人はなぜ戦争をするのか(3)

f:id:akihiko-shibata:20180103031603j:plain

 

 前回のブログでは、文化の発展が人々の攻撃欲動を増大させる仕組みをみてきました。今回は、増大した人々の攻撃欲動が、どのような結末を迎えるのかを検討してみたいと思います。

 

攻撃欲動が個人に向かうとき

 増大する攻撃欲動に対する根本的な解決策を、果たして人類は獲得することができるのでしょうか。残念ながら現状では、不完全な対処法を講じながら何とかその場を取り繕っている状態ではないかと思われます。

 では、その具体的な対処法を以下でみていくことにしましょう。
 まず、個人における攻撃欲動の対処法です。攻撃欲動が個人の外部に向けられた場合は、文化によって欲動の発現が許された環境や状況の中でこれを解消させる方法が採られます。その典型例としては、スポーツや格闘技を観戦したり自ら実践することが挙げられるでしょう。さらに、政治家や警察、教師、弁護士、医師など特別な権力を与えられた職業において、日常業務の一部に攻撃欲動の発現が認められます。特殊な例では、軍隊の活動などもこれに含まれるでしょう。また、非日常で行われる様々なサディスティックな行為にも、攻撃欲動の発現を認めることができます。
 しかし、攻撃欲動はそもそも、文化への敵意、または文化によって導かれる社会活動や人間関係への敵意から生じています。したがって、攻撃欲動をこれらの対象に直接向けなければ、本来の満足は得られません。さらに攻撃欲動が抑圧され続けると、個人の精神内界で増幅され、より強大な欲動に成長することが起こります。そのため社会が用意した解消法では、満足できない人々が生まれます。その結果として、攻撃欲動を直接個人や社会に向ける行為、つまり、学校、職場でのいじめから非合法的な暴力や反社会的行為、さらには殺人までが起こるのです。
 攻撃欲動が個人の内部に向けられた場合はどうでしょうか。この場合には、攻撃欲動が自分自身に向けられ、自罰的な行為となって現れます。現代では一般的になってしまった、リストカットなどの自傷行為がこれに含まれます。その心理機序は、攻撃欲動が自分自身に反転することで起こります。攻撃欲動が反転して自分自身に向かうのは、文化へ敵意を抱きながらも、文化を守ろうとする姿勢が残されているからです。文化を守ろうとするからこそ、文化に従えない「悪い自分」や「ダメな自分」に対して攻撃性が向くのであり、その結果として自罰的な行為が現れるのです。
 一方で自罰的な行為には、「悪い自分」や「ダメな自分」を攻撃することによって、自己の尊厳を守ろうとする意図も含まれます。文化の掟に従えない「悪い自分」や「ダメな自分」を攻撃し、「悪い自分」や「ダメな自分」を消滅させることによって、初めて文化の中で価値のある存在として自分自身を再認識できます。そこでは「悪い自分」や「ダメな自分」はあくまで自己の一部だと認識されており、その一部を攻撃すれば、残された自己の大部分を守ることが可能になります。自罰的な行為をした後に気持ちが楽になるのは、こうした心の働きがあるからです。
 自罰的な行為の典型は自己の身体を傷つける自傷行為ですが、この思いが昂じると自己身体を消滅させてしまう行為、つまり自殺が起こります。自殺へと至る出発点には、苦難に満ちた現世から逃避したいという思いがあるでしょう。それに加え、自傷行為の場合と同じように「悪い自分」や「ダメな自分」を消滅させることによって、自己の尊厳を守ろうとする意思も存在しています。

 ただし、自殺が自傷行為と異なるのは、「悪い自分」や「ダメな自分」が自己の一部ではなく自己そのものになっている点です。そのため、「悪い自分」や「ダメな自分」を消滅させることは自分自身の死に繋がります。それでも、「悪い自分」や「ダメな自分」を消滅させる刹那に、自らの誇りを取り戻し、一瞬の尊厳を感じることができるのかも知れません。そこには、文化に敵意を抱きながらも文化に殉じ、文化を頑なに守ろうとする悲愴な態度が伴われています。

 以上のように、自罰的な行為の裏側には攻撃欲動の存在が認められます。現在の日本で、毎年3万人近い人たちが自殺で命を落としている背景には、日本社会に鬱積する攻撃欲動の問題が横たわっていると考えられるのです。

 

攻撃欲動が文化に向かうとき

 さて、次に攻撃欲動が集団で現れる場合を考えてみましょう。
 文化に対する敵意が多くの個人に共通して現れた場合、攻撃欲動は集団の意志となって文化に向けられます。ところが、人間は文化がなくては生きられないため、文化そのものを消滅させることはできません。そこで文化への敵意は文化の一部に向けられ、文化の一部が改変されます。これが、いわゆる革命です。
 革命とは、欲動の断念に失敗した文化が、新しい欲動の断念方法に転換されることを意味します。この際、文化への敵意を生じさせた欲動の断念は緩和されますが、別の欲動は相変わらず(場合によっては以前より強力に)断念させられます。フロイトが指摘するように、欲動の断念は文化の前提であり、欲動を断念しなければ文化が成立しないからです。したがって、新たな欲動の断念は再び文化への敵意を生み、この敵意はさらに次の革命の萌芽となります。この観点からすれば、革命が続く社会では、その文化が欲動の断念に失敗し続け、常に攻撃欲動が鬱積した状態にあると考えることができます。
 しかし、集団の攻撃欲動が常に文化の内部へ向かうとは限りません。攻撃欲動が文化の外部、つまり他の文化に向かうことも起こります。それが戦争です。

 

戦争の起源

 ここで、いったん戦争の起源について考えてみましょう。人類はいつから戦争を行うようになったのでしょうか。
 この検討を行う準備として、再びフロイト精神分析を紐解いてみたいと思います。フロイトは、1939年に発表した『モーセ一神教1)の中で、次のような指摘を行っています。

 

 「伝承に関する心理学的事態にあっては、個人の場合と集団の場合のあいだの一致はほとんど完璧であって、集団のなかにおいても過ぎ去った出来事の印象は無意識的な記憶痕跡のなかに保存され続けているのだ、と私は考えている」(『モーセ一神教』142頁)

 

 ここでいう「無意識的な記憶痕跡」とは、抑圧されることによっていったん忘却された記憶です。つまり、集団においても無意識へと抑圧されたものは消滅するのではなく、個人の場合と同様に集団の無意識の中に残存し続けるとフロイトは言います。さらにフロイトは、「先祖によって体験された事柄に関する記憶痕跡の遺伝という事態は、直接的な伝達や実例による教育の影響がなくても、疑問の余地なく起こっている」(同上150頁)とも述べて、直接的な情報伝達や教育の影響によらない無意識的な記憶痕跡が、集団の中で遺伝すると指摘します。
 さらに、フロイトは次のように続けます。

 

 「範囲と内容は別ものであっても、動物の本能に対応するのが人間に固有の太古の遺産なのだ」(『モーセ一神教』151頁)

 

 控えめに述べられた、この一文の意味するところは途方もなく重要です。瞠目すべきは、フロイトが動物の本能に対応するものとして、「人間に固有の太古の遺産」を挙げている点です。フロイトはここで初めて、動物の本能と人間の「本能」の間に小さな(しかし、非常に重要な)区別を与えました。動物の本能に相当する人間の「本能」とは、無意識の中に過去から伝承されてきた「人間に固有の太古の遺産」に他ならないのです。
 この言葉は、フロイトの、そして精神分析学の、生物学に対する決別への分岐点であると理解することができます。生物学に依拠した本能論を展開してきたフロイトは、まさにこの時点において、一つの趣旨替えを行ったと言えるでしょう。
 では、「無意識的な記憶痕跡」は、なぜ人々の無意識の中に存在し続けるのでしょうか。その理由をフロイトは次のように述べています。

 

 「直接的伝達は外部からやってくるすべての他の情報と同じように傾聴されたり判断されたり、場合によっては拒絶されたりするだろうが、論理的思考という拘束からの解放という特権的な力を獲得したためしは一度としてなかった。伝承とは、回帰してくるにあたって集団を呪縛してしまうほど強力な現実的影響力を発揮する前に、必ず一度はまず抑圧される運命に服さなければならず、無意識のなかに滞留している状態を耐え抜いてこなければならないものなのである」(「モーセ一神教」153頁)

 

 言葉や理論による直接的な伝達は、論理的、意識的であるがゆえに、傾聴され、理解される反面、場合によっては変更されたり拒絶されたりする運命をたどります。しかし、抑圧され、無意識の中に滞留している状態を耐え抜いた記憶は、意識されないがゆえに、論理的思考という拘束から解放され、そのままの状態で次世代へと伝承されます。こうした伝承こそ、集団や民族、そこに属する個人の特質を形成する重要な要素になるのです。
 そしてフロイトは、ユダヤ人の起源をモーセという一人の男の存在に帰しています。

 

 ユダヤ人を創造したのはモーセというひとりの男であった、と敢えて言ってもよかろうと思う。ユダヤ民族は、その強靭な生命力を、また同時に、昔から身に受けいまもなお身に受けつづけている周囲の敵愾心のほとんどすべてを、モーセという男から受けとったのだ」(「モーセ一神教」159頁)

 

 こうしてフロイトは、「ユダヤ人を創造したのはモーセというひとりの男であった」という結論に至ります。モーセが残した無意識の記憶痕跡は、ユダヤ民族を、そしてユダヤ人の文化に根底から影響を与え続けているとフロイトは主張しているのです。

 さて、話題を戦争の起源に戻しましょう。フロイトが指摘するように、文化とは集団の中で伝承される無意識の記憶痕跡、つまり「人間に固有の太古の遺産」によって支えられています。そして個人の精神は、その文化に依拠して形成されます。

 この結論からは、さらに次のような新たな結論が導かれます。それは、もし無意識の記憶痕跡が失われることがあれば、文化も、文化に依拠する個人の精神も崩壊してしまう危機が生じます。そのため、無意識の記憶痕跡は、文化の継続のためにも個人の精神を安定させるためにも、どうしても守り抜かなければならないものだったのです。
 では、集団に伝承される無意識の記憶痕跡が失われる事態とは、どのような場合に起こるのでしょうか。

 まず考えられるのが、周囲の環境の変化などによって、文化の改変を余儀なくされる場合です。たとえば、地球規模で起こった気候変動が挙げられるでしょう。急激な寒冷化や、逆に温暖化とそれに伴う海水面の上昇などによって、人類は幾度も存亡の危機に立たされて来ました。この際に、集団は新たな環境への適応を探るか、「集団に固有の太古の遺産」に固執するかの二者択一に迫られます。その結果、環境に適するように文化を改変して生き延びた集団もあれば、「集団に固有の太古の遺産」を遵守したために滅びた集団も存在したでしょう。
 次に挙げられる事態とは、別々に存在してきた集団が交わる機会を持った場合です。個々の集団には、固有の無意識の記憶痕跡が存在しています。別々の集団が交わるときには、集団に固有の記憶痕跡が一方に呑み込まれたり、否定されたりする可能性が生じます。そうなれば過去から伝承されてきた文化は否定され、集団に属する個人の精神は崩壊する危機に直面します。この事態は、人間が人間として存在することの否定を意味するのであり、そのため文化を守ろうとして人間同士が戦い、殺し合いを演じる原因となります。そして、この同種間における殺し合いも、文化を「淘汰」し、文化を「進化」させる重要な原動力となるのです。
 ところで、集団に伝承されてきた記憶痕跡が存続の危機に晒されたとき、集団に属する人間は共有された無意識の記憶痕跡を守るために、初めて集団として戦ったでしょう。この行為が、集団と集団との戦いの起源、つまり戦争の起源だと考えられます。したがって戦争とは、無意識の記憶痕跡に支えられた文化を守るための戦いである、と言い換えることもできるでしょう。

 

戦争を内包する文化

 人間が人間として存在するためには、何よりも無意識の記憶痕跡に支えられた文化を守ることが重要になります。だからこそ戦争では、生物としての人間の肉体の価値は軽んじられ、人間の殺害が恒常化し、動物にはみられない同種同士の殺戮が繰り広げられるのです。
 つまり、人間が究極に求めるものは種の存続ではなく、人間を人間たらしめている文化の存続に他なりません。人間は生物として存在しているのではなく、いわば文化によって人間として存在させられているのです。そうだとすれば、人間として生きることと戦争を行うことは、文化によって結びつけられた、常に隣り合わせの現象であると言えるのかも知れません。

 このように別々の文化が接する事態に伴って、戦争という文化の存続手段が誕生しました。この手段は、すでに検討してきた文化への不満を解消する方法としても利用されました。文化に対する敵意が昂じたとき、この敵意から生じた攻撃欲動を別の文化に振り向けることができれば、もとの文化は革命を迎えることなく存続することが可能になるからです。
 しかも戦争は、攻撃欲動を他の文化へ振り向けるだけでなく、それまで抑えつけられてきた多様な欲動を一気に解放する手段にもなります。そのため戦時においては、文化の掟で示される価値観が逆転し、文化を成立させるために禁止されてきた行為が許され、場合によってはこうした行為が賞賛さえされます。そして多くの欲動が解放されることによって文化への敵意は解消され、文化の存続が保証されます。誤解を恐れずに言えば、これは文化の存続のためには実に都合のよいシステムだと言えるでしょう。そのため、戦争の遂行自体が組み込まれている文化も存在します。このような文化は常に戦争を行い、他の文化を征服しながら拡大を続けたのです。
 世界史において拡大を続けた文化は、文化の中に強い敵意を内包しており、この敵意を戦争に向けることで生き延びてきた文化なのだと考えられます。近代化を達成し、世界を制圧せんとしている欧米文化も、実はその一つに数えられるのです。(了)

 

 文献 

1)フロイト,S.(渡辺哲夫 訳):新訳モーセ一神教日本エディタースクール出版部,東京,1998.