死の本能は存在するのか(1)

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   以前のブログでも触れましたが、現在の日本では、毎年3万近い人が自殺で亡くなっています。しかしこれはあくまでも自殺既遂者であり、自殺未遂者はその10倍の30万人を数え、さらに自傷や多量服薬までも含めるとその数は数百万人に上ると推計されています。私たちが日々の臨床を行っている際にも、「死にたい」という患者さんの訴えを聞かない日はないと言っていいほどです。なぜ、現代の日本人はこれほど死を意識し、さらには自分を傷つけたり、自ら命を絶とうとするのでしょうか。

第一次世界大戦と「死の本能」
 この問題を検討するうえで、重要な概念が提出されています。それは、フロイトが唱えた「死の本能」という概念です。フロイトは、生の本能に対立するものとして、死の本能が存在すると主張しました。フロイトがこのような概念を創造するきっかけを作ったのが、第一次世界大戦(1914~1918)でした。フロイトは、第一次大戦によって何百万人もの人間が互いに殺し合い、国家が破滅的状況に陥って行く現実に衝撃を受けました。そして、この破壊的な攻撃性が何に起因するのかを解明しようとして、死の本能という概念にたどり着いたのです。
 フロイトは、1920年に発表した『快感原則の彼岸』1)の中で、初めて「死の本能Todestrieb」(「死の欲動」と訳されることもあります)という概念を提唱しています。
 この挑発的な仮説は、一般の人々だけでなく、多くの精神分析学者にとっても受け入れがたいものでした。なぜなら、個体がいかにして生存し、種がどうしたら存続できるかに全霊を傾けている生命体の中に、死へと向かう本能(欲動)が存在するとはどう考えてもあり得ないことだと思われたからです。その是非は後に譲ることとして、ここではまず、死の本能論がどのように形成されたのかを見てみることにしましょう。

人が苦痛な体験を繰り返すのはなぜか
 フロイトが『快感原則の彼岸』の中で最初に着目しているのは、生命の危険と結びついた災害や戦闘の後に発症する外傷神経症や戦争神経症において、患者が夢の中で、災害や戦闘の場面に繰り返し引き戻される現象でした(これらは今でいうPTSD心的外傷後ストレス障害と呼ばれる現象です)。夢の性質としては、健康な時の映像や熱望する快癒時の映像を映して見せる方が本来は相応しいはずなのに、彼らは夢の中でなぜ病気を引き起こした体験にわざわざ固着するのでしょうか。
 フロイトは、この不可思議な現象を、自身が観察した小児の遊戯においても取りあげています。一歳六ヶ月になるこの行儀の良い男児は、母親が何時間も傍らにいなくても決して泣いたりしませんでしたが、その代わりに糸巻きを使って一種の遊戯をするようになりました。この子は木製の糸巻きを放り投げ、寝台の陰にその姿が見えなくなると「いない」という叫び声を上げ、それからひもを引っぱって糸巻きを手繰りよせてその姿が見えると「いた」と叫ぶのでした。
 この行為をフロイトは、母親の消滅と再現を現す完全な遊戯だと考えました。そして、フロイトが特に注目したのは、この子供においてたいていは糸巻きを放り投げる行為だけが、つまり母親の消滅を現す行為だけが繰り返されたことでした。母親の不在という苦痛な体験を、子供が遊戯として繰り返すのはなぜなのか。ここには快感原則に支配されることのない、何か独立したものが存在しているのではないかとフロイトは考えました。
 ちなみにこの男児は、フロイトの孫だと言われています。フロイトは自分の孫が一人遊びをする姿を見ながら、死の本能論を考えていたのですね。孫が糸巻きを投げる姿を見て微笑ましいと思ったり、一緒に遊んでやろうとすることよりも、フロイトにとっては、分析理論を追究することが優先されたのでしょう。これと似た話に、印象派の巨匠モネが、自分の妻が死にゆく臨場でその姿を描いていたという逸話があります。妻が死にゆく際のその肌色の移ろいを見て、光の描写を追い求めていたモネは、思わず筆を握ってしまったというのです。彼らの姿には、ある真理を追究しようとする凄まじいまでの執念が感じられます。
 それはさておき、本題に戻りましょう。
 フロイトはさらに、同様の現象を、神経症者の反復強迫(たとえば何度も手を洗ったり、鍵やガス栓を何度も確認すること)や、同一の体験を繰り返すことになる神経症的でない人々の生活にも見出します。彼らは過去の苦痛な体験を、症状として、対人関係において、そして日々の生活の中で、わざわざ繰り返し反復するのです。
 これらの現象は、受動的にもたらされた苦痛な体験を、能動的に繰り返すことによって自らが支配し、不安をコントロールしようとする試みであると捉えることもできるでしょう。
 しかし、それだけではないとフロイトは考えました。苦痛な体験を繰り返し再現するのは、苦痛な体験へと導く特性がすべての有機体には備わっているからではないか。マゾヒズムとはサディズムの衝動が自分自身に反転したものではなく、マゾヒズムこそが一次的なものではないか。さらに、こうした特性を根底で支配するものが存在するのではないのか。この根源的な存在を、フロイトは死の本能だと考えました。

死の本能とは何か
 フロイトは、本能について次のように考察します。本能とは、「生命ある有機体に内在する衝迫であって、以前のある状態を回復しようとするもの」です。生物にとって以前の状態とは、無生物の状態に他なりません。そう考えれば、「あらゆる生物は内的な理由から死んで無機物に還る」のであり、「あらゆる生命の目標は死である」と考えられるのです。
 そう捉えると、生物に認められる自己保存の本能は、「もとをただせば死に仕える衛兵」に過ぎません。生命である有機体は、「それぞれの流儀にしたがって死ぬことを望む」のであって、どのように生きるかは、個々の生物が死までの過程を固有に選択した一つの表現に過ぎないのです。つまり、生命の究極の目的は死であり、生物には生物を死へと導くための本能が備わっていると想定することができます。フロイトはこのように考えて、生物の本能の中核に死の本能を据えたのでした。
 フロイトの本能論は、それまでも二種類の本能の対立として捉えられてきました。最初は「性本能」と「自我(自己保存)本能」の対立として、次に「対象リビドー」と「自己愛」の対立としてです。そして、最後にフロイトは、それまでの理論を「生の本能」と「死の本能」の対立として捉え直し、本能論を完成させました。
 フロイトは、人間(だけでなく生命一般)には生の本能と死の本能が並存していると考えました。そして、人間の場合には、正常な精神生活では両者が融合して建設的な形で発揮されていますが、両者の融合、中和に障害が起こった場合には、精神疾患をもたらす様々な障害が起こるのだという結論に達したのです。

死の本能と戦争
 この突飛とさえ言える結論は、容易に理解されるものではないでしょう。しかし、ここで立ち止まらずに、さらにフロイトの理論を追ってみることにしましょう。
 フロイトアインシュタインとの往復書簡の中で、死の本能と戦争との関係を論じています。この往復書簡は、1932年に国際連盟からアインシュタインへの、「今の文明でもっとも大事だと思われる事柄をとりあげ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」という依頼によって実現しました。
 アインシュタインが選んだテーマは、「人間を戦争の桎梏から解放する道は存在するか」であり、書簡の相手に選んだのがフロイトだったのです。
 この中でフロイトは、人間を戦争へと駆り立てる破壊欲動の起源を、次のように説明しています。

 「私たちは(中略)つぎのような見解を得たのです。それは、どんな生命体の内部にもこの破壊欲動は働いており、それが、その生命体を崩壊に至らしめ、生命を生命なき物質の状態に還元しようと努めているという見解であります。この欲動は、エロス的諸欲動が生命を志向するもろもろの努力を代表するものであるのに対し、断固死の本能と名づけるに値したのでした。死の本能は特別の諸器官の助けを得て、外部に向かって、つまり諸対象に対して投影されますと、破壊欲動となります」(『戦争はなぜ』2)フロイト著作集11巻 257頁)

 このようにフロイトは、破壊欲動を死の本能が内部に向かわずに外部の対象に投影されたものとして捉えています。つまり、人間を戦争へと駆り立てる破壊欲動の起源は、死の本能に立脚していると主張しています。
 そして、死の本能に基づく破壊欲動は「どんな生命体の内部にも働いている」のであり、「人間の攻撃的傾向を除去しようとしても成功の見込みがない」のですから、その結果として、戦争に対するフロイトの見解は次のようになるのでした。

 「戦争は人間の本性の然らしめるところであり、立派な生物学的根拠もあり、また現実にはほとんど回避しがたいものであるように見える」(『戦争はなぜ』259頁)

 死の本能論に基づけば、戦争は「人間の本性の然らしめる」ものであり、「現実にはほとんど回避しがたいもの」なのです。
 そこでフロイトは、戦争の回避を文化の発展に求めます。文化の発展によってもたらされる二つの重要な現象、すなわち、人間の本能的生活を支配し始める知性の強化と、攻撃的性向の内在化によって、戦争に対する態度は単なる知的情緒的拒否反応を超えて、「むしろ体質的な不寛容と申しますか、いわば極度に増大した病的嫌悪のようなもの」になるとフロイトは言います。そして、この感覚が、平和主義者における戦争反対の姿勢に力を与えるのと言うのです。
 フロイトは、「文化的態度と、未来戦争の諸影響に対する正当な不安という二つの要因が良い作用を及ぼし、やがてそう遠くない将来において戦争遂行に終止符を打つであろうと考えるのは、もしかすると決してユートピア的希望ではないかもしれません」と述べ、書簡の最後を、「文化の発展を促進する一切のものは、また同時に戦争に逆らうものだ」と結んでいます。
 しかし、フロイトの希望は、その後に起こった第二次世界大戦(1939~1945)によって無惨にも打ち砕かれました。平和主義者がいかに反対を唱えようとも、戦争はやはり「現実には回避しがたいもの」でした。また、文化の発展が人間を平和主義者に変えないことも、第二次大戦前後の世界情勢をみれば明らかでした。文化の発展した国は、相変わらず戦争を起こし続けました。文化の発展した国にこそ、破壊への欲動が日常生活の中に蔓延しているとしか見受けられないのでした。
 では、フロイトが唱えた死の本能は存在しないのでしょうか。もし存在しないとしたなら、フロイトのいう死の本能とはいったい何だったのでしょうか。項を改めて検討したいと思います。(続く)

 

 

文献 

1)フロイト,S.(小此木啓吾、井村恒郎他 訳):快感原則の彼岸.フロイト著作集6,人文書院,京都,1969.

2)フロイト,S.(高橋義孝、生松敬三他 訳):戦争はなぜ.フロイト著作集11,人文書院,京都,1969.