ユダヤ人はなぜ虐殺されたのか(4)

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 これまでのブログでは、フロイトが指摘するキリスト教への憎悪が、集団の無意識の中で伝承してきたことを検討しました。そして、その無意識の記憶が、ルターやニーチェを通して、次第に意識化される過程を概観してきました。今回はその憎悪が、ヒトラーによって、ユダヤ人の大虐殺へと向かってしまった経緯を検討したいと思います。

 

ドイツ民族に潜むキリスト教憎悪
 さて、これまでの検討を踏まえたうえで、ヒトラーが唱えた反ユダヤ政策について考えてみましょう。
 結論から言えば、ヒトラーの無意識の中には、やはりキリスト教への憎悪が巣くっていました。そして、同様に、ドイツ民衆の無意識にもキリスト教憎悪が存在していたと考えられます。
 その記憶が生まれたのは、ゲルマン民族キリスト教に改宗させられた時代に遡ります。当時のゲルマン民族は、土着の多神教を奉じていました。彼らの宗教は民族の成り立ちを説明し、文化に根拠を与え、社会生活を規定していました。民族に誇りと勇気を与え、民族の行く末を導いたのも、民族に伝承されてきた神たちででした。

 しかし、ヨーロッパの地(当時にはまだ、ヨーロッパという概念は存在していませんでしたが)に移住したゲルマン民族は、自らの宗教を捨て、キリスト教に改宗することを余儀なくされました。彼らは、民族の屈辱感とキリスト教への憎悪を無意識の中に抑圧し、表面的には従順なキリスト教徒になりました。そうしなければ彼らは、多民族がひしめき合いせめぎ合う新たな地で、生きて行くことができなかったのです。
 意識化されない記憶は、集団の無意識の中でそのまま伝承されるというフロイトの説に従えば、民族の屈辱感とキリスト教への憎悪は、ゲルマン民族の無意識の中に伝承され続けました。彼らが敬虔なキリスト教徒であると信じている限り、それらの記憶が改変されることはありませんでした。

 では、その記憶が蘇ることはないのでしょうか。フロイトは、「出来事の新たな現実的反復によって、忘却された記憶痕跡が喚起される」(『モーセ一神教1)152頁)と指摘しています。つまり、抑圧が行われた当時と近似の社会状況が繰り返されたとき、それらの記憶が無意識の中から頭をもたげるのです。その社会状況とは、民族が存亡の危機に迫られたときでした。
 第一次世界大戦後のドイツは、まさしくそのような社会的状況に置かれていました。元来ドイツは、諸侯勢力が分立して国家が統一されない歴史を有してきました。神聖ローマ帝国の皇帝は、代々イタリアに赴いて教皇から帝冠を受けなければなりませんでした。そこで皇帝たちは、僧職任命権闘争を起こすなどイタリア支配に熱中し、諸侯勢力を統一するという現実的問題よりも超国家的理念を追い続けました。19世紀まで続いたドイツ分裂の悲劇は、この時代から始まっています。
 宗教改革に続く三十年戦争によって戦地となったドイツは国土が荒廃し、国内の諸領邦国家の対立はいっそう深まって、ドイツの統一はさらに遅れることになりました。ナポレオンの支配後に統一の気運が高まり、ビスマルクによってドイツの統一がようやく実現したのは1871年でした。ビスマルクのもとで国力を充実させたのもつかの間、1914年に始まる第一次世界大戦でドイツは敗戦を喫しました。敗北したドイツは、領土を狭められ、天文学的な賠償を課せられ、政治的な混乱と経済的な困窮に見舞わされました。さらに、世界恐慌の影響が、社会状況の悪化にいっそうの拍車をかけました。こうして統一の歴史が浅いドイツは、存亡の危機に迫られていたのです。
 このとき、ドイツ国民の無意識からかつての記憶、すなわち民族の屈辱感とキリスト教への憎悪の記憶が頭をもたげ始めました。そして、これらの記憶が、社会に異様な空気を醸し出すことになりました。この異様な空気を敏感に感じ取って言語化し、政治勢力の拡大に繋げた人物がヒトラーだったのです。

 

ヒトラー民族主義政策
 民族の屈辱感の記憶は、ヒトラー民族主義政策となって現れました。彼は、アーリア人種こそが真の芸術や文化を育み、国家の創造者たり得る最も優れた民族であると主張しました。そして、ドイツ帝国が発展するためには、アーリア人としての人種の純血とその健全さを保つことが必要であると訴えたのです。
 ちなみに、アーリア人とは、本来はインド・ヨーロッパ語族のうちインド・イラン語派の言語を用いる民族をいうのですが、19世紀にドイツ人の学者が唱えたアーリアン学説によって、インド・ヨーロッパ語族の諸言語を使うすべての民族を指すようになりました(アーリアン学説は政治利用された側面が多く、その真偽は定かではありません)。

 ヒトラーはアーリアン学説に則って、ドイツ人は最も純粋なアーリア人であると定義しました。しかし、ナチ党が大戦中に東欧占領地で「金髪碧眼」の子どもを見つけると、本国に拉致してドイツ人として育てていた事実からも分かるように、アーリア人の定義は恣意的で曖昧なものでした。ヒトラーが「アーリア人種」などという概念を持ち出したのは、ドイツ民族とユダヤ人を区別する必要性と共に、ゲルマン民族の中でもドイツ国民と他国民を明確に峻別する目的があったのでしょう。
 いずれにしても、ヒトラー民族主義にこだわり続けたのは、その根底に民族の屈辱感の記憶が存在していたからです。純粋なアーリア人種であるドイツ国民が、世界を支配するべきだという彼の民族主義的主張は、ゲルマン民族がかつて受けた屈辱を晴らすための誇大妄想であったと考えられます。そして、彼の妄想が支持され、現実の政策として実行に移されたのは、ドイツ国民の無意識の中にも同様の記憶が存在していたからにほかなりません。

 

ヒトラーキリスト教憎悪
 では、キリスト教への憎悪の記憶の場合はどうだったでしょうか。ヒトラーカトリック教会に対して、次のような言葉を残しています。

 

 カトリック教会はすでに相当の大きさをもっている。諸君、主なる神々は一つの制度である。そして二千年もの長きにわたって生きながらえたということは、それだけですでに何ものかを意味する。ここから我々は学ばねばならない。知恵と世知がここにひそんでいる。彼らと闘うにしても、彼らを一人として殉教者にはしない。ただの犯罪者にしてやる。頭から仮面をはぎとることになろう。
 映画をつくらせ、坊主の歴史を皆に見せてやる。そうすれば、ナンセンス・我欲・愚鈍・欺瞞の入り乱れたさまにがく然とするだろう。どれほど土地から金をしぼりとってきたか。どれほどユダヤ人と張り合い暴利をむさぼってきたか。どれほど近親相姦を犯してきたか。誰が見ても引き込まれるようなストーリーを作る。映画館の前は長蛇の列をなすであろう」(「全体主義と政治暴力」2)183頁)

 

 このようにヒトラーは、カトリックに対する憎悪をあからさまに表現しています。その憎悪は、フロイトが指摘するように、ユダヤ人憎悪へと置き換えられて行きました。

 実はドイツには、この置き換えが容易に行われる歴史的素地がありました。ドイツでは、中世からユダヤ人の差別と迫害が繰り返されてきました。その歴史は、千数百年にも及んでいました。ドイツが窮地に陥った際に、ユダヤ人をスケープゴートにして国民の不満と不安を解消し、民族の団結をはかる行為がドイツでは幾度となく行われてきたのです。

 その背景には、ドイツに統一国家が形成されずに不安定な社会状況が続いていたこと、ユダヤ人がキリスト教文化を受け入れずに律法に基づく生活様式を頑なに守り続けてきたこと、ユダヤ人がドイツの中で少数派として生活し続けてきたこと、それにも拘わらず一部のユダヤ人が大きな成功を収めていることなどの要因があったと考えられます。
 ヒトラーの反ユダヤ思想も、こうしたドイツの歴史に支えられています。彼が30歳で政治活動を始めた頃にはすでに、反ユダヤ主義を表明し、ユダヤ人を断固として排除しなければならないという思想を主張していました。ヒトラーがこの主張を終生変えず、政治権力を手にすると次々と反ユダヤ政策を実行できたのは、ドイツ民衆の中にも反ユダヤ思想が存在していたからにほかなりません。

 

ヒトラーによるユダヤ人絶滅思想

 しかし、ヒトラー反ユダヤ主義政策には、それまでのユダヤ人迫害の歴史とは異なる点が一つだけ認められます。それは、ヒトラーの政策がユダヤ人の差別と迫害だけでなく、ユダヤ人の絶滅に向けられたことです。ヒトラーユダヤ人の絶滅を、ユダヤ人問題の最終解決方法と捉えていました。彼は戦況が悪化する中でもユダヤ人の虐殺を続け、ユダヤ人絶滅への意志を最後まで頑なに持ち続けたのでした。
 それを如実に示すものとして、ヒトラーが自殺に至る前に書き残された遺言の中に、次のような文章があります。

 

 「道徳的にますますユダヤ人の病毒におかされている世界では、この毒に対して免疫性をもった国民のみが、最後には強者として君臨するであろう。かく考えてみれば、私がドイツと中部ヨーロッパからユダヤ人を絶滅してしまったことに対して、人々は国家社会主義に永遠に感謝するであろう」(『ヒトラーユダヤ人』3)232頁)

 

 戦局が決定的に悪化し、最後の時が迫ってもなお、ヒトラーがこのような考えを持ち続けたのはなぜでしょうか。人は死期が迫ったとき、自らの人生を振り返ります。その際にヒトラーが、自らの人生を正当化したい心境にかられていたとみることもできるでしょう。

 しかし、ヒトラーが遺した言葉を、それだけで片づけるべきではありません。この言葉には、ゲルマン民族の無意識に残された記憶から生まれる重要な意味が隠されていると考えられます。
 ヒトラーがこのような考えを抱くに至った背景には、ヨーロッパ社会において、キリスト教がかつての影響力を失っていたという事情がありました。19世紀末には神は社会の表舞台から退場し、ヨーロッパ世界は新たな時代の到来を迎えていました。神の退場に最後の重要な一撃を加えたのが、先に取り上げたニーチェです。
 その一方で、ユダヤ人による世界への影響力はかつてないほど大きくなっていました。20世紀に入るとその影響力は経済にとどまらず、政治、学問、芸術等の様々な分野に及んでいました。たとえば、フロイトアインシュタインマルクスはみなユダヤ人であり、彼らの業績をみただけでも、その計り知れない影響力が理解されるでしょう。
 また、それはドイツの国内問題だけでなく、周辺国に目を移せば、ユダヤ人が創った共産主義思想によって社会主義諸国家が誕生し、資本主義国家でさえ経済を通じてユダヤ人が大きな影響力を及ぼしていました。
 この状況において、ユダヤ人が創ったキリスト教によって苦しめられたかつての民族の記憶が、新たな苦しみの到来を予感させることになりました。そして、ユダヤ人が創造するものに再び苦しめられるのではないという危惧が、ドイツ国民に必要以上の被害的な感覚をもたらしたのだと考えられます。

 そこでヒトラーは、ユダヤ人の影響を将来にわたって防ぐためには、ユダヤ人を国家から排除するだけでは不充分であり、ユダヤ人そのものを地上から抹殺しなければならないという考えに達したのです。
 以上のように捉えると、ヒトラー上記の言葉は、次のように解釈することができるでしょう。


 「私は、かつて民族を強制的に支配したキリスト教への憎悪を解消し、ゲルマン民族の屈辱を晴らしたかった。それが、存亡の危機に瀕したドイツ民族が自尊心を回復し、世界の中で重要な地位を取り戻すために最も必要なことである。しかし、憎むべきキリスト教は、すでにかつての勢力を失っている。ならば、憎むべき敵は、キリスト教を生んだユダヤ人である。現にユダヤ人は、各方面からドイツ社会を浸食しているだけでなく、共産主義を生み、アメリカを背後から操っているではないか。このままではユダヤ人による病毒は、ますます世界中に広がるばかりである。この問題を将来にわたって根本的に解決するための策は、ユダヤ人を絶滅すること以外にはあり得ない。このことに最初に気づき、ドイツと中部ヨーロッパからユダヤ人を絶滅させた我々は、ユダヤ人の病毒をようやく理解する未来の人々によって、永遠に感謝を受けることになるであろう」


 こうした確信にもとづいて、ヒトラーユダヤ人絶滅へと突き進みました。そして、ヒトラーの暴挙を止められなかったドイツ国民の無意識にも、同様の思いが存在していたのではないでしょうか。さらに言えば、ヒトラーの暴走をぎりぎりの状況になるまで静観していた周辺の諸国家にも、根源的にはドイツ国民と同様の感情が存在していたのではないかと思われます。

 

 現代では、ユダヤ人の大量虐殺は、ヒトラーと彼に同調したナチ党員によってなされた暴挙として理解されています。そして、ヒトラーとその思想を非難し、排除することこそが何よりも重要であると考えられています。

 しかし、本当にそれだけで問題は解決するのでしょうか。フロイトが指摘するようなキリスト教憎悪の記憶を意識化しなければ、本当の問題解決には至らないのではないでしょうか。単にヒトラーに悪のレッテルを張り続けるだけでは、ヒトラーエピゴーネンは何度でも現れ、人々を惑わせることになりはしないでしょうか。(了)

 

 

文献

1)フロイト,S.(渡辺哲夫 訳):新訳モーセ一神教日本エディタースクール出版部,東京,1998.

2)デーヴィッド・クレイ・ラージ(大西 哲 訳,赤間 剛 解説):全体主義と政治暴力 ヒトラースターリンの「血の粛清」.三交社,東京,1993.

3)大澤武男:ヒトラーユダヤ人.講談社現代新書,東京,1995.