皇室の伝統はなぜ変えてはいけないのか(10)

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 明治以降に始まった天皇の役割の変化によって、日本人の精神には大きな変化が認められました。その比較の具体的な例として、前回のブログでは、江戸時代の狂気の特徴について検討しました。

 今回のブログでは、明治時代以降に現れた狂気の特徴を述べ、天皇の役割の変化が及ぼした影響について検討したいと思います。

 

明治時代の狂気
 明治政府は西洋医術の採用を布告し、これ以降漢方医学に代わって西洋医学が日本における医学の主流になりました。明治2年にドイツ医学の採用が国是として決定されると、医学界はドイツ医学一辺倒になりました。精神病学は明治19年東京大学で初めて開講され、ここで学んだ門下生たちが、日本における精神医学の最初の担い手になりました。
 当初は西洋精神医学の翻訳書が医療の拠り所とされましたが、明治の後半になると、日本人による精神医学の専門書が次々と出版され始めました。そして、明治35(1902)年に、東京大学呉秀三(精神医学教授)と三浦謹之助(内科教授)が中心となって、日本神経学会が創設されました。
 日本神経学会総会の動向をみると、統合失調症(当初は早発性痴呆と、後には精神分裂病と呼ばれていました)への注目度はあまり高くありません。総会で提出された演説、報告、特別講演のうち、統合失調症関連の発表は、明治、大正時代とも全体の一割にもなりません。これは当時の学会が神経学を主としており、脚気や梅毒の神経系への影響を研究したものなど、生物学的な研究が主流だったためだと考えられます。また、精神病者の医療は主に精神病院で行われており、統合失調症が研究の対象として、まだあまり注目されていなかったからかも知れません。

 

 私宅監置

 明治時代の精神病者の多くは、私宅に一室を設けて監禁されていました。これは私宅監置と呼ばれ、大正7(1918)年に呉秀三教授による調査が公表されるまで、その実体は明らかになっていませんでした。
 明治43年から大正5年まで実地視察されたこの調査書によれば、監置の理由で多いものが、家人への暴行・家財破毀の27.7%と外出徘徊・放浪の17.8%でした。その他にも、家宅侵入、窃盗、他人への暴行・傷害、放火、神社仏閣破壊、不敬事件といった刑法犯に準ずる理由も認められ、社会的な危険防止に向けられた側面を有していました。
 被監置者は医療をほとんど受けておらず、衛生的によい条件にある者は少なく、家族の扱いも不十分でした。そのため、長期の監置で痴呆状態になっている者、衰弱している者もかなり存在していたといいます。尚、この調査が行われる前の明治39年の私宅監置数は3千余だったものが、それから約30年を経た昭和10年には7千弱と2倍以上に増加しており、それはこの時代の人口増加を上まわっていました。
 明治時代に主流であった私宅監置は、啓蒙思想が席巻した近代ヨーロッパで認められた隔離・収容施設を彷彿とさせます。日本が啓蒙化される過程で、日本にも「非理性」を封じ込める必要が生じたのでしょう。それが大規模な社会施設でなく各私宅で行われたところに、日本的な家族の結びつきや、恥の文化の影響が認められるのではないかと思われます。

 

精神病院の設立

 これに対して、精神病院をはじめとする医療施設は明治の初期から設立が始まったものの、当初は精神病院や一般病院で医療を受けられる精神病者は少数でした。
 大正8年に精神病院法が公布され、大正の末期から昭和の初期には精神病院開設ブームが訪れました。しかし、精神病者数の増加には追いつかず、昭和10年の統計によると、全国の精神病者数約8万5千人に対して精神病院の入院者数は約1万5千人で、その割合は約18%に過ぎませんでした。それでも私宅監置者数の約7千人と比較すれば、その比は逆転することになったのです。
 

妄想内容の変遷

 ところで、明治時代の統合失調症の病態は、どのようなものだったのでしょうか。当時の資料が手元にないため、ここでは昭和49年の日本精神神経学会総会で発表された、「精神分裂病の妄想主題の変遷についてー明治・大正・昭和における松沢病院のカルテの検討からー」1)という演題を取り上げたいと思います。

 演者の藤森氏は、明治時代の三大妄想は誇大・被害・憑依妄想であり、誇大妄想の内容では、天皇と神を主題にしたものが優位を占めている(33例中13例、39.4%)と指摘しています。ここで初めて、妄想内容に天皇が現れるようになりました。

 以下は、その代表的な症例です。

 

 「明治2年生れの34才の主婦。(中略)明治37年7月(34才)頃から自分の部屋で神や仏に供物をあげ、毎日数回にわたり礼拝し、『我が衆の繁栄はみな神仏の加護によるものなり』と神仏の信仰を始め、8月には『神体現わる』、『神のお告げあり』と訴え、10月になると、茫然と佇立し、火鉢の傍で考え込み、『我は陛下なり』とか『我が体に神が乗り移れり』と言い、神々の名や歴代の天皇の名を挙げ、『自家の系図なり』という」

 

 この症例では、宗教的な啓示体験をもとに誇大妄想が出現しています。このこと自体は、時代に左右されず現れ得る現象です。しかし、「我は陛下なり」という内容の誇大妄想や、「神々の名や歴代の天皇の名を挙げ、『自家の系図なり』」と主張する血統妄想が出現している点が、明治以降にみられる特徴的な現象です。

 

昭和初期の妄想内容

 昭和10年の精神神経学雑誌に掲載された「精神分離症ノ豫後ニ就イテ」2)という論文には、次のような症例が載せられています。(カタカナをひらがなにし、漢字は現在のものに直してあります。尚、論文には症例の名前の一部が記されていますが、これは省略しました)。

 

 「現在27歳。帝国大学生。 昭和5年7月頃より頭痛、疲労感等の種々なる神経症状を訴へて居たが7年9月頃より次第に精神の異常が見られ、ある友人を怨み殺すと称して追跡する様な異常が見られた。同年10月入院。入院後間もなく典型的な緊張病性興奮を呈し殆んど処置に窮した程であった。未治のまま退院して帰郷の途上興奮劇しきため某病院に3ヶ月程入院、軽快して退院したものである。患者は真在(現在?)完全に寛解し、帝国大学の上級に在学し、真摯、勤勉に勉学中である。患者は元来宗教に対して寧ろ反感を有して居たが、現在は基督教の求道者の生活を送っている。(後略)」

 

 「現在22歳の学生。 生来明晰なる頭脳と真面目なる性格を有する好個の青年であった。16歳の頃1ヶ月間興奮、空笑、無為等のことがあったが自然に治癒した。19歳の1月頃より不眠勝となり、夜中意味もなく廊下を徘徊したり、気合を掛けたり、独語、独笑することがあった。昭和7年2月入院。入院中は典型的な緊張病性興奮を持続したが、約5ヶ月にして一般に鎮静し病識も出で、軽快退院した。この患者も入院中既に宗教心の発生を見たが、現在は熱心な基督教徒としての敬虔な信仰生活に這入って居る。退院後既に3年精神病は完全に寛解し、現在は師範学校の二部に在学、成績も甚だ佳良である。(後略)」

 

 両症例の特徴は、緊張病性興奮が持続した後に統合失調症の症状が消失し、問題なく学業に復していることです。その際に注目すべきは、宗教的な回心です。
 筆者の太田氏は、「患者自らが陳述した性格変化として我々の注意を惹いたがなほ我々が病的と称し得ざりしものに、精神症状寛解後に発現し来る熱心なる宗教心があった」と指摘しています。そして、完全寛解54例中8例に同様の体験があり、その宗教にはキリスト教の他に仏教、神徒、天理教があったと述べています。

 

一神教的価値観の強要
 この当時の日本は、国家主義の気運が急速に高まり、軍部による権力の集中化が進んでいた時代にありました。社会の価値観が一つの絶対的なものに収斂されつつあった状況の中で、この価値観を受け入れられるかが人々の世界観にとって重要な問題になっていました。そして、この絶対的な価値観を強烈に強要される状況において、強度の「させられ体験(自分の行動や考えなどが、自分の意志ではなく、何者かによって強要され、支配されていると感じる体験)」を伴った緊張病性興奮が生じたのだと考えられます。
 昭和10年末に行われた調査によれば、全国の精神病院・精神病床に入院していた統合失調症の病型の割合は、破瓜型(自閉的になり社会性が乏しくなるタイプ)27.4%、緊張型(興奮と無反応を繰り返すタイプ)27.1%、妄想型(幻覚・妄想が主に訴えられるタイプ)14.7%、不定型20.4%、不詳10.4%でした(「日本精神科医療史」3)184頁)。

 現在では希にしか見られなくなった緊張型分裂病がこれほど多かったという結果が、当時の社会状況を明確に反映しています。

 

一神教に近似の皇統神話
 以上のように、明治以降になると、日本社会においても典型的な統合失調症が認められるようになりました。その社会的背景として、日本に近代西洋文化の影響が浸透したこと、そして、その負の遺産までが引き継がれたことが挙げられるでしょう。

 この時代の社会状況を敢えてシェーマ化すると、以下のようになるでしょう。

 

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                  図1

 明治以降の日本社会は、図1のように、一神教に近似の皇統神話を中心とした価値観によって再構築されました。しかし、実際には大正時代までは、皇統神話が、社会の中心を成す絶対的な概念になっているとは言い難い社会状況にありました。

 皇統神話の教育が徹底され、人々の間に浸透し始めたのは、支那事変が始まった昭和12年以降でした。そして、天皇の神性がようやく頂点に達したのは、大東亜戦争が勃発した昭和16年以降でした。

 つまり、この間の日本は、一神教に近似の宗教である国家神道が支配する社会でありながら、唯一、全能の神が存在しない社会だったのです。この不完全で曖昧な社会状況が、精神疾患の病態に、そして統合失調症の症状に重要な影響を与えたのだと考えられます。(続く)

 

 

  文献

1)藤森英之:精神分裂病の妄想主題の変遷について-明治・大正・昭和における松沢病院のカルテの検討から-.精神経誌,77;409-416,1975.
2)太田清之:精神分離症の予後に就いて.精神経誌,39;29-41,1935.
3)岡田靖雄:日本精神科医療史.医学書院,東京,2002.