ユダヤ人はなぜ虐殺されたのか(3)

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 『モーセ一神教』の中でフロイトは、無理矢理押しつけられ、粗末に改宗させられたキリスト教に対する恨みは、克服されることなく、ヨーロッパ諸民族の無意識の中に伝承され続けたと指摘します。そして、キリスト教に対するこの恨みの念が、キリスト教を生んだユダヤ人憎悪に置き換えられたのだと結論づけています。

 今回のブログでは、このフロイトの見解をもとに、無意識に伝承されてきたキリスト教への憎悪が、ルターやニーチェを通して次第に意識化されて行く過程を検討してみたいと思います。

 

ルターの無意識に潜むキリスト教への憎悪
 ルターは、キリスト教宗教改革の端緒をつけると共に、後年ユダヤ人憎悪をむき出しにしてユダヤ人攻撃を行いました。この二つの事実は、フロイトの言を借りれば、共にキリスト教に対する憎悪に端を発していることになります。
 つまり、ルターの反ユダヤ思想にも根底にはキリスト教に対する憎悪があり、その憎悪が、キリスト教を創り上げたユダヤ人に向けられたと考えることができます。

 では、一方で、ルターが宗教改革を行ったのはなぜでしょう。これについても、キリスト教に対する憎悪が、宗教改革の原動力になっている可能性があります。
 もちろんルター自身は、キリスト教に対する憎悪が宗教改革に結びついたとは考えていなかったでしょう。しかし、キリスト教に対する憎悪が現状のキリスト教への不満を生み、キリスト教を新たに改革しようとする強力な意志となって現れたと考えることはできないでしょうか。事実、そのことを匂わせる文章が残されています。
 死の前年に編集された著作集の序文の中で、ルターは次のように述べています。

 

 「わたしは修道僧として非難される余地のない生活をしていたけれども、わたしは極度の不安な良心をもって神の前に罪人であると感じていた。わたしは、神はわたしの義務の履行によって宥(なだ)められると信ずることはできなかった。それでわたしは、罪人を罰する神を愛さなかった。というより、憎んでさえいた。そして涜神(とくしん)ではないとしても、ひそかに神に対して怒って不平を鳴らしひとり呟いた。『原罪の呪によって永劫の罰に委ねられた憐れな罪人たちは、古い契約の掟に基づいてありとあらゆる刑罰を加えられているというのに、神はなおそれでも足りないかの如く、新しい契約によってもまた、われわれにただ彼の怒り罰する義のみを告げ知らせ、新しい福音でもって苦痛をなおさら増し加えようとするのか』と。このようにわたしは激しく不安な良心をもって、神に対して怒っていた」(『世界宗教史叢書2 キリスト教史Ⅱ』1)35頁)

 

 ルターは、原罪を持つ人間を罰する神を憎んでいました。神は、旧約聖書において契約を守らない人間にありとあらゆる刑罰を与えたばかりでなく、新約聖書においては、人間を不義なるものとして罰することで自らの義(ただ)しさを告げ知らせています(スコラ哲学的には、そのように理解されてきました)。そして、修道僧として非難される余地のない生活を送っていたとしても、神は罪人である人間を救ってくれるとは限らないのです。
 ルターは、こうした行いを成す神に対して怒り、不平を言い、神を愛さなかったばかりか憎んでさえいたのでした。
 このように、ルターの怒りや憎しみは神の行いに対して向けられたのであり、キリスト教自体に向けられたものではありません。しかし、神の行いに対する怒りや憎しみの背後には、ルターの無意識、さらにはゲルマン民族の無意識に伝承されてきたキリスト教に対する憎悪が影響を及ぼしている可能性が窺われます。
 そう考えれば、ルターが神を信じられず、神に対して怒っていたのは当然のこととして捉えられますし、また、修道僧として非難される余地のない生活を送っていたにも拘わらず、ルターが激しく不安な良心を抱かざるをえなかった理由も理解できるでしょう。つまり、彼は、無意識の中で憎悪を抱いていた宗教に入信し、その修道僧として非難される余地のない生活を送っていたからこそ、激しく不安な良心を抱いたのです。

 

キリスト教への憎悪と宗教改革

 しかし、ルターは、神への不満をあからさまに表現したわけではなく、ひそかに不平を鳴らし、ひとり呟くに留まっていました。やがて、その怒りや憎しみは、彼の中で新たな信仰を生む力となって行きます。
 ルターは、次のように続けます。

 

 「日夜考えた末、ついに神の恵みによってわたしは、『神の義』という言葉を『信仰による義人は生きる』という句との関連において読むことができた。ここでわたしは神の義とは、それによって正しいものが神の恵みによって、すなわち信仰によって生きる義であることを理解しはじめた。福音を通じて啓示される神の義は、『信仰による義人は生きる』と書かれているように、それによって恵み深い神が信仰によってわれわれを正しくする受動的な義であることがわかってきたのである。このときわたしは、全く生まれ変わったような心地がし、開かれた門を通って天国に入ったように感じた」(『世界宗教史叢書2 キリスト教史Ⅱ』36頁)

 

 罪人を断罪する神の能動的な義を考えて苦しんでいたルターは、信仰を通して義を罪人に与え、恵みによって罪人を罪人のまま許し受容する神の受動的な義を理解しました。そして、怒りの神に代わって恵みの神を発見しました。つまり、神は罪人を断罪する一方で、信仰に生きる罪人の罪を許し、その恵みによって人間を正しく導く存在でもあることを発見したのです。

 こうしてルターは、聖書に基づいて神の行いを解釈し直し、怒りや憎しみを解消させたのみならず、無上の歓びにまで昇華させたのでした。
 ルターはこの画期的信仰体験をもとに、人間を義とするのはすべて神の恵みであり、人はただその神を信仰することによってのみ義とされるという神学的解釈を打ち立て、新たに福音主義を構築しました。こうして民族に伝承されてきた記憶痕跡が、ルターというひとりの人間を通して、福音主義という姿に変装されて表現されたのです。
 ところで、ルターの怒りや憎しみがキリスト教そのものの否定には繋がらず、新たなキリスト教解釈へと結びつけられていったのはなぜでしょうか。
 当時のヨーロッパ社会ではキリスト教は、現代とは比べるまでもなく、より社会制度と密接に結びついていました。そのため、キリスト教の存在自体を直接否定することはできない社会状況にありました。さらに、オスマン=トルコ帝国の隆盛によるイスラム世界からの圧迫によって、キリスト教世界が劣勢に立たされていた歴史的状況も存在していました。

 こうした事情から、ルターがキリスト教に対する憎悪をおおやけにし、直接表現することは到底不可能でした。そこでルターは、無意識のうちにその憎悪を現状のキリスト教や教会制度に向けることで、キリスト教の改革へと歩まざるを得なかったのだと考えられます。
 また、キリスト教への憎悪がもたらす居心地の悪さが、ルターをより純粋なキリスト者へと向かわせたという側面も考えられます。この心理機制は、キリスト教を心の底から信じられない者が、キリスト教を信じていると思い込もうとして、他者よりも一層キリスト教の信仰に励むことに譬えられるでしょう。
 キリスト教を真に信仰していないのではないかという良心の呵責に基づく不安が、ルターをして本来の信仰とは何かという問題を徹底して追求させました。その際に生じる熱狂的なエネルギーが、教皇から破門され、皇帝から取り消しを命じられても、自説を曲げなかったルターの強硬な姿勢を支えていたのではないかと考えられます。こうしてキリスト教への憎悪に対する良心の不安が、ルターを一般のキリスト教徒よりも、さらに純粋にキリスト教徒であろうとする究極の信者に仕立て上げたのです。
 以上で述べてきたように、フロイトの指摘は、ルターがキリスト教改革という崇高な使命を実践しながら、ユダヤ人の迫害を先導したという事実を説明するための重要な視点になります。両者が共にキリスト教への憎悪に端を発していると考えれば、ルターの行動は一貫したものと見なせるからです。
 さらに、ルターに始まる宗教改革を支持した多くの民衆も、彼と同様に(無意識のうちに)キリスト教への憎悪を抱いていたと考えられます。そうだとすれば、プロテスタントが行った「抗議」はカトリックに対してではなく、根源的にはキリスト教そのものに向けられていたと理解すべきでしょう。だからこそ、プロテスタントの国々からは啓蒙主義が生まれ、それはやがて無神論唯物論にみられる神を消失させる思想へと向かうことになったのです。

 

ニーチェのアンチクリスト
 ところで、このようなキリスト教への憎悪を、ルターのように改革に結びつけるのでなく、そのままの形で直接表現した人物がいました。その人こそ、ルター派の裕福な牧師の子として生まれ、後に哲学者となってキリスト教を批判したフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェです。
 ニーチェキリスト教に対する批判は、まったく徹底したものでした。彼が錯乱状態に陥る直前に書かれた『アンチクリスト』2)には、キリスト教への批判が余すことなく展開されています。以下に、それを要約してみましょう。

 

 キリスト教の神は征服された民族の神であり、被征服民族は、征服者の神から数々の長所や美点を抹消する。そのため神は卑劣漢になり、臆病になり、単なる善良な神になり、絶えずモラルを説教し、敵味方の区別なき「愛」すらをも説き勧めるようになった。神の概念からはいっさいの強さ、勇敢さ、尊大さ、誇らしさが取り除かれ、貧しき人々の神、罪人の神、病めるものの神となり果てた。キリスト教の神は、地上で達成された最も腐敗しきった概念となった。
 キリスト教に救いを求めるのは、抑圧された被征服者であり、最下層階級に属する者である。そのため、地上の支配者や高貴な人々を不倶戴天の敵と見なし、他人に対するある種の残酷な感覚、見解を異にするものへの憎悪や迫害する意志を内包している。やがてキリスト教が野蛮な民族の間に広まると、彼らを支配するために野蛮な概念や価値を取り入れた。キリスト教が目の前にしているのは、いまだ文明ですらなく、キリスト教によってようやく文明が始まるといった程度である。
 キリスト教において「信仰」こそ必要だとすれば、それは理性、認識、研究などの信用を貶めることになり、その結果として真理への道は禁断の道となった。キリスト教における「希望」は、不幸な人間を甘い言葉で釣っておくために、すぐに用済みにならないような希望であることが必要とされた。それが、すなわち彼岸の希望である。キリスト教の「愛」は、どんなことでも甘んじ、人生の最悪のことも超えられるために必要とされた。愛とは、人間が事物をもっともあらぬ姿に歪めてみる状態であり、幻想の力が、そして甘く美化する力が、愛によって頂点に達するからである。
 ユダヤ的、キリスト教的道徳こそ、徹頭徹尾ルサンチマン道徳である(ルサンチマンとは怨恨感情、つまり生を肯定的に生き得ない劣弱者の内攻した激情であり、自己否定の徳に総括されるキリスト教的道徳はこのルサンチマンの現れである)。ユダヤ教キリスト教の権力者、僧侶たちが無上の興味を持っているのは、人類を病気にすること、「善」と「悪」、「真」と「偽」の概念をねじ曲げ、生に危険な、世界を誹謗する意味に作り替えてしまうことである。キリスト教道徳とは、不幸が「罪」という概念で穢(けが)されていること、健全であることが危険、「誘惑」と見なされていること、単なる生理的不健全が良心の責め苦によるとされていることである。


 以上のように述べた後でニーチェは、さらに、イエスの教えを弟子たちやキリスト教会が自分たちの都合に合わせて勝手に歪めてしまったこと、新約聖書の中には、自由で、善良で、あけすけで、正直なものは何一つ書かれていないこと、キリスト教にとって科学は禁断そのものであること、キリスト教の神が戦争というものを考案したこと、僧侶は権力にありつき権力を堅持するために「真理」を語っていること、キリスト教ギリシア人やローマ人が築いてきた古代文化の遺産をすべてを破壊したことなどを次々に訴え、徹底的にキリスト教を断罪するのです。
 このようにニーチェは、キリスト教は被征服民族の宗教であり、その根源にはルサンチマン(怨恨)が渦巻いていると喝破します。そして、キリスト教が文化を破壊し、人類を堕落させ、人々を不幸に陥れると警告するのです。さらに彼は、「北ヨーロッパの強壮な諸民族がキリスト教の神を拒絶しなかったことは、(中略)この種族の宗教的天分上の名誉をまことに傷つけるものである」(同上181頁)と述べ、民族の祖先がキリスト教に改宗したことを嘆いています。

 

キリスト教憎悪の表明

 このような、あからさまで徹底したキリスト教批判が表明されたことは、ヨーロッパの歴史上初めてのことだったでしょう。それまでの批判は、理神論や無神論、そして唯物論などによって間接的に、控えめに行われてきました。しかし、ニーチェにおいては、その批判の矛先はキリスト教の聖職者に、教会に、教義に、聖書に、そして神にまで直接向けられ、罵声にも近い言葉で延々と繰り返されるのでした。フロイトが指摘するヨーロッパ諸民族のキリスト教への憎悪が、まさにニーチェをして体現されたと言えるでしょう。
 ところで、ニーチェは、同書の中でルターについても言及しています。キリスト教的価値を転換させるルネサンスの偉大な文化的収穫を、ルターが宗教改革によって台無しにしたとニーチェは言います。ルターが教会を再興したおかげで、ルネサンスは大いなる無駄に終わってしまったとニーチェは嘆くのです(同上265-266頁)。
 しかしながら、ルターの宗教改革キリスト教への憎悪を内包していると考えれば、ルターとニーチェの思想は根底では繋がっていることになります。ルター派の牧師の家に生まれたニーチェには、ドイツ民族の、そしてルターの無意識にあったキリスト教憎悪の記憶が伝承されていたのではないでしょうか。

 その記憶がルターのように変装されて表現されるのではなく、ニーチェにおいてそのままの形で表現されたのは、キリスト教の影響力が弱まっていたという時代背景と共に、彼の精神が崩壊の時を間近に控え、良心による検閲を充分に受けられない状態にあったからなのかも知れません。

 さて、これまでにフロイトが指摘するキリスト教への憎悪が、ルター、ニーチェを経て次第に表面化する経緯を見てきました。次回のブログでは、その憎悪がヒトラーを通して具現化する過程を検討することとしましょう。(続く)

 

 

文献

1)半田元夫,今野國雄:世界宗教叢書2 キリスト教史Ⅱ.山川出版社,東京,1977.
2)ニーチェ西尾幹二 訳):偶像の黄昏 アンチクリスト.白水社,東京,1991.