の動機は決して長続きするものではなく、社会主義の経済はいずれも停滞を迎えることになりました。

 

社会主義国家が崩壊するとき

 これまでに述べてきたように、社会主義国には、カリスマ性を備えた独裁者の存在が必要不可欠でした。したがって、社会主義の体制が維持できなくなる重要な要因の一つは、国家の指導者からカリスマ性が失われること、または、カリスマ性を持った指導者が途絶えることにありました。
 ソ連における指導者のカリスマ性は、スターリン以降徐々に失われて行きました。ソ連が崩壊した1991年当時の指導者は、ゴルバチョフでした。ゴルバチョフは、自由主義諸国の指導者から賞賛され、改革の成果によってノーベル平和賞を授与されました。しかし、ゴルバチョフは、ただの優れた政治家としての資質しか持ち合わせていませんでした。

 彼は、ペレストロイカ(立て直し)、グラスノスチ(情報公開)、「新思考外交」という三つの改革政策を実行しました。これらは、停滞したソ連社会を改革するための理想的な政策だと思われました。
 ところが、情報が公開されると、体制の現実が白日の下にさらされ、指導者たちの無能と腐敗の実体が明らかになりました。主体性を与えられた企業の経営者は、生産効率を高める努力をしないまま、自らを含めた労働者の給料を引き上げました。そのため購買力に比べて商品が極端に不足し、人々は店頭に長い列を作りました。アメリカに妥協する形で冷戦が終結すると、ソ連の国家としての威信は失われました。そして、自由に意見を言えるようになった国民は、ゴルバチョフへの不満を公然と口にするようになりました。
 こうしてゴルバチョフのカリスマ性は急速に失われ、彼にはもはや神の威光は存在しなくなりました。その結果、神の代替者を失ったソ連は求心力を失って体制が崩壊し、ソ連からは併合された共和国が次々に分離、独立して行きました。
 平等社会の実現を目指した壮大な政治的実験は、こうして見るべき成果を上げることなく、終焉の時を迎えたのです。

 

北朝鮮の体制を崩壊させるのは

 現在、ミサイル・核開発を進める北朝鮮に対して、国連の安保理で制裁決議が採択され、各国が協力して経済制裁を行っています。この政策は果たして、実効性のある効力を発揮するでしょうか。一時的な効果を発揮することはあっても、残念ながら体制を追いつめるほどの効力を発揮することはできないでしょう。

 なぜなら、社会主義国家が存立するための根幹は経済にはなく、カリスマ性を有する独裁者の存在にあるからです。たとえ人民が経済的に困窮しても、絶対の指導者が存在し、やがて困窮した人民を約束の地に導いてくれるという構図さえ描ければ、社会主義国家は存続できるのです。

 したがって、北朝鮮を本当に追い詰めるためには、金正恩のカリスマ性をいかに失わせられるかが最も重要なポイントになるのではないでしょうか。アメリカが対立の構造を煽れば煽るほど、祖国を救う救世主として、金正恩の威光はさらに高められることになるでしょう。(了)