キリスト教はなぜ愛を説くのか(2)

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  前回のブログでは、フロイトが提唱した、モーセがエジプト人であり、しかもイスラエルの民に殺害されたという仮説をもとに、旧約聖書の『出エジプト記』を読み解いてきました。今回はこの仮説から、ユダヤ教、そしてキリスト教が誕生していく過程を検討したいと思います。

 

イスラエル民族の盛衰

 エジプトから戻った部族と、エジプトとカナンの間に定住していた諸部族が一体化してイスラエル民族が誕生し、この際にすべての部族に共有化されたのが、その地にあったヤハウェの宗教でした。

 ヤハウェに導かれたイスラエル民族は、やがて「約束の地」カナンを征服し、イスラエル王国を建国することに成功しました。イスラエル王国は繁栄し、ダビデ王とソロモン王のときに絶頂を迎えます。特にソロモン王は、国内制度の整備を行うと共に、外国との交易を広げ、王国の経済を発展させました。一方で彼は、エジプト人の信じる神々の偶像を祭壇に祭るなど、ヤハウェの信仰から遠ざかって行きました。
 ソロモン王の死後、王国は北イスラエル王国ユダ王国に分裂して弱体化し、周辺の強国に苦しめられることになりました。
 このころ何人かの預言者が現れて、苦難の原因は信仰的堕落にあると説き、神への正しい信仰を取り戻すように求めました。その甲斐もなく、やがて北イスラエルアッシリアに、さらにユダは新バビロニアに征服され、住民の多くが強制的に移住させられました。特に、新バビロニアによるバビロンへの連行は、「バビロン捕囚」として長く後世に記憶されることになったのです。
 このときイスラエルという民族は、地上から消え去る運命のただ中にあったと言えます。イスラエル民族は、アッシリア新バビロニア、または後に興るペルシア帝国に吸収されても何の不思議もありませんでした。ところが、イスラエル民族はこの逆境の中を、民族としてのアイデンティティーを失うことなく生き延びたのでした。なぜ、このようなことが可能だったのでしょうか。

 

モーセとその神の復活
 イスラエル民族が民族として生き延びるための方策、それが聖書の編纂であり、ユダヤ教の確立でした。
 聖書の編纂は捕囚期に始まり、エルサレムへの帰還が許された後に『モーセ五書』(創世記・出エジプト記レビ記民数記申命記)が完成されました。このとき初めてユダヤ教が成立し、経典の民ユダヤ人が誕生しました。イスラエル民族は、ユダヤ教によって民族のアイデンティティーを保持することに成功し、亡国の民となってもユダヤ人として生き続けることが可能になったのです。

 このようにイスラエル民族が存亡の危機に立たされたとき、彼らは新たな宗教を確立して、この危機を乗り越えました。まさにこのとき、モーセとその神が復活を遂げました。
 フロイトは、次のように指摘しています。

 

 ユダヤ民族のなかからは、色あせて行く伝承を思い出しては蘇らせ、モーセの訓誡と要求を復活させ、失われたものがふたたび確立されるまで決して休むことのなかった男たちがつぎつぎと現れた。幾世紀にも及ぶ絶えざる努力のなかで、そして最終的にはバビロン捕囚の前後の二度の大きな宗教改革によって、民族神ヤハウェが、モーセによってユダヤ人に押しつけられた神へと変貌していく過程はとうとう完了してしまったのだ」(『モーセ一神教1)166頁)

 

 先にも述べたように、エジプトから戻った部族とエジプトとカナンの間に定住していた諸部族が一体化してイスラエル民族が誕生し、この際にすべての部族に共有化されたのが、その地にあったヤハウェの宗教であったとフロイトは説明しています。そして、諸部族が一体化したころ、モーセ殺害の記憶は、悔恨の念と共に忘却されることになったと指摘しています。
 イスラエル民族が存亡の危機に立たされたとき、預言者たちが色あせていた伝承を蘇らせ、モーセの訓戒と要求を復活させて行きました。そして、バビロン捕囚前後の宗教改革によって、民族神ヤハウェは、かつてモーセイスラエルの民に強要した一神教の神へとその姿を変えていったのです。

 では、集団に伝承されてきた無意識の記憶痕跡が蘇るのは、どのようなときなのでしょうか。フロイトは、「出来事の新たな現実的反復によって、忘却された記憶痕跡が喚起される」(同上152頁)と指摘しています。つまり、それは、その記憶自体が誕生したのと近似の状況が繰り返されたときです。
 イスラエルの民族的苦難は、民族の無意識に伝承されてきたある記憶痕跡を呼び起こすことになりました。その記憶痕跡こそ、「エジプト脱出の記憶」でした。エジプトでイスラエルの民は、奴隷として使役されていました。そして、バビロン捕囚によって、今や彼らは同じように隷属の運命に貶められました。その時にイスラエルの民の中に蘇ったのが、モーセとその神の記憶だったのです。

 

原父殺害の記憶とユダヤ教

 このようにフロイトは、ユダヤ教の成立において、モーセとその神の記憶が重要な役割を果たしたことを強調しています。モーセとその神の記憶は、まず忘却され、それから伝承の形をとって後に姿を現すことになりました。

 この出来事も、当時において、二度目のこととして反復されて起こったとフロイトは主張しています。

 

 モーセユダヤ民族に唯一神の理念をもたらしたとき、この理念は実は決して新しいものではなかった。この理念は、人類家族の太古の昔に生じたひとつの体験、人類の意識された記憶からはずっと昔に消え去ってしまったひとつの体験の復活を指し示していたのだ」(『モーセ一神教』194頁)

 

 人類家族の太古の昔に生じたひとつの体験とは、圧倒的な力を持った原父による集団の支配と、兄弟たちによる原父の殺害を指しています。モーセイスラエルの民(ユダヤ民族)に示した唯一神は復活した原父であり、モーセの殺害は原父殺害の反復であるとフロイトは言うのです。
 そして、この人類の歴史に起こった体験の復活は、個人の成育史において「生まれてから五年間の経験は人生に決定的な影響を与え」、「後年になって何らかのときに強迫的衝動性を伴って彼らの人生に侵入し、彼らの行動を支配」することと同様の機序によってもたらされるのだとフロイトは指摘します。

 

 「これとまったく同じことを全人類のごく早期の体験において想定してもよいだろう、とわれわれは考えている。このような影響力のひとつの実現こそ唯一の偉大なる神という理念の登場であったろうと思われるのだが、この影響力の所産は、確かに歪曲はされているもののまったく正当な記憶と見なされなければなるまい」(『モーセ一神教』194-195頁)

 

 人類最初期の記憶が、苦難の歴史を歩み続けるユダヤ民族において、一神教という形をとって回帰してきたのだとフロイトは結論しています。その際に、強烈な父親像を示しながら、ユダヤ民族を一神教へと導いたモーセが果たした役割は決定的に重要であったと思われます。
 こうしてフロイトは、『トーテムとタブー』と『モーセ一神教』を一連の考察として結びつけたうえで、ユダヤ教誕生の必然性を明確にし、さらにはユダヤ民族の存在を、歴史の中に確固たる地位をもって位置づけようとしたのです。

 

キリスト教の誕生

 さらにフロイトは、ユダヤ教成立からキリスト教誕生への経過を、父親殺害の物語として解き明かして行きます。
 フロイトは、まず次のように述べます。

 

 「これでもって父の宗教の発展が終了完結したわけではなかった。父親への関与の仕方の本質は両価性なのである。感嘆と畏怖のまとであった父親の殺害へとかつて息子たちを駆り立てた敵愾心が、時がたつにつれて動き出すのは起こりうることであった」(『モーセ一神教』200頁)

 

 ユダヤ教の成立によって、父親の宗教の発展が完結したわけではありませんでした。原父の復活によって、父親殺害へと息子たちを駆り立てた敵愾心が、時がたつにつれて動き出す恐れが生じました。その敵愾心が、再び神を殺害することに繋がりはしないかという疑念を生みました。それは同時に、原父の殺害に対して抱いた罪の意識が、再び頭をもたげ始めることに繋がったのです。

 

 「増強しつつあった罪の意識が、抑圧された内実の回帰の前兆として、ユダヤ民族を、おそらくは当時の文化的世界全体を呪縛し始めたように思われる。そうして、ユダヤ民族のなかから、正当化された政治的・宗教的扇動者の資格を得て、ひとりの男が現れ、新たな宗教すなわちキリスト教に、ユダヤ教から離れる機縁を与えることになった。タルスス出身のローマに住むユダヤパウロが、この罪の意識を取りあげ、正当にもこの意識を歴史以前の源泉へと連れ戻したのだ。彼はこの意識を『原罪』と名づけた」(『モーセ一神教』130頁)

 

 ユダヤ教という一神教の成立によって、ユダヤ民族だけでなく当時の文化的世界全体に、罪の意識が頭をもたげ始めました。なぜなら、一神教の神は、強大な力を持って集団を支配した原父が、幾世代もの歴史を経た後に新たな姿に蘇った存在に他ならないのであり、その原父は兄弟たちに殺害されていたからです。
 一神教の成立は、原父殺害の記憶を人々の意識の中に呼び覚まそうとしました。そこで、原父を殺害したことに対する罪の意識を取り上げ、この意識を「原罪」と名づけたのがパウロだったとフロイトは指摘します。
 フロイトは、この原罪をもとに「救済空想」が完成されたと述べています。

 

 「実際のところ、死罪に値する犯罪は、のちに神格化されるに至った原父に対する殺人行為であった。しかしながら、殺人行為は想起されなかった。それに代わって贖罪のみが空想されることになってしまった。その結果、この空想が救済の告知(福音)として歓迎されてしまったのだ。ひとりの神の息子が罪なき者としておのれを死に至らしめ、それによって万人の罪を一身に引き受けた。死すべきは息子でなければならなかった。なぜならば、まさしく父親殺害が起こってしまっていたからである」(『モーセ一神教』130頁)

 

 原罪において殺人行為は想起されず、アダムが知恵の実を食べたこととされ、代わりに贖罪のみが空想化されました。この贖罪の空想が、救済の告知、すなわち福音の教えになりました。

 そして、この「救済空想」によって、人々は長年にわたって悩まされ続けてきた罪の意識から解放されました。なぜなら、父親殺害を行った息子- その後継者であり生まれ変わりであるイエスが、贖罪の死を遂げて殺人に対する罪を償ったからです。
 こうしてパウロは、救済の理念を通して人類の罪の意識を呼び起こし、さらには罪の意識から解放することによって、イエスの教えをユダヤ教から独立させてキリスト教を完成させたのです。

 

原父殺害の反復

 ところでフロイトは、原父の殺害が、ユダヤ民族においてはモーセの殺害という形で繰り返されたと述べています。さらに、イエスの出現によって、この殺害が反復されることになったと指摘しています。

 

 「運命が、太古における偉業にして凶行たる父親殺害をユダヤ民族にとって身近なものにし、父親殺害をモーセという聳え立つ父親像を持つ人物に則して反復すべく誘ったからである。これは、分析作業のさなかに神経症者によく起こることなのだが、想起のかわりに『行為化』が現れてしまった例であった。ユダヤ民族にモーセの教えを想起させるような刺激に接して彼らは行為というかたちの否認でもって反応し、偉大なる父親の存在を承認するにとどまり続け、のちにパウロが太古の歴史の進歩と結びつけた場所に至るのをみずからに禁じてしまったのだ」(『モーセ一神教』134頁)

 

 新たな神の教えを説くイエスの出現は、遠い過去において、モーセイスラエルの民にアートン教という一神教を強要したときと同様の状況を生みました。イエスが説いた教えは、「愛の教え」でした。しかし、それはユダヤ人にとって、モーセの教えを想起させるような刺激として受け取られました。
 この刺激は、さらにモーセ殺害の記憶と悔恨の念をも想起させます。しかし、想起の代わりに「行為化」が現れました。過去の記憶や感情が想起されて起こる葛藤から目を背けるために、イエスの殺害という同様の行為を繰り返したのです。

 こうしてユダヤ民族は、モーセを想起させるイエスを殺害し、その行為を正当化することによって、モーセとその神を殺害した記憶、さらには原父を殺害した記憶を否認し続けました。
 ユダヤ民族が繰り返したこの防衛策を発展させて、パウロが新たな宗教を創造したのだとフロイトは言います。

 

 「実際、モーセ殺害をめぐる悔恨の念が、メシアが再来してその民を救済しその民に約束された世界支配をもたらすだろうという願望に満ちた空想を生む原動力となったとするのは興味深い推測である。もしもモーセがこの最初のメシアであったとするならば、キリストはモーセ代理人そして後継者となるのであって、そうであればこそパウロもまた言わば歴史的正当性をもって諸民族に呼びかけることができたわけである。見よ、メシアはまことに再臨したまえり、メシアは汝らの目の前で殺されたまえり、と」(『モーセ一神教』135頁)

 

 フロイトは、モーセ殺害に対する悔恨の念が、ユダヤ民族に願望に満ちた空想を抱かせる原動力になったと推察しています。モーセを殺害さえしなければ、われわれは後にひどい迫害を受けずに済んだのではないか。モーセさえ蘇ってくれれば、われわれには希望に満ちた未来が訪れるのではないか。ここから、いつかモーセのようなメシアが再来して、ユダヤ民族に世界支配をもたらすという願望に満ちた空想、すなわち選民思想が生まれました。つまり、選民思想の背景には、モーセ殺害という隠された事実が存在するのだとフロイトは指摘しています。
 パウロは、ユダヤ民族の無意識に伝承されてきたこの記憶痕跡に導かれて、イエスがメシアであると確信しました。イエスユダヤの民衆に殺害されたうえでキリストとなって再臨したという信仰は、モーセ殺害によって生まれたメシア願望の反復された物語でした。だからこそパウロは、反復された歴史という正当性によって、この物語を諸民族に訴えることができたのです。

 さて、今回のブログでは、原父殺害の記憶がユダヤ教を生み、さらにそれがキリスト教に発展したというフロイトの説を概観してきました。次回のブログでは、今回の検討を踏まえて、キリスト教がなぜ愛を説くのかという論点について言及していきたいと思います。(続く)

 

 

文献

1)フロイト,S.(渡辺哲夫 訳):新訳モーセ一神教日本エディタースクール出版部,東京,1998.