韓国はなぜ繰り返し賠償を求めてくるのか(4)

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 前回のブログでは、朝鮮および韓国が従属する文化の優等生であることを目指すあまり、独自の文化を築いてこなかった点について述べました。今回のブログでは、従属する文化の優等生であるがゆえに、独立のための戦いをしなかったという歴史について検討してみたいと思います。

 

冊封体制の中の朝鮮

 今回のブログの最初でも述べましたが、朝鮮は中国の冊封体制に組み入れられて来ました。中国の歴代王朝は、朝貢をしてきた周辺諸国の君主に封禄や爵位などを与え、君臣関係を結んでその統治を認めました。この体制によって中国の歴代王朝は、周辺諸国宗主国対藩属国という従属的関係におきました。朝鮮はこの体制の中で中国の王朝に支配を受ける一方で、この体制の中での優等生を目指してきました。その例として、李氏朝鮮が中国を越える儒教国家を目指したことを挙げました。

 このことを別の角度からみると、朝鮮は冊封体制から離脱しようとしたり、中国の歴代王朝に反旗を翻したりすることがなかったことを意味します。つまり、朝鮮は国家として完全に独立したことがなかったのです。

 

大日本帝国時代の朝鮮

 ところが日清戦争(1894ー1895)で日本が清に勝利し、1895年の下関条約朝鮮半島の独立が認められると、李氏朝鮮はその2年後に大韓帝国として初めて独立を果たします。日露戦争(1904ー1905)後に大韓帝国は、日本の保護国になりました。この時に朝鮮の人々は反日義兵闘争を行ったものの、近代化を目指す日韓両政府の合意によって、1910年に大韓帝国は日本に併合されました。日本に併合された後の朝鮮の人々はまたも優等生として振る舞い、近代化を目指して社会を変革させました(朝鮮も外的自己と内的自己に分裂することになり、外的自己は日本に倣って近代化を目指しました。その一方で内的自己は社会の深部に潜行し、時おり三・一独立運動のような反日闘争となって噴出しましたが、これについては後のブログで触れたいと思います)。

 日本がアメリカと戦争を始めると、多くの朝鮮人は自発的に日本の戦争に協力しました。当時の多くの朝鮮人は自分たちが日本国民であるとの自負心を持っており、皇国臣民としての業務を果たすために軍隊に志願し、産業戦線に動員されました。

 日本が大東亜戦争(1941ー1945)に敗れてポツダム宣言を受諾すると、1945年9月に朝鮮人民共和国の成立が宣言されました。しかし、戦後の米ソ対立の煽りを受け、1948年に大韓民国北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)に分断されることになりました。

 

独立のための戦いをしていない

 このように朝鮮の人々は日本に併合された後には優等生として振るまい、独立のための戦いを行いませんでした。大韓民国北朝鮮が独立を果たしたのは、日本がアメリカに戦争で負けたからでした。そして、戦後の米ソ対立の狭間で、自由主義社会主義陣営の分水嶺となるために、韓国と北朝鮮に分断されることになりました。このように韓国も北朝鮮も自らの力で国家の独立を勝ち取ったのではなく、大国の都合で独立国家として存在する運命を背負ったのです。

 このことは非常に重大な意味を持っています。独立を自らの手で勝ち取った歴史がなければ、「建国の神話」を作ることができないからです。

 

建国の神話なくして国家は成立しない

 文化の起源には、神話が必要です。文化という実体のない、根拠のない人工の産物を成り立たせるためには、その出発点において架空の物語を設定する必要があります。架空の物語である神話には、それが真実であったかどうかが問われないように、タブーが併存しています。神話はタブーによって触れてはならないものとなり、そのことによって絶対の真実性が賦与されます。そして、絶対の真実である神話を出発点として、文化が築かれ、その継続性、安定性が保たれるのです。これは文化を成立させるために存在する、必要不可欠な要素であると考えられます。

 これは国家にも当てはまります。日本という島国で同一言語を話す人々の中にいるとわかりくいと思いますが、国家も文化と同様に、実体がなく根拠もない人工の産物であることに変わりがありません。民族や人種が入り組み、文化や言語さえも一つでない現代の国家をまとめるためには、国家の正統性を裏づける物語が必要になります。しかし、国家の正統性といっても、絶対に正しい国家理念などが存在するわけではありません。世界中の国家を見渡しても、一部の人々が自分たちに都合のいい体制を維持するために、国家の正統性を支える物語を作り続けています。そして、その正当性に疑いが持たれないようにタブーを併存させて、物語は神話となっているのです。

 

北朝鮮の建国神話

 たとえば、北朝鮮では次のような建国神話が創られています。

 抗日パルチザン活動を指導した金日成(キム・イルソン)は、1932年から1945年の間に朝鮮半島満州で日本軍と10万回(!)戦い、全勝したという伝説の人物です。朝鮮民主主義人民共和国を建国し、韓国にも侵攻して勝利を収めました。その後に主体思想をもとに、北朝鮮を理想の共産主義国家に育て上げました。そして、北朝鮮人民からは「偉大な首領様」として神のように崇拝されています。

 しかし、実際の金日成は、抗日パルチザン活動ににおける部隊指揮官に過ぎませんでした。しかも、日本側の巧みな帰順工作や討伐作戦により、東北抗日聯軍(とうほくこうにちれんぐん)は消耗を重ねて壊滅状態に陥りました。1940年の秋、金日成は党上層部の許可を得ないまま、独自の判断で十数名ほどのわずかな部下とともにソビエト連邦沿海州へと逃れます。

 当時のソ連は、日本と戦うことを想定し、日本と戦ったことのある中国人や朝鮮人を迎え入れていました。金日成ソ連軍の大尉として訓練を受けましたが、実際には日本軍と戦う前に終戦になりました。大戦後にソ連スターリンは、自分たちの思い通りに動かせる朝鮮人の指導者を探し、その際にスターリンの面談を受けて選ばれたのが金日成でした。

 1950年に朝鮮戦争が勃発し、1953年7月に休戦協定が結ばれます。北朝鮮では、この協定は戦争に勝利したと喧伝され、これ以降金日成は粛清を繰り返しながら、その権力を絶対的なものにして行きます。1956年から1958年にかけては静粛の嵐が吹き荒れ、この静粛は民衆レベルにまで広がりました。住民同士で互いに密告させ、政府の方針に反対する者は僻地や強制収容所に送られました。その一方で、金日成主席の個人崇拝は進み、その権威は神の領域にまで達することになりました。

 こうして、現実とはまったく異なる形で北朝鮮の建国神話は作られました。そして形ばかりの共産主義国として、実際には金一族が支配する独裁国家として現在に至っていることは周知のとおりです。 

 

独立の際に戦った人物が見つからない韓国

 一方で韓国はどうでしょうか。

 韓国の場合は、建国の神話を創ることがさらに困難でした。なぜなら、韓国は独立の際に戦った人物がいなかったからです。そこで韓国では、苦肉の策として日本に併合される前後で民族独立を訴えた運動家を、建国の英雄として祭り上げました。それが安重根(アン・ジュングン)と姜 宇奎(カン・ウギュ)です。

 安重根は、日本では伊藤博文を暗殺した人物として有名です。一方韓国では、韓国の独立を護ろうとした義士として讃えられています。ソウル特別市には1970年に、彼の偉業を伝える「安重根義士記念館」が建設されました。

 しかし、伊藤博文は韓国の併合には反対していた人物であり、安重根が伊藤を暗殺したために、韓国の併合が早まったと言われています。さらに、ケント・ギルバートは、安重根反日思想の持ち主ではなかったと指摘しています。

 

 安重根独立運動家だったのは間違いありませんが、決して反日思想の持ち主ではなかった。このことは、韓国人のみならず、日本人でも知る人は少ないようです。

 その安重根は、明治天皇を始めとする日本の皇室に敬意を払っていました。また、日本が韓国(大韓帝国)皇太子の教育に力添えをしたことに対しても、『感謝している』と述べています。

 さらに日清戦闘と日露戦争も、東洋平和のため、朝鮮の独立のためにはやむを得なかったと肯定的に捉えています。何より日韓が協力して西欧列強の侵略に対抗すべきだとする考えを持っていました。日本を敵視していないのです」(『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』1)102頁)

 

 安重根は、伊藤のことを、明治天皇の意向に反した政策を朝鮮半島で行う逆臣と思い込んで殺害に及んだのであり、決して日本を敵視していたわけではありませんでした。

 

テロリストを建国の英雄に

 一方、姜 宇奎(カン・ウギュ)は、日本ではあまり知られていませんが、2011年にソウル駅前に銅像が建立された独立運動家です。独立運動家というものの、日本の要人を手榴弾で殺害しようとした人物です。古田博司は、次のように述べてます。

 

 「姜宇奎は日韓合邦後、ウラジオストク新韓村老人団体吉林省支部長になり、日本の要人暗殺を決意、ロシア人から英国製の手榴弾一つを購入して京城に潜入した。斎藤實総督の赴任時、馬車に手榴弾を投げたが暗殺に失敗、巻き込まれた新聞記者、随行員、警官など37人の死傷者を出した。中には総督府政務総監、満鉄理事、米ニューヨーク市長の娘なども含まれていた」(『韓国・韓国人の品性』2)126頁)

 

 姜 宇奎は、この犯罪によって1920年に処刑されました。

 このように韓国では、日本に併合された時期の、しかも今でいうテロリストたちを建国の英雄としなけらばならないほど、独立の英雄が見当たらなかったのです。(続く)

 

 

文献

1)ケント・ギルバート儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇.講談社,東京,2017.

2)古田博司:韓国・韓国人の品性.ワック株式会社,東京,2017.